小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二 Ⅲ 断崖編 その5

2010 3月29日(月)AM3:10 と枕元のデジタルが点滅していた。

喉の奥の痛みで目覚めた 河本浩二は、隣に眠る多美恵の寝息を聞きながら 先週末 唐突にやってきた高城常務との間で交わした会話を反芻した。

それは信じられない嘘みたいな話だった。 多美恵にもまだ云っていない。いや・・・あまりにも唐突すぎ、 本当のことはまだ伝えていない。


「来週から白浜に行ってもらう。坂本君の代わりだ」 中岡社長に案内され 築港冷凍応接室に入ってきた高城常務が再会の挨拶もそこそこにいきなり切り出した。 ダブルの黒色スーツの下から筋肉の膨らみが見て取れた。 (相変わらずのおっさんだぜ) 「え、坂本社長の代わり・・・て」 「坂本君は 田嶋本社に取締役常務として大阪に帰ってもらう」 「坂本のオヤジ・・・懐かしいな 家島以来会ってないなあ。で なぜ俺ですねん。ココでの仕事まだまだやりたい事ありますやん」

「ココ・・・ついでに君にも言っておくが・・・」 事務員の持ってきた茶を一口啜ると 中岡社長に視線を向け、 平然と言った。 「中岡君も田嶋本社へ常務として帰ってもらう。中岡社長の代わりは 竜一君が ココの新社長だ」 「え。決定ですか」 中岡社長が目をしばつかせながら尋ねた。 「正式には株主総会での承認が必要だが、田嶋の役員会で決定した。田嶋の新社長になる私を二人で助けて欲しい」 「えー!高城のおっさんいよいよ社長てか、それに若ボンまで・・聞いたら驚くやろなあ。夜勤明けで寝てる場合ちゃうて、起したろか」 携帯を取り出そうとした浩二を手で制止し、高城常務が事も無げに続けた。

「浩二君 君も白浜の社長や」

「そ、そんなあ・・・・」 取り出した携帯を床に落としそうになった。

「いきなり白浜の社長やれ 云われても・・・俺 白浜のコト何も知りませんやん 第一、俺 まだハタチ過ぎの若造ですぜ」

「ほー。もう二十歳過ぎたのか。立派なもんや。で、いきなり社長。。。確かに無理がある。それで、とりあえず研修というカタチで行ってもらうコトにした」

「俺の家族・・・女房はどうなりますねん。先月正式に籍に入れたばかりですし・・・」

「向こうで落ち着いたら 呼び寄せたらええがな。悪いが当分は 単身赴任だな。社長失格言われて放り出される事もあるわな」

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「そ、そんな・・・・」 これが 会社と云うものなのか。

しばらくは ベッドの毛布にもぐりこみじっとしていた。

喉の奥のヒリヒリ感が不快だった。 頭の奥にかすかな痛みも走った。 全身がだるい。熱があるのだろうか。悪寒もする。 日課としてきた早朝10キロジョギング。突き、蹴り 千回 はさすがに無理だ。

風邪など 何年ぶりだろう・・・

とりあえず研修という名目で白浜に行くという その朝だと云うのに・・・

天王寺発白浜行きの列車にはまだ数時間ある・・・ 少しでも寝て 体力を温存せねば・・

何とかなる 何とか・・・

祈ったのも 何年ぶりのことだろう。

つづく