小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃 その3

「では説明させていただきます」 と言って、少女は脚を組んだ。

なんと、目の前のまだ子供のような少女が説明を始めようとした。すらりと長い手足。背丈こそはそこそこにあるようだが、あどけなさの残る顔は見ようによれば小学生にも見える。

「あの。お嬢ちゃん、失礼ですがお歳は?」 麦茶をひとくち呑み、常務が訊いた。

(あちゃー失礼な。やっぱ訊いたぜこのオヤジ) そう思ったものの、自分とて興味があった。 どう答えるか彼女の顔を見つめた。 エアコンのせいか、どこかひんやりした空気が流れた。

「答えなければいけません?それにお嬢ちゃんではなく、石坂美央(いしざかみお)と申します」 さすがに名刺など持ち合わせていなく、手帳に書かれた自分の名前を示しながら言った。 このしゃべり方は大人びた言い方で、子供のような顔つきとは違和感があり戸惑った。

「いや無理に、とは言いません、石坂美央さん」 答えながら汗を拭いた。あの常務が動揺している。

すると


「1964年生まれです」言いながら微笑んだ。 必死に頭の中で暗算した。えーと80引く64・・・

「16。。。」思わず声を上げた。

「ほーう、まだ高校生?」

「誕生日はまだですから15です。それに、いまは学校には通ってないから正確には高校生とも言えないか」 そういってペロリと舌を出した。

(この仕草・・・)やはりまだ子供。 なぜかひと安心した。

「ほーう、その歳でピアノを教えるとは」 常務が感心した。

「まぁ、教室でもする事がないと退屈なだけの毎日だし、それに教えると言っても小学生らが殆どで、年上の方に教えるのは今回が初めてなんです」

(常務や俺の歳で習おうと言うのがそもそもの間違いなんや) そう言いかけたが黙った。

・・・・・・・

レッスンに際しての説明が始まった。 「今のところ木曜と、金曜の夜なら空いてます」 「ワシは金曜が好都合だが、森野君いいか」 「ええ、まあ」

「あの、お二人同時と言うのはちょっと・・・、個別レッスンが基本なので」

「え、個別授業かいや」 同レベルの自分と一緒のレッスンを目論でいた常務は当てが外れ、がっかりしたようだった。 ピアノ教室・・・教室と言う言葉に、勘違いしていたが、基本は個別レッスンなのだった。

「じゃあ俺、木曜でいいです」 (個別レッスンか・・・)期待感が無いと言えば嘘だが、やはり全くの未知数であるピアノの練習。やはり緊張と不安感の方が大きかった。できるものなら、今でも断りたかった。

「承知しました。で、お聞きしますがどのレベルまでの上達がお望みなのでしょう」

「レベルと言いますと?」

「例えばコンクールで上位入賞を狙うまでとか」 (そんな・・・)

「いやいやそこまでは。こちらの森野は別として、ワシは1曲だけでもマスターできたら本望ですわ」

「あ、僕だってコンクールだなんてとんでもないです」 慌てて否定した。

石坂美央は「ぷっ」 と吹き出し、「了解しました。ですが習うたび、欲がでてくると思います。まあその時はその時でまた考えましょう」 と大人の口調で言った。

時折子供のような仕草をみせ、そうかと思えば大人の口調になったりと、色んな表情を見せた。そのあたりが16と言う微妙な歳ごろがなせるワザなのか。

説明が一通り済んだところで彼女が訊いた。

「ピアノご覧になります?」 「あ、是非」

部屋を出、廊下の向こう側にあった。 自分と常務の履くスリッパがパタパタ鳴った。素足で先きを歩く彼女の長い髪が、歩くたび左右に揺れていたのがなぜか印象的だった。

部屋の真ん中にピアノが置かれてあった。演奏会で見るでかいピアノを予想していたが、 奥行きはなく、オルガンを一回り大きくした感じだった。

「想像してたよりコンパクトなんですね、奥行きとか」

「え?ああ、おそらくグランドピアノを想像されてたのでしょうけど、あれは主に演奏会用です」笑った。 「これはアップライトピアノと言って主に家庭用とか練習用なんです」 そう言って、レースのカバーを外し、左手で蓋を持ち上げるや右手でポロン。。。と弾いてみせた。 部屋に良く響いた。 ただそれだけで、心に響く音だった。生で聴くのは高校の音楽の授業以来だったが、当時の記憶は殆ど無い(おそらく嫌で嫌でたまらなかった授業中、ほとんど別の事を考えていたのだったか)

「音の広がりとかグランドピアノと若干の違いはあるけど、負けず良い音でしょう?」

「かなり」常務とうなづいた。

壁際の装飾棚にトロフィーや楯がずらりと並んでいた。 中央にひときわ大きめの額に入れられた表彰状が飾ってあった。 英文字で、ワールドチャンピオン、ミオ・イシザカの綴りも読めた。 トロフィーも良く見れば、ほとんど美央の名前が刻み込まれている。

「凄いですなぁ」常務が感心した。

「恥ずかしいです、見せびらかすつもりはないのですが、母が教室を開くのに、ハッタリが利くと言うものですから。それに、トロフィーの半分以上は母のです」 飾り棚を指さしながら言った。

「さきほど、ロンドンとお聞きしましたが観光でも?」

「いえ、父の仕事の関係で二人とも向こうで暮らしてるんです」

「えっ じゃあ貴方お一人で?」

「いえ、祖母と二人暮らしなんです。先日、国光さんからの電話に出たのは祖母の方だったのです」

「ああ、道理で・・・たしかあの時、落ち着いた声だったから、貴方が出てこられ、正直、面食らってました。居られるのであれば、ご挨拶でも」

「あいにく外出中なんです。もうすぐ帰るころと、思うのですが、あちこちお友達と」

「祖母とおっしゃっても結構お若い方なのですな」

「はい、今年還暦を迎えるはずです」

「あ、ワシと一緒だ」常務が言った。

(60の手習いかよ) ※

そのように彼女との対面を終えた。ピアノの教師・・・ 予想していたのは自分よりかなり年上の、そう例えば学校時代の音楽教師。。。ひび割れしそうな厚化粧に、鼻を突く強烈なコロンの臭い。

だがなんと、目の前に現れたのは16の子だった。 憂鬱で仕方がなかったが、来週の木曜が待ち遠しくなりつつあった。

常務とて同じ気持ちなのか帰りの電車内は上機嫌でずっと喋り続けていた。

つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在するいかなる個人、団体、地名、とも 一切の関係はございません

(-_-;)