小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二 Ⅲ 断崖編 その7

目覚ましの電子音が、午前6時の空気を切り裂く前に、 額の冷たいタオルが浩二の目を覚ました。多美恵と目が合った。 「あ、ごめん起こしちゃった?」 「ずっと起きて居たのか」 眠る前の不快感は少し消えていた。 「凄い汗をかいていたから」 「ありがとう、体が軽くなった気がする」 実際、ベッドのなかで手足を伸ばしてみた。 腰をひねり、寝返りもしてみた。 三時に目覚めた時の不快感や腰のだるさは薄らいでいた。


「今何時かな」 「6時少し前 そろそろね 大丈夫?」 「多分、大丈夫」

おかゆ 用意したんだけど」 昨日は何も食べられなかったのだ。 “おかゆ”に反応し、腹が鳴った。

そろり 起きあがった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その後 おかゆを二度おかわりし、きれいに平らげた。

「いつもの元気出たね」 多美恵が微笑んだ

ダイニングのテレビが7時のニュースを告げた。 「そろそろ時間やし、行くわ」

「ネクタイてやっぱ窮屈や」 「我慢しなさい。初日が肝心やしね」 浩二のスーツ姿 はたして何度目だったかな。多美恵が首をかしげた。

身支度を整えると、ぐるりと部屋を見回した。 「多美恵のココ(マンション)ともお別れや」 「お別れやなんて・・・」 (単なる研修と違うのだろうか)

家島から帰ってすぐに アパートを引き払い マンションに転がるように同棲を始めたのだった。 「年上でもええの きっと後悔する」 「するわけないやん」 先月 正式に籍に入れたばかりだった。 それを、いきなり白浜だなんて・・・

玄関を出ていく 浩二の背中を見送った。 今朝はなんて 寂しそうな背中なんだろう・・ 多美恵は、見送ったあと、あの時なぜ もっと気の利いた言葉をかけられてあげなかったのか、 ずっと後悔したという。。。。

* 3月29日午前6:40 JR紀伊田辺駅 駅前

室井政明 23歳 いつものコンビニで買い物を済まし 夜勤明けの帰宅を急いだ。 途中、24時間営業のレンタルcdショップに立ち寄りも考えたが、 先週借りた中で、まだ観ていないのもあるのに気づき、やめた。

さらに歩いて8分 ワンルームマンションに着く 玄関前でセキュリティを解除 自動ドアをくぐり抜けようとしたところ、 植え込みの影から突然人影が動いた。

そいつは同じようにマンションドアをくぐり抜けようとする。

「な、なんですか」 「ムロイ君だね、コエ、上げるな。ちょと、寄らしてもらう」 たどたどしい日本語が男から発せられた。 アジア系?それとも中近東だろうか。 浅黒い顔のその男、室井の有無を言わせぬ雰囲気に脅えた。 身長はさほどでも無いが、筋肉の発達した胸や肩 両腕の膨らみにも圧倒されてしまった。

部屋に入るといきなり殴られた。 ぐふっ。 横腹へのたった一発で 吹っ飛んだ。

「な、な・・・」 「今から言うお願いを聞いてくれれば、これ以上危害は加えない」 「な、んな・・」

部屋まで上がりこんで 銭の強奪かよ。

俺 一文無しだぜ。

だが 男から発せられたのは 意外なお願いだった。

「次の日曜・・・そう4日。君の大観覧車 一瞬だけストップして欲しい」

「は、はあ?」

横腹を押さえ、苦痛を我慢しながら訊いた。

確かに室井は アドベンチャーワールド レジャー施設への人材派遣会社の社員であり、男が言う 大観覧車の担当でもあった。 (この男。一体 なぜ 知っているのか) 猛烈な不安が襲う。

アドベンチャーランドのコトも 君が勤める派遣会社のコトも我々の組織は、全て調査済みだ。もし断れば 君や 会社の明日は無い」

ピクリともせずに告げる男の表情が なお不安を駆り立てた。

つづく

※ 当記事は フィクションですので 実在するいかなる個人、団体とも 一切の関係はございません