小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その32

窓の向こうに 朝が来る
愛は醒めて 水になる
まわれ涙を 散りばめて
 
 あなたは まぼろし・・・・・

  / 里村龍一 作詞、浜 圭介 作曲、島倉千代子 唄「夢飾り」より

耳をつんざく電子音が断続的に鳴っている。一体なんだぁ?
首を捻った向こうに目覚まし時計があった。
うーん。。。と腕を伸ばし突起物を押さえ込み、部屋に静寂が戻る。カーテンの隙間から見える向こうはまだ濃い色。おそらく今日で4日連続の雨。それを考えると起きあがる気力はほとんど失せかけていた。さらに
二日酔いで頭が割れそうに痛い。
首を少し動かしただけで目眩がし、吐き気すら催した。が、ふと枕元のオモチャのピアノが見えた。
ハッ・・・今日は待望の木曜日。レッスンの日。。。目を凝らし目覚ましの針を確認した。まだ5時。。。。
とりあえず小便。。。そして水や。猛烈な尿意とノドの乾きがほぼ同時に襲ってもいた。
意を決しそろりと立ち上がる。
必死に手すりにつかまり、亀のようにノロノロと降りて行った。



「お、早いな。しかしなんやその顔、二日酔いか。珍しいな」
キッチンでは夜勤明けの父親が新聞を広げメシを食っていた。ワンカップ酒はすでに空だ。
(オヤジはワンカップ酒だと云うのに昨夜の倅は豪勢で申し訳ない)
心で詫びる。

「あぁ、たまらん。。。」
すると、冷蔵庫を開け、緑色の小瓶を取り出し、寄越してくれた。
「苦いけど、すぐや」
「効くんか」
「あぁ」
そう云うと新聞に目を落とし、黙々と箸を動かし始めた。

もともと会話の少ない親子だった。中学を出て39年勤めあげた金属加工会社を定年退職。今年の春から近所のスーパーで夜間警備のバイトをしていた。
夜勤明けの我が家で、一合の酒。新聞とメシが唯一の楽しみなのだ。

その小瓶は確かに苦かった。
ドロリ。不思議な感触を残し沈んで行く。だが簡単に頭痛は治まりそうには無かった。
洗顔、ましてや着替えの気力はなかった。けっきょく再び這うように階段を昇り、布団にもぐり込んだのだった。。。

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「もう7時やで、今日からまた早起きする云ってたんと違うんかいな」
母親の声で目覚めた。
「あッ」と枕元の時計をたぐり寄せた。
あの苦い薬が効いたのか、頭痛と吐き気は収まっている。が、さすがに食欲までは回復していなかった。
7時か・・・すでに前村は出勤してるだろう。
昨夜、別れ際での会話が甦る。

「でさあ、朝は何時に来てるん?」
「6時半頃かな」
「え!」
その時間に起きるのも、「早起きや」と感心される時間だ。なんとその時間に出勤しているというのだ。早朝出勤、確かに電車は“がら空き”で快適ではある。しかし早いにもホドがある。

「なんでまた?」
問いかけに答えようとした時、彼女の乗り換え駅に到着してしまった。

「またそのうち。きょうは楽しかったです。明日また」ペコリとお辞儀をし、降りて行ったのだった。そしてドアが閉まり、列車が動き出してもこっちを見つめいつまでも手を振っていた。
豪勢な席だった。旬で新鮮な料理をたらふく喰い、ビールはいったい、何本をカラにしたのやら。
それでいて勘定は要らない。と女将さんが最初云った。

「そんなの、絶対にダメですから」
「さんざんお母さんに世話になった私の気持ちやから」
「いえ、母に叱られます。気持ちだけ頂いときます」
「そうそう、それに、次ぎ来られなくなってしまいます」
僕と前村は女将さんとの間で押し問答を何度も繰り返した。

「そう、それじゃあ。。。」とようやく差し出された伝票はたったの二千円だった。

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ふたたび早朝出勤の筈が、タイムカードを押したのはギリギリ始業の5分前だった。

職場に入るなり視線を感じた。
案の定、その先。前村は給湯室に駆け込むや、お盆に湯呑みを運んで来てくれた。
あの苦い薬以外、朝から何も口にしていなかったので、ほどよく熱い緑茶に癒された。

「ありがとう」
(昨夜はどうも)
聞こえるか聞こえないかの二人の会話のあと、前村は何事もなかったように、すーと、自分の席に戻っていく。まるで周囲にとけ込む様に。


その背中を目で追いながらふと気づいたコトがあった。

職場内における前村は、地味な制服。化粧っけの全くない素顔に、あの髪型。そしてメガネ・・・
三課には独身の男性も結構居たが前村を“異性”として見る者はほぼゼロだ。勿論彼女自身、異性からの視線には全く興味も関心もない。。。そういうオーラがぷんぷんなのだが、それは敢えて自分の方からの演出ではないか。

(面倒なの)

昨夜、ぽつりと云ったその意味がわかったような気がした。
職場では異性からの誘いや恋愛ごっこなどに巻き込まれることなく、仕事のコトだけを集中したい。
おそらくそういう気持ちの現れなのだ、きっと。

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週末を控え、木曜ともなれば仕事もそれなりに立て込んでいた。

が残業をしてまで今日中に処理をせねばならない、というコトも無い。

川村課長を見た。先ほどからの長電話がようやく終わったタイミングを見計らって駆け寄った。
「すんません課長、今夜用事があるのでお先に失礼したいのですが」

「例の打ち上げ。今夜だったっけ?」
「いえ、それは明日。。。」
「だよな、今夜だったら僕も参加できたけど三宅氏、今日まで出張やから」
「あのぅ」
「あ、了解」
「すんません。ではお先。失礼します」
課長の気が変わらないウチに、とそそくさと帰り支度を始めた。
途中、前村と視線が合った。
彼女は必死で笑いを堪えている様でもあった。
(あの伝授のおかげで何とかなりそうや)

無事に社を出た。降り続いていた雨はやんでいた。本格的な夏の気配がすぐそこに来ているようでもあった。

(しかしまあ、あの伝授・・・)
石坂邸に向かう途中、復習のつもりで前村から教わったそれを思い出した。

・・・・・・・・・・・・・・
「ところで、そろそろ伝授しましょうか」
一瞬、何のことかすっかり忘れていた。
「へっ。伝授て?」
「ブッ、ブー。ピアノにおける両手使いの克服法・・・」
「あ、。。。」
「じゃあちょっと失礼」
そう言うと前村は僕の隣に座った。あぐらの僕を見て
「正座の方がええけど、ま、あぐらでもええか」

前村は正座しながら、「左手で左の膝を軽く上から叩いて見て、こんな感 じ」
「え、こう?」
見よう見まねで叩いてみる。

「イチ、ニ。イチ、二。てリズミカルに。そうそのまま、で、次右手は膝を前後に動かしてみて」
前村の動きを観察し、同じようにしてみたが、右手の動きが入ると、左まで吊られて前後の動きになってしまう。

「あ、ピアノの時と同じや」
「やはりね、たいがいの人は右と左・・・なんて云うか脳の回路が繋がって連動してしまうらしい、この練習はその回路を断ち切る訓練のようなもの」

「ふーん、なる程」
その後何度かトライする内に、少しずつコツが掴めて来た。
「あ、なんとか出来るわ」

「じゃあ左右の動きを逆にしてみて」
逆の動きになったとたん、脳の回線がパンクしてしまうのか、左右同じ動きになってしまう・・・

もし、あの時、あの二人の姿を女将さんに見られれば「一体何事か」と、
あきれられたコトだろう。だが、僕は真剣だったし、前村も辛抱強く、ドジな僕の練習に付き合ってくれたのだった。


二週間ぶりの石坂邸だった。
いよいよ特訓の成果が発揮される・・・・

はやる心を押さえインタホンを押した。

ふと庭先のアジサイが気になり覗いてみたが、やはり散ってしまっていた。

                      つづく


※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似たいかなる個人、団体、地名

、などが出現しようとも 一切の関係はございません 

 (-_-;)