小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その28

長沢雅恵からの便せんを持ったまま、しばらくは呆然と立ち尽くしていた。
田代ひとみ、前村加奈子、そして雅恵の顔、。。。と映画のフラッシュバックのように浮かぶ。

手紙にあった「教育実習」の文字に、ずっと課題だったあの芳香の記憶が鮮明に蘇った。香りと共に、うっすらとではあるが、その人の面影も思い出された。中学生の夏だ。教師志望な数人の実習生がやってきた。数人居た女子大生の中で、その女性は、ひときわ目立つ容姿をしていた。白く清楚な雰囲気に自分はもちろん、男子生徒のほとんどが胸をときめかせ、騒いだモノだ。

ある日の下校時、何かの拍子に肩を並べ歩く偶然があった。

「キミ何かスポーツやってるの、背が高いね」
ふわりとコロンの香りが漂った。胸が締め付けられるようにドキドキした。
級友たちは少し離れたところから羨望の眼差しを向けていた。



「はあ、一応バスケです。補欠ですけど」
「へー、カッコイイじゃん、頑張ってね」
「ありがとうございます。でも、もうすぐ引退なんです」
そのような会話まで思い出された。引退。。。中三の一学期が終わると受験の為、クラブ活動は卒業せねばならなかった。当時の自分は中三だったと云うことになる。
15歳。彼女は大学の4年で、21か22歳。。。。。6から7つ上なのか。

田代ひとみの面影をその女性に重ね合わせてみた。何となく似ていると思えば似ているし、別人と云われればそんな気もする。
自信をもって言えるのは、ふたりとも同じ香り、それも街で滅多に嗅ぐことのない香りを纏(まと)っていた、と云うことだ。何かの本か雑誌の記事を読んだことがある。
(嗅覚の記憶はいつまでも消えず、間違いがない)らしい。。。
来週さっそく機会があれば彼女に尋ねてみたい。
(昔、教育実習でお会いしませんでした?)

トントン、階段をかけ上がる音が聞こえたかと思うと、妹の圭子にたった一回のノックでドアを開けられた。

「あー何すんねん」
「さっきからオカン呼んでるのに。。。えーウソッー。手紙読んで泣いてたん?眼、真っ赤やん。あはっ」
「ちゃうわ、眼にゴミが入っただけや、放っとけや」

・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
飯を食べながら、
(誤解や。。。)頭の中で、手紙の文面をあちこち跳びながらなぞっていた。

[あの時の貴方の眼。すくなくとも彼女に好意以上のモノを抱く眼でした]

京都からの帰りといえば、ちょうどプロモーション計画についての案が次々に湧き出、その話題に前村も大乗り気で夢中になっていた頃。色恋どころじゃ無かったはずと思う。

「誤解や。。。」
食べ終わったら弁解の電話をかけるべきか。。。
だが、
[アキラに向ける彼女の瞳。雄弁に語りかけていました。単なる同僚に向ける瞳ではなかったです。全幅の信頼と激しい恋心を寄せる時の熱い眼でした。同じ女の私には痛いほどわかるのです]

ドキッとするものがあった。
帰り際に前村との会話でのあの表情が思い出された。
今まで気づかなかったけど、同性の眼からみて何かを感じ取ったというのだろうか。

>彼女に対するあなたの眼、すくなくとも好意以上のモノを持つ眼でした・・・
心のどこかに眠る気持ちを見透かされたような気がした。
三年の付き合いで雅恵はこの自分のちょっとした表情や声から全て見抜く力を身に付けたのかも知れない。
先週、学祭に誘われた電話を思い出した。
「行けたら行くわ」今思えば、気のない返事だった。行けたら行く。要するに“行くつもりは無い”て言っているようなものだった。
ヒマを持て余した土、日だった。にもかかわらず、結局行かなかった。雅恵に対する距離が遠ざかっていたのは紛れも無い事実だった。

「あー、ははは」
すでに夕食を食べ終え、テレビに夢中の妹の笑い声が突然聞こえた。一緒の母親のキミコの声もうるさい。
なんと平和な家庭・・・・それに比べ。。。。

道理で・・・・
つきあいはじめの頃、雅恵は家族の話題になると急に黙ってしまう事があった。その後、努めて家庭の事には触れなかったものだ。一年ほど経った頃、ようやく彼女の口から家族の話題が出た。

そして家に遊びに行ったのは出会いから三年目、昨年の冬だった。
ふと、雅恵の隣に居たという同級生のコトを思った。
[実は・・・と申しますと
あのとき私の隣には、中学、高校時代の同級生が居たのです。。。心がときめく再会でした]
不思議にも嫉妬という感情は湧かなかった。全く無いと言えば嘘になるが、むしろ心のどこかに”ほっ”とする安堵感すら芽生えてもいた。同じ教師を目指す男ならきっと真面目で優秀なのだろう。
(彼女の幸せを見守って欲しい)そっと心の中で祈った。
(だがこれは、自分勝手な男という証【あかし】なんだろう)


「えーッ。うそうそ、“めちゃくちゃ”やん」
妹の、テレビに向かっての声がますます騒がしい。

「勉強はええんか、もうすぐ期末テストやろ、高校受験の内申書に響くぞ」

「るさいなー、これ終わったらするやん」

アジサイ祭り。。。
その後も思考は広がり・・・
石坂邸で見た咲き始めの紫陽花。そしてお決まりのように鍵盤、そして美央の面影が浮かんだ。
今、本当に逢いたいのは一体。。。

はっ。オモチャのピアノ・・・

突然、思い出した。
「なあ、昔遊んでたオモチャのピアノ、白い奴あったろ。まだどっかにあるかな?」

「はあ?何するん、あんなの」

「課長や。会社の課長の娘さんが欲しがってるんやけど、どこにも売ってないらしいねん」

実際のところなど、知る由もなかったが、川村課長に幼稚園の娘が居ることになった。我ながら咄嗟のウソに感心した。

「押し入れにある思うわ」


結局、長沢雅恵への電話などすっかり忘れ、押入れのどこかにあるだろうオモチャのピアノを思い浮かべ、飯を急いだのだった。

6月も終わろうとしていた少し蒸し暑い夜だった。

                        つづく


※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似たいかなる個人、団体、地名

、などが出現しようとも 一切の関係はございません 

 (-_-;)