小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その31

「お待たせ」 息せき切って、駆けつけてきた前村は、 雨の中を走って来たのだろう。座敷に上がり込むやへたり込み、背中を大きく波うたせ息を整えた。

「まあまあ、そないに息せき切って。走ってきたん?とりあえず”お冷や”どうぞ」 「ありがとうカズエさん」 女将さんが気を利かし、運んでくれた水を一気に飲み干すとようやく一息つき、僕に顔を上げた。

「大丈夫か」

「すみません、だいぶ待たせたんでしょ?」 そう言われ、初めて腕時計を見たが、まだ6時を3分ほど過ぎていたに過ぎない。

「僕もついさっき来たところやから。。そないに走ってこんでもよかったのに」

「でも、会社出たの約束の2分前、私の方から時間もお店も指定しておきながら、かなり失礼な話やなーって、もう、そらあせりまくりで。。。」

(えーッ!ここまでたった5分で駆けつけて来たというのか)


ゆっくりな歩きだったが確か15、6分はかかっていた。 軽い驚きと感動を覚えた。 「高校の時、陸上部?」 「いえ、高校は帰宅部。陸上は中学ん時」

おそらく、彼女の心の辞書には”人を待たせる”なんて言葉はあり得ないし、許されるコトではなかったのだろう。その思いがこんな蒸し暑く雨の日なのに彼女を走らせたのだ。

「忙しい日、それも急に誘った僕が悪かったんやから。気にせんでもええから。。。」

眼の前の律儀で健気な彼女を見ていると、遠ざけようとしている自分は、何か大事なモノを失くそうとしているのではないか? そんな風に思えてしまう。

話題を変えようと 「しかしそれにしてもええ店やな、昔からのお馴染み?」 そのときタイミングよく 女将さんがビールを運んできた。 「どうもあらためまして宜しく、私。加奈ちゃんのお母さんとは30年からの親友ですの。これからも、どうぞご贔屓に」 座敷に上がるや額を畳に挨拶した。 「あ、どうもこちらこそ」

「じゃあ加奈ちゃん、おいおい料理運びますよって、ごゆっくり」そういって気を利かせるように障子を閉め出ていった。女将のカズエさんは50前後。細くて小柄だが、背筋がシャンと伸び、笑顔を絶やさず、それでいて品も良く風格もにじみ出ている。 ドラマのシーンでよく見かける料亭の女将さん的な雰囲気を醸し出している。

(やはり、お母さんとは大井屋時代からの親友なんや) 前村にそう云おうとして、ハッと口をつぐんだ。新幹線で盗み聞きした三宅と前村の会話(もしや君んち水商売?)は、僕は寝ていて知らないコトになっている。。。。 それに何より彼女のお袋さんが大井屋で仲居さんをやってた話は彼女の口から言いださない限り、誰も知らない筈だ。

「ま、そうゆうコトで。此処のカズエさん、母の古くからの知り合いなんです」 やはり・・・(古くからの知り合い)そういう表現を彼女はした。それ以上のコトは訊くべきでないということだ。

「では、本日はお疲れさま」 カズエさんが運んできたビールを僕の方に傾ける。 その仕草は妙に色っぽく艶やかだった。心が騒ぐ。。。 (いやいや冷静にならねば・・・彼女とは距離をおくべきと決めたじゃないか) あ、どうも。じゃあ前村さんも、と 注ぎ返す。 「それじゃあ、とりあえず乾杯」 何の乾杯だったか、忘れてしまったが差し向かいでグラスをカチっと鳴らした。 良く冷えたビールが空腹に染み渡る。

「私、先月ようやく二十歳を迎え飲めるようになったんです」 前村もそう言いながらも美味しそうにビールを飲み干した。(かなり強そう。飲めるようになったというのは、公【おおやけ】に飲めるようになったと云う意味に違いない)

一気に空にしたコップに再び注いでやりながら 「へー6月生まれか、誕生日はいつやったん?」 「実は先週、26日・・・」 「え、ジャンニの件で東京へ行った日やん。。。言ってくれてたらそれなりにお祝いしたのに。しかしまあ、偶然て云うかドラマを感じる話やな。。。」 「えぇ、生涯忘れられない誕生日になりました」

障子の向こうでは大勢の酔客が賑やかで、カズエさんの豪快な笑い声も時折聞こえる。が障子ひとつあるおかげで落ち着いた雰囲気を楽しめるコトが出来た。 入社以来、それなりに緊張の連続だったが、こうして前村と差し向かいでビールを飲み、箸をつついていると体の奥に溜まったモノがほぐれて行くような気がした。

「前から云おうと思ってたんやけどメガネ無い方がええやん。会社に居るとき、なんでやのん、ヘアスタイルも今の方がカッコイイやん」 前村は飲みかけたビールに (うぐッ)と一瞬むせ返り、目をパチパチさせた。

「大丈夫か」 「だって変なコト訊くから」 「変なコトかぁ、メガネにあのオバさんヘアスタイル。。。美人が台無しや思うけどなぁ」

「面倒なの」 ひとこと、そうぽつりと言った。 「え?」 (ヒッツメに後ろでダンゴヘアにする手間の方が面倒じゃないか) そう思ったがそれきり黙ってしまったのでそれ以上は訊かなかった。

煮物の突き出しに始まり、数種類の刺身に旬な“鮎の塩焼き”。ハモのしゃぶしゃぶと、豪勢な料理が次々に運ばれてきた。 一瞬フトコロの財布が気になった。 が、(来週にはボーナスが出る。それに年に1度ぐらい。。。) 贅沢な時間をとことん楽しんでやれ。そう心に決めるとあとは楽だった。 前村は結局最初の一杯と二杯目を飲み干しただけで、あとは注ぎ役に徹した。さすがに母親ゆずりなのか、勧め上手でついついグラスを空けてしまう。

普段はそんなに呑む方じゃ無かったからすっかり酔いが回り始めていた。

突然だった。

「最近、出社時間遅くなったんですね。私から遠ざかろうとしてません?目もどこか合わせてくれなくなったし」

額の髪をかきあげ、艶っぽく潤んだ目で僕の目をのぞき込んだ。

(唐突に来た!)耳の奥が“キーン”と鳴った。

「へ、一体。。。そんなあ全然。そんなつもり少しなーです。ぜーたいに。たら朝はネムイだけで、今日らって、ほだ、こんなに。トーキョーの疲れが残ってし。遠ざけよーなんて。そんら気持ち。。。絶対なゴカイ、うんぜったいなーも」 自分でもあわてふためき、しどろもどろになって行くのが途中分かる。 エアコンが効いているにも拘らず、背中を汗が流れていくのが分かった。 すると、 「あーははは」ひとしきり笑い転げたあと 「冗談、冗談ですって。つい、からかってみたくなっただけで。。。すんません。森野さんて本当正直なんですから」 彼女にしては、珍しく腹を抱えながらの本当に苦しそうな笑いだった。

「・・・・・・・」 少し、ほっとしながらも(果たして本当に冗談だったのだろうか)勘の鋭い彼女のコト。おそらく気づいていたのでは。 複雑な思いが交錯した。

その後も、ビールを注ぎ注がれ、料理に堪能し、そして遠慮の要らない二人の会話が弾んだ。 前村を間近で見てみると彼女には”大きい”ものがあった。年下のクセに何もかも受け止めてくれる包容力のような。それでいて時おり子供のような無邪気さも顔を覗かせたりする。 ゆったりとした何とも贅沢な至福の時が流れた。

「ところでピアノ教室て会社の近くなんですか?」 「あぁ、まだ云って無かったっけ。吉富町の1丁目。いつもの駅とは逆方向の」

「え、吉富病院の近所なんですね」 「へ?そういえば、少し先に病院あったっけなぁ、知ってるん?」 「今思い出したんですけど、国光常務さんをそこで見かけたコトあります」 「え!それいつの話、常務どこか悪いんやろか」 「いえ、常務さんはいたってお元気そうで。誰かのお見舞いやと思います。プロジェクトが始まる前だったから5月の終わり頃だったかな。私のコト、常務は気づかなかったですけど」

先日脳裏をよぎった (常務の野暮用)て、これだったのか。ふとそんな気がした。

「ところで、そろそろ伝授しましょうか」 一瞬、何のことかすっかり忘れていた。 「へっ。伝授て?」 「ブッ、ブー。ピアノにおける両手使いの克服法・・・」 「あ、。。。」

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似たいかなる個人、団体、地名

、などが出現しようとも 一切の関係はございません

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