小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その29

結局、そのオモチャのピアノは、妹の部屋の押し入れの一番奥、
さらに一番下にあった。
最初、妹の部屋からスタートしたところ見つけられず、
「もしかしたら両親の部屋かも知れない」妹が言いだした。

両親の部屋を皮切りに、あちこちの部屋の押入れを順に探し始めること、かれこれ一時間。当時はエアコンなどリビングに一台のみ、扇風機のぬるい風だけでの悪戦苦闘だった。

「やっぱウチの部屋かなあ」二度目の探索に舞い戻っていた。
「こんだけ探しても無いやん、もうええかげんあきらめようよ」
文句を言いながらも、汗だくになりながらの妹が言ったその時(みんなでドレミ。。。)の文字が書かれた箱の一部が見えた。

「あ、あれちゃう」




周囲の箱を動かし、ようやくの思いで引っ張りだすと、まさしく捜し求めていたそれだった。
すっかり黄ばみの出た段ボールケースには対象年齢3歳以上とある。
(ま、3歳以上には間違いない。。。)思わずニヤリと笑ってしまった。
上蓋をそろり開けてみると、思っていたよりしっかりした造りのオモチャだった。横幅も結構広く、鍵盤の数も2オクターブ分あった。塗装もしっかり残り、保存状態は結構良い。

「ひゃー懐かしいわ、これ。その前に水、水や」
「ああ、喉乾いた」
二人してリビングルームに行きエアコンの前で水を飲みながら、汗を引かせた。

・・・・・・・・・・

箱から取り出すや、さっそく妹が鍵盤を試してみた。
「お、ええ音やん」当然本物とは比較のしようが無いけれど、それなりに音はしっかり響く。一カ所だけ壊れて音の出ない鍵があったが、まあ練習には差し支えないだろう。

(早く俺にも弾かせろ)そう言いたいのを我慢し、しばらく見守った。
ところどころ、調子っぱずれになり、右手だけだが、それなりにメロディーを奏でている。聞き覚えのある曲を3、4曲立て続けに弾いた。

「え、上手やん、知らないウチにピアノ習ってたんか」
「まさか、これぐらいの童謡、誰でも弾けるやん」
「俺にも少し弾かせろ」
「えー、もう少し」
「そろそろ。。。」
「いやや」
そんな会話を何度、繰り返しただろうか。しばらくするとさすがに“飽き”が来たのか
「もうええわ、ちょっと友達に電話せなあかん時間やし」
ピアノの手を止めた。

「もうええのか、じゃあもらうぞ」
「まあしゃあない(仕方がない)どっちみちすっかり忘れてた奴やし。。。」
そう言いながらもどこか、惜しそうな表情を見せた。無理もない、かれこれ10年ほど前だ。誕生日に買ってもらったそれを、妹は大喜びで毎日のように弾いていた。
その頃僕は中学の1年ぐらいで、ただの騒音にしか聞こえなかったものだ。

「気が変わらないウチに。。。」
箱に詰め直し、自分の部屋に運び込んだ。
(あ、妹の奴勉強は?)
まあ、今夜だけは大目に見るか。

さてと。。
指の位置を一つずつ確かめるように弾いてみた。
本物に比べ、鍵盤は小さく間隔も狭い。が、それさえ我慢すれば、それなりの練習に使えそうだった。
(ええ歳の大人が。。。人には絶対見られたくない)
ドレミの位置を確認したあと、前回習った左手の練習を思い出すように弾いてみた。
小指のレパートが心もとないが、繰り返すうちにそれなりに弾けるようになる。

そしていよいよ、習い始めたばかりの「左右同時の課題曲」を試してみた。
石坂美央が、初心者用に特別にアレンジしたという練習曲だ。左は単調なリズムの繰り返しだが、右手が入ると左がおろそかになる。反対に左に神経を集中させると、右の動きが止まってしまう。と言うより、右も左のリズムに合わせてしまい、同じ動きになってしまう。
・・・・・・・・・
繰り返し練習するしかないのだろうか。。。

そう言えば。。。。

[今度教えてあげようか、左手と右手同時別々に弾くコトの克服法]
[あ、是非]
[高くつくわよ、私のレッスン料]
琵琶湖行きの列車内で交わした前村との会話を思い出した。
(すっかり忘れていたが、本当にあるのだろうか、克服法・・・)

こんどの木曜はいよいよ待望のレッスンの日。
それまでになんとか。。。。

そう思いながら、しばらくは右だけで、練習曲を何度も繰り返していた。
・・・・・・・・
え、ウソっ
いきなりの声に、ハッと振り返ると妹が立っていた。

「あ、ノックぐらいしろや」
「何度もしたわ。。。それより、めっちゃ上手やん」
「これのどこがやねん、いたずらに弾いてみただけや」
「イタズラでショパンは弾かれへんわ」
「え!今の曲て、ショパンなんか」
「はあ?まさかそれも知らずに弾いてた言うん、リズムは全然合ってないけど」

二日目のレッスンで渡された楽譜だ。
低いドからいきなり高音のドへ移動する不思議な曲だ。。
[ド~ド、ド、ミファ、レ、レ、ファ。。。。]単純にお玉杓子の並ぶ通りに鍵盤を叩いただけにすぎない。言われてみると、どこかで聴いた覚えのある曲だった。
心を揺さぶるというか、もの悲しくなる。
知らず知らずいつの間にかショパンを弾いていた自分に少し感動した。

「あは、自分で弾きたかったんやろ?課長さんの娘さんにあげるてウソや」

「・・・・・・・」
音が思った以上に響く。同じ二階の妹に隠し通せるモノではない。

「オカンやオヤジには、絶対内緒の話やけど。。。。友達とかにも絶対言うな」
覚悟を決め、ピアノ教室へ通う羽目になった経緯を話し始めた。

ただ、若きピアノ教師、石坂美央の事は言わずにいた。
(そういえば、妹より1歳上だけなのか)
・・・・・・・・・・・・


聞き終わると妹は
「ええ話やん、内緒にすることあらへん」
「もちろん、陰でコソコソするつもりは無かった。けど、なんとなく恥ずかしいものがある。しばらくは内緒のつもりやった」

「恥ずかしがるコトあらへん。その常務さんも素敵やな」
「ああ」

しばらくして妹は出ていった。


その後も、知らず知らずに覚えていたと言う「ショパン」の一節を何度も繰り返した。
妹が言うには”夜想曲『別れ』”と言う名曲らしい。

ふいに、長沢雅恵からの最後の文面がよみがえる。。。

[貴方は 私ひとりだけじゃなく、家族をも救って下さいました]
(俺は、そんな大した男じゃない、“ただ単に女好きな助平野郎”なだけだ。。。)

[そう信じています。
何度も言います。今まで 本当にありがとう御座いました。
そして・・・
私以上に彼女を大事にしてあげてください。。 。]


長沢雅恵との3年の月日が走馬燈のようにかけ巡った。

彼女の笑顔の陰に、暗い事情が隠されていたとは。。。再びこみ上げるものがあった。
涙で鍵盤が見えにくい。が、右の指はしっかりと位置は覚えている。

これからも、さまざまな出会いと別れがあるというのか。
ぽつりと、心の中で言葉をかみしめながら弾いた。

そして、あふれた涙はとうとう、つーとひと筋ふた筋、鍵盤の上にこぼれ落ちていった。


                       つづく


※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似たいかなる個人、団体、地名

、などが出現しようとも 一切の関係はございません 

 (-_-;)