小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その34

ようやく国光常務との電話が終わった。 (明日はいつも通り出社やから心配には及ばない。もちろんピアノも予定どおり伺う。美央さんに宜しく伝えておいてくれ) の言葉にひと安心した。 しかしまあ、あの田代さんが常務の娘だったとは。。。

あ、と再び中学時代の記憶によみがえるものがあった。 教育実習生と、クラスの生徒たちとの間でやりとりした会話。。。 授業科目は英語だった。。。 「先生の発音て、ガッコの先生より凄く自然で分かりやすいです、本物の英語て感じ」 「あらまあ、それはどうもありがとう。高校までニューヨークに住んでたおかげかな」 「うわあーカッコええ」クラスじゅうから感嘆の声が上がった。 「ご両親と一緒に?」 「ええ、父は商社マン・・・」

そういえば。。。 ジャンニビアンコの一件で、国光常務と交わした言葉も唐突に思い出した・・・ 「わし、英語なら自信あるがイタリア語はまるでチンプンカンプンや」 「え、常務が英会話。。。商社マンなら当たり前なのでしょうが何となく意外ですね」 「はは、こう見えてもニューヨーク暮らしが長かった」・・・

間違いない、田代ひとみはあの時の教育実習生だ。。。確信した。

それより。。 病気の進行。。。一体どこまでなのだろう。吉富病院のような小さい病院で大丈夫なのか。。。

応接室で背伸びをし、肩をぐるぐる回した。軽い屈伸運動の後、重い足取りで部屋を出た。あれほど楽しみにしていたピアノのレッスン。。すっかり心は萎えてしまっていた。 (あの常務にピアノを習う背景に重いモノがあったなんて。。。) レッスンを終えた翌日の無邪気な笑顔を思い浮かべ、今でも信じたくない気持ちだった。

部屋に戻ると、いつのまにか、あのガラステーブルが用意され、美央はエプロンを着込みサンドイッチやジュースを並べている最中だった。 (え、もう休憩?) 「休憩には早いけど、おそらく気分の入れ替えが必要かなぁって」 妹とひとつしか違わないのに気が利く。この心配りは非常に嬉しいモノがあった。

「どうもすみません」 「で、どうでした国光さん?電話の様子では普段通りみたいでしたけど。それと口止めのコト何か仰ってられたのでは」 「ええ、いつもの元気そうな声で安心しました。明日から普段通りの出社とのコトです。おそらく奥さんの容態、落ち着いたんじゃないかな。あ、それと美央さんから何か聞いたかって云われましたけど、勿論否定しておきました。僕は奥さんの事など、何も聞いていないコトにします。あ、もうひとつ明日のレッスンは予定通りやから宜しくって」

「すみません、ありがとうございます」 ようやくほっとしたのか、顔の表情が変わった。 彼女なりにずっと気がかりだったのだろう。 エプロンをとり、お粗末ですがどうぞと、言った。 サンドイッチのすき間から覗くドレッシングの香りが鼻腔をくすぐり、すっかり空腹だったことを思い出した。 今日は朝食抜きで出社し、昼はうどんと、おにぎり一個だけだったのだ。 「うわあ、おいしそう、遠慮なくいただきます」 オシボリで手を拭うや、大口を開けた。 前回同様、感動的な味が口の中一杯に広がる。 「すごく美味しいです」 彼女はと見れば、僕が美味しそうに平らげるのを、またもやじっと目を細め見届けているだけだった。 「いつも僕だけ・・・美央さんも」 「ありがとう、さっき味見しながら充分頂いたので」 前と同じセリフをつぶやき、ストローでアイスコーヒのグラスをかき混ぜた。その仕草に、なぜか惹かれるものがあった。 伏目がちの表情に憂いがあったのだけれど、その時は気付かずに居た。

「でさあ、吉富病院て、一度前を通っただけやけど、かなり小さいちゃうん?大丈夫やろか」ふと訊ねてみた。近所の評判は何かと詳しいだろう。ただそれだけのことだった。

すると 「確かにね。外見だけだったら小さいので不安に思われるかも、でも消化器系で評判の名医が居られるんです。国内だけでなく海外からも注目の」 「え、そうなんだ。やっぱ詳しいね」 二つ目のサンドを口に入れた。 自然に出た言葉にすぎない、しかし彼女はすごく慌てた様子を示した。

「あ、いえ、そのぅ。詳しくは私も知らないです。ただ近所の評判は何かと耳に入るので」 その慌てぶりが少し気になったものの、 「ふーんそうなんや」と 深く考えもせず返事しただけだった。

結局この日も、ひとりで平らげてしまった。 「いやあ、二日酔いで朝からろくに食べて居なかったのですごく助かりました」

「え、森野さんも二日酔いするコトあるんですね」 「いやいや、普段は殆ど飲まないです。ある人の誕生日会のようなものだったので。。さっき云ってた【ピアノにおける両手使い克服法】もそこで・・・あはは」

少し脚色もまじえながら云った。両手使い克服法の伝授がそもそもの目的な飲み会で、女性と二人きりだったとはさすがに言えなかった。

すると 「わ、いいなあ誕生会・・」 ぽつり云ったあと、あ、しまった という顔をした。 「え、何が」 と訊いてもしばらくはうつむいたままだった。 気になって 「誕生会がどうかしたん」 「実は来週、私も・・・誕生日なんです」 幼い子が“いたずら”を白状するように、上目づかいでぺろっと舌を出した。 「え、とうとう16歳かあ。おめでとう、来週のいつ?」 「7日・・」 「うわあ凄い七夕の日。ロマンティックやん」 「う、うん」 だが彼女の表情には寂しさがあり気付くものがあった。 (え、あ、そうか・・・ご両親は海外、家には祖母だけ) と、 「7日は月曜か、前の日でよかったらお祝いしたいなあ、日曜は空いてる?」

思い切って誘ってみた。 すると、ぱッと表情が明るくなり 「え、本当ですかぁ?」と満面の笑顔になった。 しかし、あ、と小さく云ったあと 「ちょっと失礼」慌てて部屋を出た。 しばらくして戻ってくると、手にはピンクの手帳を携えていた。 (お嬢ちゃんじゃなく、石坂美央と申します)と国光常務に名前を示したあの手帳だ。

「もろ、コンサートの日」 ひどくがっかりした表情を見せた。 「美央さんの?」 「いえ、知り合いの方。母の教え子だった方なんです」 「なんやピアノコンサートか、僕も一度聴いてみたかったんです。一緒に行ったらええやん、お誕生会はそのあとで」 「え、本当?」

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このあたり、彼女には15、6の子供っぽさが出ていた。 喜怒哀楽が正直に現れていたのだ。 彼女が、最初に見せた寂しそうな顔。最初、誕生日の予定は非常に孤独なものだったのだろう。 そして誘ってみたあとの彼女の満面の笑顔。嬉しそうに弾んだあの声。 勇気を出して誘ってみて良かった。 心底そう思ったのである。

そして、あのあと肝心のレッスン。。。 知らないうちに時計は8時半を過ぎていた。 「今夜は予定が狂ってしまいすみません、肝心のレッスン出来なかったですね」 「いえ、何となく滅入った気分になってしもうて、僕の方こそ」 「その代わりと言ったらなんやけど」 と中央に座り、鍵盤を叩き始めた。

心を揺さぶる激しいものがあった。 最初は静かな旋律。やがてアップテンポしかも激しい速さの指使い。この世にこんな素敵な曲があったのかと思うほどの感動曲だった。

音楽の力て、やはり凄い。 途中、涙がこみ上げ、そしてとうとうこぼれてしまった。後ろを向き、何度もハンカチを押さえた。

「日曜日のコンサート、彼女の得意な曲なの」 弾き終えるなりポツリと言った。彼女の細い肩は激しく波を打っていた。

初めて聞く名前だった。 リストの“ラ・カンパネラ”僕は頭の中で何度も繰り返し、刻み込んだ。

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、などが出現しようとも 一切の関係はございません

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