小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その33

二週間ぶりの石坂邸。。 垣根に咲いていたはずのアジサイ。花びらこそ散ってはいたが、 葉は健在だった。雨水をたっぷり吸いあげ艶やかな緑の光沢を放っている。夕方とは云え雨上がりの陽は高く、その光を受けきらきらと宝石をまぶしたかの如く輝いていた。近づいた森野に、てんとう虫が慌てて葉の影に隠れた。森野にとって名前の知らないのがほとんどだったが、石坂家の庭には色んな種類の花や緑が咲き誇っていた。 船場商事のあるオフィス群からここまでたどり着くと、花や緑の“精”が放つ何かで、心も体も清々しい気分になり元気をもらえる気がした。まさに都会の中のオアシスだったと言えよう。はやる心を押さえインタホンを押した。
「ハイご苦労さまです」 鈴を転がすような声がスピーカーからこぼれる。 「あ、どうも森野です」 「お待ちしてました」 やがて懐かしい笑顔が出迎えてくれた。 ん?初めて見た時は小麦色の肌の、どこかスポーツ少女的な印象だったが、二週間ぶりの彼女は“白っぽい印象”があって、どこか大人の風情があった。 少し照れ笑いを浮かべながら僕の眼をのぞき込み 「ご苦労様です、どうぞ中へ」 「ご無沙汰でした」 「ええ、ほんとに」 後ろで一本に束ねた長い髪をくるんと揺らしながら振り返った。 透き通るような白い肩が白のサマーセーターから覗いていた。 (少し痩せたのでは?) もともと華奢な体つきだったが、肩から胸にかけての線が細く感じられ、少し気にはなった。 「まあまあ森野さんお久しぶりでございます」 祖母の美佐江さんもわざわざ挨拶に顔を出しに来られた。 「ええ先週は東京だったものですから」 「うわあ、東京。いいなぁもうすぐディズニーランドが出来るらしいですね」 レッスンが始まる前のいつもの儀式“お茶タイム”に珍しく美央も最初から参加していた。 「あぁ、何でも2、3年先らしいけど」 すると 「2、3年も先か。。」 とひどく悲しげな顔でつぶやいた。 「2、3年てあっと云う間や思う」 深く考えもせず、軽い慰めのつもりで云っていた。 その後しばらくは、東京にまつわる話で三人は盛り上がった。車窓から見た富士山の話に身を乗り出して聞き入ってくれたり、屈託のない笑い声が応接間に弾んだ。 だが、ふと美央の方に視線をやると、一瞬悲しそうな表情で眼を伏せていることがあった。 (ん?何か心配ごとでも) そう思い、見つめると無邪気な子供のような笑顔に戻ってたりする。 (単なる思い過ごしか。。。) 「じゃあそろそろ」美央が壁の時計を見上げた。 「レッスンお疲れさまです」 祖母の優しい声に送られ、僕らは二週間ぶりのレッスン室に移動した。 漆黒のアップライトピアノはデンと待ち構えており、 「よぉ、久しぶりだな」とでも声をかけられた気がした。 「では二週間のブランクがあると思うので前回の復習から」 (いよいよっ)と思った。密かに両手使いの練習をこなしてきた成果を見せる時だ。 「失礼」 横に座った美央が目の前に体を伸ばし、楽譜を置いた。 甘く薫る黒髪が少し触れた。 (うッ・・・いや何を期待してるんだ俺は。ピアノに集中せねば) 「この曲て、ショパンの“別れ”なんですってね」 慌てて、妹に教えてもらった知識を披露してみた。 「え、えぇ。それを元に少しアレンジもあるけど・・・すみません」なぜか謝ったのだった。 「え?」 「実は最初から“別れ”なんて抵抗も感じてたのです。でも単純な指送りの割に、旋律の美しさを実感してもらえるかなぁって。でもいきなり“別れ”はまずかったですね」 「あ全然、そんなことないです」 云いながら、左でソを弾きながら、右手の課題を弾いてみた。 (我ながら調子いい) 「え?いつの間に・・・かなり。。。。」 美央が驚く様子が伝わってくる。 「実は・・・・」 その後、オモチャのピアノの一件や、昨夜教わったばかりの左右使いの克服法など、正直に話をした。 「うわあ、凄い」 「えぇ、自分でも。感心するなーて思うほど、ピアノにハマりつつあり、これなら常務に追い抜かれる心配などないかなあと」 半分冗談、半分本気で軽く云っただけだった。 だが、常務の名前を出したとたん、それまでの空気が一変した。 「森野さん・・・」 そう云ったきり、なぜかうつむいたまま考えごとをしている。 「え?」 やがて彼女の唇がかすかに動いた。 「森野さん、やっぱ内緒には出来ないです・・・」 「え、何を?」 「国光さん。。。」 「国光常務?」 「はぃ」小さく頷いた。 「常務がどないかした?」 そう言えば月曜から顔を見ていない。 「森野さんには内緒に、って口止めされてるんです」 え、いったい何を。 そう聞きたいのを我慢して次の言葉を待った。 彼女なりの苦渋の表情が見られた。余程のコトなのだろう。 「国光さんがピアノを習うきっかけ、実は奥様の誕生日に披露したい。そう云うコトなのです」 「あ、なんだ。そのコトだったら聞いてる」 『ある人を感動させたい』最初に常務が云った言葉を思い出した。 ある人って、奥さんだったのか・・・ 「内緒にする程のコトでも無いのに」 笑いながら云った。 それでも美央は下を向き、思いつめた表情のままだった。 「ん?」 「奥さま、入退院の繰り返しで、かなり進行してるそうなんです。先週金曜のレッスンの途中も、病院から呼び出しの電話がウチにまで。練習も中断し、直ぐ駆けつけられました」 「え!そんなぁ」 前村が近所の病院で常務を見かけたという話も突然思い出した。 「実は月曜から常務を見かけて居ないんです。てっきり出張か何かだと。。病院と云うのは吉富病院?」 「えぇ、この先の」 すっかりピアノどころではなくなった。 歩いて数分足らずだった。 が、いきなり駆けつけるのも変だ。躊躇していると、 「あの、国光さんのご自宅の電話番号知ってますけど」 あ、なるほど。とりあえず・・・ 「電話お借り出来ます?」 「えぇ、私も気になっているんです」 電話を借りるコトにし、応接間にふたり戻った。 もし留守なら病院へ駆けつけるコトにしよう。そう云いながら受話器のコールを数えた。 だが、コール三つで相手は出た。 「はい国光で御座います」 どこか聞き覚えのある声だった。 「あ、どうも船場商事の森野と申しますが常務はご在宅でしょうか」 すると、 「まあ、森野さん。。。」一瞬の沈黙のあと「いつもどうも。少々お待ち下さい」 受話器の向こうから (お父さーん、森野さんから電話)と呼んでるのが聴こえた。 パタパタとスリッパの音が聞こえ、(え、森野から)と声がし、 「はい、国光です。森野かどうしたこんな時間に」元気そうな声が響いた。 美央を振り返り、「居るわ」指でOKサインを作った。 横で耳を澄ましていた彼女もようやくホッとしたようだった。 「あ、どうも夜分にすみません、いえ月曜からお顔をお見かけしなかったものですから、一体どうされたのかと」 「はは、ちょっとした野暮用や、心配おおきに。あ、この時間ピアノのレッスンだろ、もしや家内のコト聞いたか」 「あ、いえ全然。美央さんは何も。今休憩中なので、ところで先ほど出られた方、お嬢さんですか」 話をはぐらかす為、咄嗟に出た。 すると、 「あぁ、君も知ってるやろ、会社では秘書をしてもらってる」 「えッ、あの田代さん。。。。」 先ほどまでの心配も吹き飛び、受話器を握ったまま呆然とした。 ライラックの花瓶が目に入った。 少し枯れ始めていたのを、その後しばらく気になって頭から離れないで居た。 美央は、まずは一安心。そう云った表情をふりまき、そっと離れた。 彼女の背中の細さも、やはり気になり頭から離れずに居た。 つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、などが出現しようとも 一切の関係はございません (-_-;)