小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二 Ⅲ 断崖編 その15

2010年3月30日AM7時10分 冷え込みはあったものの、空には雲ひとつなく青く澄み渡ってい た。 袖をめくり、時を確認した白浜冷凍従業員栗原健一は いつも通りの朝が始まる。たとえ社長が変わったとしても・・・ そう思った。いやそう自分に言い聞かせた。

いつもの習性で、表門の手前バイクのスロットルを戻し、 軽くブレーキレバーを握る。だが既に表門は解放されていた。 開けっ放しの門に、一瞬違和感を覚えたが、すぐに納得した。 昨夜から泊まり込みの新社長の顔が浮かんだ。 (昨夜は結構飲んだはずなのに早起きなんだな) いつも通り、構内入ってすぐ横にある駐輪スペースに そのまま乗り付けた。

グワンッ

いつもの癖。エンジンをヒト吹かしさせてから、キーをひねり、 停止させた。 更衣室のある管理棟に入る直前、隣の食堂棟の二階を見上げる。 窓はカーテンで覆われたままだったが、特に気にとめる事なく 一階の奥にある更衣室に向かった。


着替えを済ませ 食堂棟一階従業員休憩室に行き、ガスコンロのスイッチをひねり 湯を沸かす。 寮母を兼ねる事になった社内食堂の町村夫婦は温泉でのんびりと している頃だ。 コーヒーを一口すすり、一息つくと防寒ジャンパーを引っかけた 。

庫内巡回へと靴を履き替えていると、 町村夫婦が 「遅くなりました。夕べはお世話になりました」 二人の笑顔が駆け込んで来た。 ホテルでの朝食もそこそこにタクシーを奮発したという。

「おっ。えらい早いのぅ。お疲れさん、金婚式も兼ねてなんだか ら、もっとゆっくりでよかったけん」 「へぇ。ありがとうございます。でもワテらには 新社長のお世話係りも云いつかりましたけん」 「はは、それはそうじゃが」 栗原は町村夫婦の律儀さに頭が下がる思いだった。 「で栗原さん、新社長さんはまだ上に?」 「ああ、おそらく。でも門が開いていたけん、起きてる筈やが」 「ワシちょっくら見て来ますわ。もう7時半ですけん」 町村浩三は女房の幸枝に食事の支度を言いつけると階段をかけ上 がった。 「じゃあ、頼む」 庫内巡回は新社長と挨拶してからにするか・・

しばらく待っていると、 浩三が慌てた様子でかけ降りてきた。

「栗原さん。新社長の姿が・・・どこにも見えませんのやが」 「んな」 「トイレもそこらじゅう探したのですが、陰かたちも。 部屋のドアは開きっぱなしだったので中も覗いてみたんですわ。 ほたら、電灯はつけっぱなしのままで。。」 「んなあほな」栗原は階段をかけ上がった。

※ 浩二は夢を見ていた。 窮屈な揺りかごのような乗り物の中だった。 眠ったまま海原を進む夢だった。寝ているはずなのに景色がはっ きり見えた。 初めは漆黒の海の中。やがて海景色がいつのまにか、雪降る荒れ た大地をさまよう夢に変わった。 手足がしびれ、寒く凍えた。 窮屈さに身体じゅうが悲鳴を上げかけていた。 蒼黒い色から白い世界。やがて明るいブルーに視界の色が変化し た。 徐々に覚醒を始め、ブルー一色は目の前のビニールシートだとい うのに気づいた。 端っこ、一点は白い光が射しているのか白い輪が出来ていた。 (果たしてこの状況は・・・) 初めての状況に、夢か現実かの区別がつかなかった。

風と潮騒の音が間近で聞こえた。 背中はなだらかなカーブを描いた砂地のようなところに もたれているような感触だった。

ただひとつ言えるのは“自由を束縛されている” と云うことだ。 ブルーシートはロープで縛られているのか、 がんじがらめと云うのでは無いにせよ、手足の自由は利かなかっ た。

どうにか力を入れ無理矢理、寝返りを打った。

ごつっ

何かが頭にあたり、そこで完全に目覚めた。 人の靴。というより足が真横にあった。 見覚えのあるツナギ式の黒いレーシングスーツだ。

「おい、やっと目覚めたか」 浩二の足先で声がした。 昨夜・・・というより日付が変わった直ぐ、夜中の出来事が蘇っ た。

「その声、もしや」 「ああ、鳩尾に肘打ちを叩き込まれ気絶した者だ」 「なぜお前も・・・この状況は?他の連中はどこ行った」 「こっちが聞きたいぜ、それよりこの状況から脱出が先決だ。 小便を我慢してる。膀胱がパンパンだ」 「ああ、俺もだ」 「ここはどうやら砂地に打ち寄せられたようだ。今は陸地だが、 波が押し寄せ、引き込まれたら また海へ戻されるかも知れない 」 「早くなんとかしないとな」 「おい、よく聞け。俺の靴底にナイフを隠している。靴を脱が せ、そのナイフで脱出だ。変な気を起こすんじゃないぞ」 「右足か、左か」 「左だ、お前から云えば遠い方だ」 「よし、やってみる」

だが腕の自由は利かなかった。 丁度ロープの縛り部分に食い込んでいるのだろう。

全身の力を腕に集中。

「痛ッ」 男の蹴りをガードした時の痛みが残っていた。 左腕が悲鳴を挙げた。 「おい早くしろ」 「るせえ」

その時、大きくなった波音が聞こえた。 二人を覆ったシートごと「ズリッ」と移動した。 小石混じりの砂浜を踏みつけたまま、打ち寄せられた様だった。

「やばいぜ」

「せーのッ で力を貸してくれ、ロープが食い込んで腕の自由が 利かない」

「よし、わかった。じゃあ。せーのッ」

二人力を合わせ 思い切り広げようと踏ん張る。 何度か繰り返しで、若干隙間が生まれた。

「よし腕が・・・」 なんとか右手を顔の位置まで引き上げた。

「靴に届きそうか」 「ああ、なんとか」

もう一度力を振り絞り、男の靴に手を伸ばした。

「これまた頑丈に・・・」 泣きそうになった。 編み上げ式の軍靴だった。黒紐で丁寧に結んである。 「だらしない事が嫌いな性質(たち)でな」 なんとか紐を解いた。 靴の内側がむき出しになり 余裕が生まれる。

「ここぞ」 と脱がす。

「やったな」

他人の靴底に素手で触れるなんていう経験は勘弁して欲しいが、 贅沢を云っている場合じゃない。 必死の思いで 底を撫でまわす。

「何も無いぞ」 怒鳴る

「靴敷きの下だ」 男も怒鳴り返す。

云われたように 靴敷きらしきモノをまさぐる。 爪が、少しの段差を見つけた。 「これか」 痛みに耐えながら さらに体をねじり曲げ、靴敷きをめくり上げた。

指先が 金属性のモノを察知する。

「あったぜ、これか」 「折りたたみ式だ 気をつけろ」 「ああ、」

目の前にナイフをかざした。 鋭利なそれは 光を受け キラリと反射した。

ねじった体を戻し、仰向きになった。

そろり、ブルーシートにナイフを突き刺す。 恐る恐る切り裂いて行く。

急に視界が広がり 目の前に空が現れた。

「今日も快晴だな」

男が言った。

なんと答えて良いか迷ったが 「ああ雲ひとつない」 そう答えてた。

つづく

※ 当記事は フィクションですので 万が一、実在するいかなる個人、団体とも 一切の関係はございません

(-_-;)