小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その38

ふと、今でも僕はあの夜、何ゆえあの横断歩道を渡り、あの公園に向かったのだろう。
そう考え込んでしまうことがある。
色々な思いが錯綜し、堂々巡りを繰り返すのが常なのだが、結局のところ、純潔で氷のような透明感を持つ石坂美央に対し、梅田のゲームセンターという喧騒と雑多な空気を吸わせてしまったことに対する反省と、一種の浄化作用への願いから、あの公園に向かわせたのだと。。。結局思考の最後はここに落ち着く。だが、
僕を待ち受けていたもの・・・

大阪の繁華街、梅田を南北に貫く幹線道路”新御堂筋”は片側4車線、両方で8車線、さらに路側帯を有し、中央には広めの分離帯をもうけた幅おおよそ50メートル強もある道路だ。それを横切るには当然ながら延々と続く歩道をあるくことになる。
ほろ苦い思い出となった23階の、あの窓から眺めた牧歌的な街の表情も地上に降りてみれば、車の騒音と人々の喧噪や熱気が渦巻いていた。
陽が暮れた分、ネオンや街灯の人工的な光は煌々とまぶしさを増していた。

美央が歩道の手前で突然いった。
「私と勝負しません?」

「え、何を?」まだ酔いから醒めていないのか、どきっと振り返った。
「この歩道。白い線だけを踏み、どちらが遠くまで渡りきれるか。負けた方は勝った者の言うことに絶対服従しなくちゃならないの」

鈴を転がすような特徴ある声は戻っていた。目元はすでに酔いから醒め始め、愛くるしい瞳は取り戻していた。が、なんとなく言葉に剣がある。
シャンパンはよせ、そう叱られたことをまだ根に持っているというのか)

あらためて表情を覗き込んだ。だがそこには子供のように無邪気な笑顔がただあった。そして美央の視線のさき・・
距離こそあれ白線の間隔はもちろん統一されている。しごく簡単な勝負に思えた。彼女はハイヒールとは云え、180センチある身長の僕が断然有利に決まってる。

「楽勝やん僕が勝つに決まってる」
「あ、その言葉忘れたらあかん」
反対(車)側の信号が黄色になり、身構えた。繁華街ではあるが阪急前ほどの大混雑ぶりは無く、対面からの人の波は少ない。勝負に邪魔されることもなさそうだ。
ようやく青になった。
「じゃあ、せーの」美央のかけ声で第一歩を踏み出した。






(最初の一歩さえ・・・)
いつもは意識することなく踏んでいた白線。。
無事にど真ん中を捕らえる。
この調子で・・・二歩、三歩。。。と、だが
え?まさか。四歩目からは微妙に後退し始めている。
美央はこちらの足元を見つめ、案の定やねとでも言うように笑った。
ではお先に、とばかり
すい、すい・・ゆっくりな足取りではあるが大股でしかも的確に白線だけを踏みながら先を行った。

(え、そんなアホな。まだまだ、次の一歩で体勢を挽回・・・)
だが時すでに遅し、じわり後退していた足の位置。次の一歩はさらに遠ざかっていた。そしてとうとう八歩めには白線でない所を踏んでしまったのである。

国道の両側を渡りきるどころか、片側車線、しかもその途中で脱落してしまったのである。

中央分離帯で立ち止まりこちらを眺めていた美央は、

「イエーい、」とガッツポーズをした。
「ごめん、今のはなかった事に。次の車線が本番勝負や、お願い」
「えーそんなのずっこい(ずるい)」
言いあっているうちに信号機が点滅を始めた。しかたなく中央分離帯で次の青を待った。

「今度こそ言い訳は絶対なしやから」
「あぁこれでも男や、約束する」
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
だが
結果は同じだった。意識し大股で歩いたハズなのに、途中から後退を始め、残り三本というところでとうとう踏み外したのである。
なにか狐にでもつままれた気分だ。
美央はといえば、余裕な足取りで、最後まで白線だけを踏みしめ、悠々と渡りきった。

「まさかの完敗や、何か調子出えへんわ。秘訣あるん?」
「あはは、秘訣なんて特にないよ、ただ、他人の足取り観察してたら見えてくるかも」
言いながらゆっくりな足取りで公園に向かい始めた。

「ね」
満面の笑顔で振り返り「見えた?」
「もしや・・・ゆっくり歩くだけ?」
「ピンポーン」
「え、そうなんや」
歩道を振り返って他の人たちの足元を観察した。
ゆっくりな足の動きの人ほど、やや大股になっている。
自分の場合、たしかに言われてみれば先を急ぐあまり、けっこうな早足だった気がする。そのくせ歩幅が狭かったのだ。

「それと、一歩めが肝心。森野さんは真ん中を踏んだでしょ、一歩めの位置は出来るだけ前に。はみ出すギリギリの線から始めなきゃ」

「なるほど」

「あとは意識し、できるだけゆっくり歩く。すると軸足の方は長くとどまり、踏み込むほうの足は自然と大股になるの」
その口調はふと、指くぐりの練習の時を思い出した。
美央はいつの間にか教師に戻っていたのだ。
「なるほどね」
若いのに何でも知ってるんだな、と感心していると
「あはは、イエーイ勝ったぁー」声が弾けた。

問題はそのあとだった。

「わたしの勝ちやから」
言うや、するりと腕をからませてきた。
「え。。。」
妖しく、なまめかしい腕の感触にどぎまぎしてしまった。
ふわり、と甘い香りが胸を揺する。
脳内で あのラ・カンパネラの鍵盤が響く。

(落ち着け、美央は妹のような存在じゃないか)

「ねえ森野さ・・・」
首をかしげ僕の耳元で何ごとかささやいた。熱い吐息が僕の理性の邪魔をする。

(・・・・)

後ろの信号が変わり、走り出した車の騒音で彼女の声が途中かき消される。
ここまで来ると、人通りは少し途絶えていた。
「え、なに?」
すると絡ませた腕をするりと外し、背中に回り込むや、ひょいと飛び乗った。

「あ、おいおい」おぶさったままの格好で立ち止まる。
「勝ったご褒美。。。そこの公園まででええから、ハイヒールの足、じつは痛い。。。」
もちろん見えはしなかったが、美央が顔をしかめ、口を尖らせる気配が感じられる。

―――ずっと我慢してたというのか。
ドライバー達の目が気になったが、足の痛い妹を背負う兄を演じようと覚悟を決めた。

「仕方ないなー、負けは負けやから。そこの公園までやで」

冷静な声のつもりだったが、震えていた。

「うん。あは楽ちん」腕を首に巻きつけてきた。
背中に美央の温もりが伝わる。
「ねぇ、重い?」
吐息が首をくすぐる。
「いや、全然軽いわ」
実際、拍子ぬけするほどの軽さだった。
「なぁ 、この前から気になってんやけど、少し痩せたんと違うか?」

「う、うん。でも今日はめっちゃ食べれたし、シャンパンおいしかった」
首元でしゃべられるたびに、こそばい。

「あ、こそばいって」
思わず首をすくめる。
すると わざと息を吹きかけてきた。
「あーやめろって」
「ねぇ、まだ怒ってる?」
「何を」
シャンパン・・・」
「あーやっぱ、覚えてるんや、酔っぱらってたこと」
「えへへ、森野さんの叱った顔、初めて見た・・」

ようやく公園に着いた。
風など吹いては居なかったが、木々の葉っぱのざわめきが心地いい。
空いたベンチを探した。

わ、ナニこれ
背中で突然、声を上げた。
「え、どうした!」
思わず
振り返った時、愛くるしい瞳があった。

やがて彼女の唇がすぐ目の前にきて
「今日はありがとう」
素早く言うや、僕の口を塞いだのだった。

                      つづく




※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
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