雨にけむる湖畔の道。。。 こうして、文字に書くと"詩的”な雰囲気が漂うけれど、実際はとてつもなく寂しい風景だった。鈍色(にびいろ)の空から降る雨。時折吹く風も、半端じゃない強さだった。 あの日、もし独りだったとしたら、どれほど僕は落ち込んだろう。
「あ、風の足跡」 前村が湖面を指さした。 打ち寄せるはずの波は、瞬間ではあったが岸とは反対方向への波模様を描いた。
「へー初めて見たわ」 それほどの突風は、容赦なく二人の傘をも悩ませた。 「ひやあー」そのたび前村は子供のような悲鳴を上げ、それが自分でもおかしくかったのか笑い声まじりの悲鳴になった。 肩の下まであるウエーブのかかったロングヘアーはまるで荒波に向かう漁船の大漁旗のようになびかせた。 着込んだままの僕のジャケットはちょうど雨コート代わりに活躍してくれている。背中から下にかけ、かなり濡れていたが自分が着ていたところで同じだ。いや彼女が着ていてくれたことで手に携える荷物が減ったと喜ぶべきだ・・・
「これでもし店が閉まってたらもう最悪やね、人生の終わり的な」 傘の付け根を、逆さにならないよう必死の形相で押さえつけながら、口をとがらせた。 その格好や表情がおかしく、つい笑ってしまった。
「何、笑ってんよ」 「う、うん別に」
この世には二つの人種があると思う。 周囲の人を落ち込ませる人。 あるいは反対に 明るくさせる人。 前村加奈子や石坂美央は間違いなく後者だ。そして長沢雅恵も・・・
湖畔沿いの国道は、さすがに雨の平日ゆえ、人影どころか、いわゆる自家用の車は一台も姿を見なかった。トラックや営業のライトバンが数台行き交う程度だった。 本当に店は開いているのだろうか、少し不安がもたげた時、前村が
「あの自動販売機、あれとちゃう?」 前方を指さした。 ひとつ向こうの信号を越えたあたり、ジュースの自販機が賑々しく並び、白色のベンチが見え、看板には照明が光っていた。
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「いやあどうも、わざわざこんな雨ん中を」 『レストハウス近江舞子』店主はテレビで見た通りの笑顔を見せてくれた。 だが肝心の あのTシャツは着ておらず、長袖の白色トレーナーを着ていた。 「どうも初めまして、週末のテレビを拝見して、お邪魔しました」 「いやあ、テレビの威力て凄いもんですな、もう反響が」 「ええ、それが実は。毎朝テレビの安岡さんから電話で確認をしてもらったTシャツの件で。。。インタビューの時着ておられた・・・」 いつ、どこでお買いになられたのですか? そう云いかけた時だった。 店主が満面の笑顔で立ち位置をずらせた。そして「さあ、お探しはこれ」とでも云うように右手を示した。
あっ
なんと、おみやげコーナーその一角に捜し求めていたモノが販売されていた。 その数、10枚以上はあっただろう。ひとつの山が出来ていた。 いずれも透明の袋に入った新品のままだ。慌てて近寄る。袋の裏を見ると製造・販売者ナニワスポーツとあったが、勿論、企画・総発売元として船場商事の名前がくっきり印刷されていた。品名欄に“ジャーニービワンコ”の商標。美湾湖という漢字が表示されてあった。なるほど、こういう読みだったのか。琵琶湖と美湾をかけての。 これで商標使用の事実は間違いなく立証される。
今でも売り続けてくれている店主に対して感謝と感動がこみ上げた。 現物のTシャツは、今も鮮やかな色だった。デザインと文字がやはりユニークだ。決して古臭くはない。 前村も同じ気持ちだったのか、「仕事に関係なくこのTシャツ欲しい」とバッグから財布を取り出した。 「あ、僕も」 会社用と、領収書を分けてもらった。僕らはペアルックを買ったのだった。。。
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「えッ。なんとまあ、しかしこんなコト。。。」 珈琲カップを持ち上げた店主の手が止まった。大阪からわざわざやってきた理由を聞き終えた時だった。 (熱い珈琲でもどうぞ)と奥の喫茶コーナーに誘われていたのだ。
「それがどうかしましたか、いやあ本当に感謝です」 だが、そのあと僕たちは運命としか言いようのない奇跡的な偶然を知らされた。
Tシャツの仕入れは、やはりかれこれ10年ほど前だったらしい。色とデザイン、名前が店主の胸に響くモノがあって大量に仕入れたものの、簡単には売りさばけはしない。 だが安易に返品などせず、粘り強く販売を続けてくれていた。
そして例の「サタデーナイトあれこれ」 取材当日は今日とおなじトレーナー(一応店のユニホームらしい)を着ていたのだが、やってきたカメラマンが見本として吊ってあるTシャツにふと目が行き、 (これ面白い!)と急きょの要請で着替えをし、インタビューシーンを撮り終えたと云うのだ。 もし、目立つところに吊って居なければ。また吊っていたとしてもカメラマンの目に留まらなければ。 いや留まったとして、ひらめきを起こしてくれなければ。 さらに、店主が面倒がって着替えを拒んでいたとしたら。。 そして、何と云っても土曜の夜、僕がチャンネルを合わせなければ、いや法務課の古賀が商標問題を言い出さなければ 『ジャーニビワンコTシャツ』は、プロジェクトチームに知られることも無く、この店の一角で眠ったままだったろう・・・・・・・・・・・
※
「川村課長も感激してたわ、んでこの時間やから直帰でええって」 近江舞子駅前にある電話ボックスの横で佇んでいた前村に告げた。 雨はいつしか小止みになっていた。
「あの安岡ディレクターが言ったとおりやね」
「いやいや"二人で琵琶湖の夜”とは、ちーと違うんでないかえ、今から帰阪やし」少しおどけながら云った。 「ま、そうやね」
(え?)心なしか前村は少しがっかりしたような表情を見せた。
(まさか・・・勝手な思い過ごしやろ) 時計をみると午後4時半を回っていた。 「ヘタしたら大阪駅6時廻るな」 「社へ戻らんでええから、いつもより楽勝やん」 (え?いつもは何時まで残ってるんだ、この娘)
高架のホームから遠く琵琶湖が見えた。 「夏に・・・来たいね」 え? 途中ホームを吹き抜ける風の音が邪魔をし、はっきり聞き取れなかった。 (夏にもう一度来たいね)って云ったような気がする。
気になったが 売店で買った夕刊を広げた時だった。
あ!
左側だったが1面に、今や国民的アイドルスター「山下ゆり恵」引退発表!の文字が目に飛び込んだ。
「ウワサ通り井浦和友と結婚かぁ」 前村も新聞をのぞき込んだ。 (秋にはサヨナラ公演を開催し、これまでのお礼がしたい) 記者会見での言葉が載っていた。
「うわー、ショックや」 「ウワサされてたけど、こうして正式に発表されると、やはり強烈やね。彼女の存在てかなり大きかったもん。今日の一面てかなりインパクトあるわ」
!!・・・・・・・ ふいにその時 (皆があっというインパクトや) 先日、国光常務が宣伝広告課の三宅に対し言ったあの言葉が脳裏をかすめ、突如ひらめくモノがあった。
脳裏をかすめただけの閃(ひらめ)きは、徐々に大きくなり始めた。 よほど気に入ってくれたのか、僕のジャケットを着たままの前村の姿を見、“その思いつき”はさらに具体的な形となった。
(行ける!)
「凄いコト思いついたんやけど」 だが前村は じっと琵琶湖の方を眺めたままだった。
つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在するいかなる個人、団体、地名、とも 一切の関係はございません
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