小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その25

(国公立のエリート校出身者じゃあるまいに。北河内大学の名が泣くぞ。)
何かの夢をみていた。薄ぼんやりと目覚め始めた時
ふいに国光の言葉が脳内で響いた。まるで鐘を打ち鳴らされたかのように。
風を切り走る音が聞こえ、ざわざわと人の声が続いた。
ぼんやりと目を開けると、背もたれの網ポケットに突っ込まれた夕刊紙が見えた。

あ、そうか。ここは新幹線・・・

はッと慌てて右方向に首をねじった。空は薄暗い。山の緑が押し迫っている。

しまった!またしても見過ごしたか・・・
ガラス窓に額をくっつけ、過ぎ去る景色を追う。
すると




「大丈夫です。まだ熱海の手前、富士山はまだですから」
前村が左の肘を笑いながらつついた。
「え?なぜ富士山のことを」
「だって、もし寝てしまったら富士山の前に起こしてって。そう頼んだとたん1分もしないウチに、ぐっすりと」

「あ、いま思い出したわ。ごめん」
子供の頃から乗り物は好きだった。というより次々と現れる景色を眺めるのが好きで、大人になっても変わらなかった。よく電車内で熟睡する人を見かけるが、とても信じられないコトだった。
が、社会人になって初めて乗った新幹線。上りの車内は殆ど寝てしまっていた。もっとも通路側の席が原因だろうと考えていた。
が、窓側にもかかわらず、動き出したとたんに眠気を催し、「富士山の手前で、もし寝てたら起こして欲しい」と頼んでいたのだ。

前村は本を読んでいた。
ちらりと見る。え?
たんなる小説本とかでなく、細かい文字や統計表があちこち。ページの上には、何とか経済論の文字が見えた。

彼女に比べ、俺など。。。卒業以来3ヶ月が経つが仕事以外の本など1冊も読んでいない。

(国公立のエリート校出身者じゃあるまいに)
先ほど夢で聞いた国光の言葉を再び思い出す。
確かに・・・国光の言うとおり。
ここ数日、偶然によるラッキーが続いたものだから、それが自分の実力。と知らず知らずのウチにうぬぼれや過信があったのではないか。
ジャンニとの契約の席で何も出来ず、うろたえた自分を恥じたのは、変に芽生えてしまったエリート意識の裏返しなんだきっと。

本来の自分はあくまで”落ちこぼれ”。何も出来なくて当たり前。だから少々のコトでへこたれるべきでない。
本当の自分が国光の言葉を借り、気付かせてくれたのだ。

だが・・・
何も出来なかった東京出張。心のどこかに、(もう少し何とか出来たろうに)の思いが再びこみ上げてきた。

「地下鉄の入り口で、元気ない。って言われただろ。今回の出張でこの俺、何ひとつ仕事していない。(何の為の東京だったんだ)って、ずっと引きずってる」
本に夢中の前村につい愚痴をこぼしてしまった。

すると前村は読んでいた本をパタって閉じると、
「え!まさかそんなコトで悩んでいたのですか」
「まさかも何も、高い新幹線代を使ってまで今回はカバン持ちにも貢献してない」
「そんなコト無いです」
「だってそうやん。なぐさめてくれるのは嬉しいけど、それが事実や。ジャンニを怒らせたのも元はといえば自分の拙(つたな)いプランが原因。貢献どころか、もしかして皆の足を引っ張ってるだけじゃないか。そんな気がしてきた」
「えー、一体どこがですの。それは無いって。私から云われても単なる慰めに聞こえるかもでしょうけど」

「・・・・・」

「三宅さんも仰ってたけど、一年目は何も出来なくて当たり前。経験を重ねるのも仕事つーか勉強のうち。私、そう思います」

どちらが年上かわからない。彼女に慰められる自分に対しても情けなさがつのった。

「君に(何かあったらフォローするから)ってエエカッコ云ったけど逆にフォローされたようなものや、あの機転が無かったら危うく契約は白紙のとこやった。俺て居ない方が良かったんじゃないかって」

それまでにこやかだった前村の顔から笑みが消えた。
「森野さん、本当にそんなコト思ってるのですか」
「え・・まぁ」
「昼食あとの休憩のとき、なぜか体がブルブル震え始めたんです。気付かれないように映写機の方に行き、機械をさわるフリ。それでも震えが収まらなくて途方に暮れかけたその時、森野さんのあのひと言。わたし泣きたくなるほど嬉しかったんです。おかげで震えもピタって止んで。あのパフォーマンスだって、森野さんの名案を潰してなるものか、とりあえずジャンニを立ち止まらそうとの無我夢中で、機転と言うより発作的に体が動いたようなもので」

(え、そうだったのか)

「あの時だけでなく、森野さんはいつも優しく声をかけてくれます。こんなコト今まで絶対なかったんです。わたしずっと独りでしたから

「・・・・・・・・」




                   ※

アジサイがどうかしまして」
玄関先で声がした。
国光はぎょっと振り返ると石坂美央が笑っていた。

「これはこれは、いやあしかし見事なもんですなあ。しばし見とれてました」

「祖母の手入れのたまものですわ。いま部屋で待ちかねてますけど」

「あ失礼、つい」
腕時計を見ると約束の6時は5分ほど過ぎていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「どうも初めまして。国光です。お電話では何度か失礼しました」
「いえいえ、ようこそおいでくださいました。あ、そうそうこのライラックありがとうございました。私の好きな花ですの」
「いやあそうらしいですな、ウチの森野から聞きました」
石坂邸、玄関横の応接間ではしばし二人の会話が弾んだ。
やがて、前回森野のときの様に美央が「そろそろ」
と迎えに部屋をのぞいた。


すっかり汗も引き、緊張の取れた国光はピアノの前に座るや突然
「美央さん、お願いや。前に云ったけどワシの場合1曲だけ、とりあえず1曲マスターすれば良いんや、来年の3月までに間に合うやろか」
「え、ええまあ。でもある程度基本も必要なので・・・」
「初日の基本は森野から教わった。親指が1で、小指は5、あ、その前に中央のド・・」
云いながら鍵盤の上をさまよう。
美央は「くすっ」と笑いながら、
「これが中央の」と一呼吸おき、「ド」と云って鍵盤を弾いた。
国光も「ここか」と云いながら続いて弾いた。

「3月てまだまだ先、何か事情でもあるのでしょうか」
美央が訊いた。
すると国光は真顔になり
「美央さん 森野には内緒にして欲しいんやが約束してくれるだろうか」
「ええまあ」

                    
                  ※

車内の前の方の席で 軽いどよめきが起こった。
会話に夢中になっていた森野と前村は、ようやく窓の外を見た。
そして一瞬言葉を失った。

見事な赤だった。
燃える空。
夕日が霊峰“富士”を見事に染め上げていた。 

「うわあ、見事に綺麗」
「ええ、朝の富士も綺麗でしたが、夕焼けの富士山も最高です」
身を乗り出し、前村も感嘆の声をあげた。

「あ、しまった」
「何がですの」
「缶ビール、買うの忘れてた」
「ぷッ。一体何事かと思いきや」
「いやいや、俺にとっては大事な問題やて」
そう云いながら富士山が視界から消えても、
ずっと夕焼けの空を見上げていた。
 
          
                       つづく


※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似たいかなる個人、団体、地名、などが出現しようとも 一切の関係はございません 

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