小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

続・狂二 波濤編 1

月明かりが遠くの空で光ってるような、 春と呼ぶにはまだまだ遠すぎる

冬の夜明け前だった。

漁船に ヒョイと飛び乗った秀治は出航前の始業点検を念入りに

済ますと エンジンキーを捻った。

グルン グルルルル。。。。
最初は低く重たい唸り声をあげていたヤマハ80馬力のエンジンは やがて軽やかに回り始めた。

ロープを解き 小型漁船を 港から出航させた。

口にくわえていた“ハイライト”を指で弾き飛ばしたあと

『ええ加減に止めなよ、煙草』

孫娘の“サヤカ”の笑顔が浮かぶ。

ま、そのうちな・・・・・

同時に 昨年の暮れ 沖合いですくい上げた 記憶喪失の あの男の顔も 秀治の脳裏をかすめた。

春が来て 暖かくなったら 一緒に乗せてやっからよ、 それまで ゆっくりな。。。。

正体不明な奴、だが厳寒の海を長時間それも 板切れ一つだけで生き延びた男の逞しい生命力を思うと なぜか痛快な気持ちになった。

播磨灘の離れ小島に 訳ありの14歳の孫娘とたった二人だけで暮らして居た秀治にとって、

それは何やら とてつもない“業”(ごう)が飛び込んで来た予感がして

豪快に笑い飛ばした。

目指す沖合いは 黒く そして波は 大きくうねっていた。

つづく