小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その7

「で、どやった」
案の定、待ちかねたように昨夜の事を訊いてきた。
ふといたずら心が芽生え、
ライラック、て言うんですねあの花」
わざとじらし気味に切りだした。
「え、ああ」
「常務と同い年の祖母・・名前は美佐江さんと言います。美しいに、にんべんの左、江はさんずいのエ。その美佐江さんが喜んでられました」
「そうか」
「今夜常務とお会いするのがまた楽しみだと何度も仰ってられ・・」

我慢できないのか言葉をさえぎるように
「ちゃうちゃう、ピ、ピアノの事やがな、ワシの訊きたいのは」
ソファーに座ったまま地団太を踏んだ。
本当にこの男、社員数千名を束ね、世界を相手の商社会社ナンバー2なのだろうか、という子供っぷりを見せた。
いやいや、一年生の自分に対しても無防備におのれをさらけ出す度量というか、男の器(うつわ)はとてつもなく大きい。ということか。

「ああ、ピアノの話ですか」
初めて気づいたように装いながら喋りだした。




「ええ、初日だったからでしょうが、思ってた以上に簡単でした」
「ほーう、たとえば」
嬉しかったのだろう。シワの顔が、よりくしゃくしゃに綻(ほころ)び
「どんな内容だった?ワシにも弾けそうか」
「もちろん。昨日は右の指だけで、ドレミのくり返しとか、ミとファだけとか簡単な音階の練習がほとんどだったです。でも鍵盤の音が部屋に響き、それはもう感動モノだったです。もし1曲でもマスターしメロディーが弾けたならどんなに素敵な事か思いました。
きっと自分でも興奮するでしょうね」
「だろうな、部屋に入ってきた君の表情が全く違って見えたからそうじゃないかと思った」
「で常務、指を広げてみて下さい」
いつしか美央をマネ、教師口調になっていた。
「この親指は1の指で、人差し指は2の指・・そういう決まりがあるんです」
「ほーう」
「たとえばドの鍵盤を弾くときは1の親指、レは2の人差し指・・・とかで弾いていくと音の流れもスムーズなんです」
「なるほどな、しかし鍵盤が無いと実感沸かんわ・・・」
「今夜、イヤというほど堪能できますよ」
「待ち遠しいのぅ」
 他にもあれこれ、様子を訊きたそうに身を乗り出した時だった。
電話が鳴った。
しばらくの間秘書が応対していたのだが、とうとう手に負えない、そんな表情を見せながら歩み寄って来た。
草木をイメージさせるコロンの香りが漂った。

(この香り。どこか記憶がある・・)
じっと見つめる自分に気づき、軽く会釈したあと
「常務、お話中申し訳ございません、東京支社長から来週の件でどうしてもと、お急ぎの電話なんです」
「あとじゃ遅いんかい」
「はぃ、ただ今打ち合わせ中だと何度も申し上げたのですが、部屋に居られるならどうしてもと仰いますので。。。申し訳ございません、うっかり打ち合わせ中と言ってしまいました」
深々と頭を下げた。

「あ、何も君があやまらんでも良い。しゃあない、仕事の打ち合わせは終わったから」
「ありがとうございます。すぐお席の方へ回します」いかにも嬉しそうに身を翻し電話機に駆け戻った。
そのとき一つにまとめた長い髪が左右に揺れた。

(美央さんの髪も・・・)
「じゃ、僕、いえ私もそろそろ失礼します」
「森野君、ご苦労やった。今夜が楽しみや、じゃあ」
手を差しのべてきた。
慌てて、「あ、どうも頑張ってください」
握手を交わす。
かなりゴツゴツと分厚く堅い感触だった。
あの指で弾かれる鍵盤が不憫(ふびん)に思った。それより常務に対して「頑張って下さい」はないやろ、しまったと思いニヤリと笑った。

「どうもお疲れさまでした」
秘書がさっと立ち上がりドアの外まで見送ってくれる。
「どうもお邪魔しました。お茶美味しかったです」
常務の方を振り返るとすでに電話に夢中だった。
勇気を出して訊いてみた。
「あのどこかでお会いしませんでした?」
すると彼女は
「さあ。。。どこにでも居る顔ですから」
首をかしげながらじっと見つめ返した。そして静かに笑顔を作りながらお辞儀した。
「あ、すみません。どうも失礼しました。では常務によろしく」
ぺこりと頭を下げ、部屋を出た。
(何を言いだすのやら俺は)
「どうもご苦労さまでした」もう一度声が聞こえ、
かちゃり。
静かな音が背中で鳴った。ドアの開閉音だけで彼女の細やかな心配りが見て取れる。きっと育ちの良い方なのだろう。
廊下の赤絨毯を踏みながら
(しかし、どう見ても20代前半に見える。子供さんて幾つなのだろう、それにしても、なんて美しい人だ。そして特徴あるコロンの香り。どこか記憶があった。もちろん同じ人物ではないだろうけど・・・)
胸の名札。(田代ひとみ)
あれこれ記憶をたぐり寄せてみたものの、想い出せない。やはり初めてお逢いしたのだろう。
                  ※

 その午後、プロジェクトチームは緊急に合同会議が開催された。
いつもの少人数の内輪的な会議と違い、所属するメンバー全員が集められた合同会議だった。
プロジェクトチームは営業第三課が中心となったメンバー構成だが、海外貿易部や総務部法務課に所属する者さらに広告宣伝部に所属する者まで召集を受けていた。
前村加奈子が紹介してくれ、初めて見かける顔に緊張しながら名刺交換を交わした。

「角紅商事が横やりを入れてきた」
川村の言葉に会議室は騒然となった。
朝、東京支社から常務に寄せられた情報によれば、
イタリアデザイナー。ジャンニ・ビアンコ。彼の日本国内における販売代理権、ライセンス契約等など船場商事がいち早く交渉をすすめ、調印も目の前にきていたにも拘らず、突如角紅商事も参画すると言う。
角紅商事とは国内で最大のライバル関係にあった。

(あ、常務にかかってきたあの電話か・)

「え、そんなアホな、来週はウチの丸抱えで来日とちゃうんかい、わざわざファーストクラスを用意したってるそうや」
大阪弁丸だしの横山が言った。
川村課長より少し後輩、歳は30代後半のベテラン営業マンだ。
「もうすぐ常務が出席され、詳しい説明があると思う」
「噂やけど、常務って昔営業三課を叩きつぶそうとしたらしいけど信用できるんかい」
横山が言った。
(え?まさか)
「昔の話はどうでもええ、このプロジェクトは常務の後押しで進めてこれた話や。俺は信用する」
川村はきっぱり言った。
「で、法務課の古賀さんにお聞きしたいのやが、法的にどうなんです?」
「は」急に振られた古賀は緊張しながら立ち上がった。
「契約書をイタリア側と交わしたかどうかだと思います。単なる商談つまり口頭での約束だけなら船場が有利とは言えないです。基本は自由競争が原則ですから」
「角紅の肩を持つんかい」
横山の声が会議室に響く。
「わ、私は何もただ、法的な事実を訊かれ申し上げただけで」
「古賀さん、どうもすみません。横山は口こそ悪いが、腹はええ奴なんで」
川村が慌ててとりなす。
「にしても何故角紅に情報が漏れたのか」
「そのあたり詳しいことは常務がローマ出張所を呼び出し確かめられている最中だ」
怒りをかみ殺したように川村がつぶやいた。

本当は横山以上に怒ってるはずだった。川村のプロジェクトに賭ける姿勢を間近に見てきた自分としては痛いほど理解できた。

「遅うなってすまん」
ドアを「ゴンッ
叩くような一回のノックで常務が入ってきた。

         つづく

※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在するいかなる個人、団体、地名、とも 一切の関係はございません 

 (-_-;)