小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その41

「らっしゃい」ゃい」 戸を開けた瞬間に飛びこんできた二人の声は重なっていた。小柄だが、浅黒く精悍な顔つきの主人と眼があった。 「ようお越し、せんだってはおおきに」「いえ、こちらこそ」思わず頭を下げた。 たらふく飲んで食べたにもかかわらず、二人分の勘定はたったの二千円だった。 女将さんは「まあまあ、ようこそ」と言いながらカウンターをくぐり出てきた。

「カナちゃん、待ってますよってに。どうぞこちらへ」「どうも」 あいかわらず、店の中は大入り満員だった。 テーブル席とカウンター席の間を「すみません、失礼します」と言いつつ通り抜ける。

既に”出来上がってる”先客たちはちらりと振り向くと「ようお越し」と声をかけ、真っ赤な顔の男が「おっかあ、中ナマ追加な」「へぃ、おおきに」と、騒々しい中にも家族的な雰囲気が漂っていた。

「いやあ嬉しいわあ。また来てくれたんやね。あ、そうそう」 女将さんは何かを思い出したようにポケットから名刺を取り出した。 「森野さんあらためまして、浪速の案山子(なにわのかかし)、村本一枝と申します」

「え、あ、どうも森野です」あわてて鞄の中の名刺入れを取り出そうとした。 すると女将は「あ、御名刺はかまいませんよって」と僕の手を押さえ、 「ふつうカカシって読みませんものねぇ」そういってころころと笑った。

「は、はぁ・・・」 どうやら朝の一件は前村から聞かされたようだ。

「カナちゃん、開けるわね」女将は障子を軽くノックした。「はーい」 前村はちょこんと正座をし、本を読んでいた。 「よっ、お待たせ」「お疲れ様」 「じゃあ、すぐに運びますよってに」女将さんは僕の靴を揃えながら前村に目配せをした。 「カズエさんお世話になります」 「またそんなぁ、つぎ他人行儀なコトゆうたら、しまいに怒るよ」 言いながら障子を閉めた。もちろん目は笑っていた。

「ごめん、遅ぅなって」 「ううん今7時になったとこ。泉州、お疲れさまでした」 「あぁ、泉州アパレルな・・・・」 田園や畑に囲まれたのどかな光景が甦った。 「静かな環境の、ええ会社やったわ・・・あーそれより前村。案山子のコト女将さんに言ったやろ」 前村はまるで親に叱られた時の表情を見せ 「ごめんなさい」ぺこりと頭をさげ 「だって、今年の一等賞なんですもの」一転、思い出したように笑い始めた。 この笑顔のまま今宵を過ごせるなら、どんなに幸せだろう。。。

そう思うと、重くのし掛かってくるモノがあった。

※ 「え!秘書の田代さんて、国光常務の娘さん。。。」 前村の驚きぶりを見ると彼女も知らなかったようだ。 「あぁ。。ほんでさあ前村、もっと驚く話。。。」 もったいぶって反応をうかがった。 「うん」案の定前村は、手にしていたジョッキをテーブルに置き、身を乗り出した。 「田代さんって、中学校ん時、教育実習に来てた先生の卵やってん」 「うわー」 「この前、直接訊くチャンスがあって確かめてん、そしたら田代さんもかなり驚いて、お互い(うわあー)って。なんか運命を感じたわ。けど結婚されててご主人は単身ニューヨークやねん」 「ああそれで名字が。けど奇遇て言うか凄い話。。。それにしてもよく分かったね」 「おーそれそれ、実はコロンの香りが。。。」 本題を忘れ(というより、言い出せず)たわいのない話で盛り上がっていた。前村は男女という枠を越え、何でも気兼ねせず言い合える親友のような存在でもあった。 (この調子でいよいよ、あのコトを。。)

だが、話題はピアノの方へ。。。 「で、どこまで進んでますの?」 一瞬、美央との関係を訊かれたのかと、ドキっとするものがあった。 やがては、美央さんとの関係を言うべき時が来るんだろうな。なぜかそんな予感がした。

「あ、レッスンね。この前から和音の練習が始まって。。。これがまあ厄介なんだわ」 枝豆をプチっと押し出した。 「和音かぁ・・・それさえクリアしたらあとは慣れだけの勝負やね。ひたすら繰り返し、身体ちゅうか、指先に覚え込ませ」 言いながらどこか羨望の眼を向けた。 「前村もピアノ続けたかったんや」 「ええ。。まあ」眼を伏せ、箸の先でおでんの大根を器用に小さく分け、口に入れた。 なんとなく湿っぽい空気が漂い始めた。

それを振り払うように 「やっぱ夏は生に限るな」 ジョッキグラスをつかみ、ぐいっと喉を鳴らした。

そろそろ本題・・・ 「ほんでさあ。。。前村さん」 それまで前村を呼び捨てに言う程の仲になっていたが、さん付けで呼んだ。 崩しかけていた体も座り直し、真正面から見据えた。

「えぇ・・」 「ほんでさあ・・・あの。。。」 「はぃ?」 よほどアルコールに強いのか、前村の瞳はいつもの冷静な輝きのままだ。今夜は何杯もおかわりをした筈なのに。前村も姿勢を正すように座りなおし、正面から僕を見据えた。なぜかそれだけで気押されてしまい、狼狽してしまった。次の言葉がなかなか出てこない。

仕方なくもう一度ジョッキグラスをあおった。 「あーやっぱ止めや、俺は何も知らん、聞いてへん」 「何を?」 店の方からは女将さんの豪快な笑い声がひっきりなしに響いていた。 この店の繁盛は女将さんの笑顔と、料理の旨さだ。ふと、前村を実の娘のように可愛がってる女将さんもあの話を聞かされたとすれば、どんなにショックを受けるだろう。。。そんな思いがよぎった。

「すまん、何も無いねん」 ふてくされたようにもう一度ジョッキをあおった。 「えーッ、そんなぁ。何かあるて顔に書いてます、何ですの?」

「いや、何もあらへん」 ちょっと小便行ってくる。と席を離れた。 しばらくして戻ってきた。が、前村はまんじりとせず、正座のまま僕を見据えた。

「だから何です?」 「無いて、何も」 「正直に話して下さい。何言われても私、平気ですから。こう見えても打たれ強い。うん。」

「そんなことないやろ」 「おそらく森野さんの百倍ぐらい打たれ強い」 言いながら前村も、ぐいっとジョッキをあおった。 (彼女の場合そうかも知れないなぁ。)そんな思いがした。それでようやく覚悟を決めた。

「じつは今日の朝、同期の奴に久しぶりに会ったちゅうか声をかけられてん。。。」 「えぇ」 「そいつ斉藤って名前。。」 「はぃ。。」 この時点までは、にこやかな表情があった。 「斉藤の所属は貿易部で徹夜明け・・・」 貿易部を口にしたとたん、前村の表情に変化があった。 手に持っていたジョッキをテーブルに置き、おしぼりで手を拭き、静かに視線を僕からそらした。 前村のコトだ。僕の口が何を言わんとしたのか察知したと云うのか。

「あのさあ、前村・・・」 「えぇ・・・」

突然、君塚って男(やつ)に怒りを覚えた。 なぜ本人が言わないのか。部下の斉藤に言わせようとしてたのではないか。もしそうなら男として最低だ。 そんな奴の為にこの前村は。。。別れるなら早いうちや

「その斉藤がおかしなコトを言うんや・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「森野さん・・・」あえぐように言ったあと、畳に手を付き、うなだれ、背を向けた。 肩は少し震えているようだった。 百倍も打たれ強い筈なのに明らかに動揺があった。

ふいに、国光から聞かされた“宿命”のコトまで思いだしてしまった。目の前にドンッと云う感じだった。 (何もかもこの子は背負い込んでしまってるじゃないか) そう思うと、こみ上げるものがあった。

あ、やばい、俺が泣いてどうする。 だが、ついにぽろぽろと、涙が出てしまった。 (どうもピアノを習い始めてからと云うものの、涙もろくなった気がする)

「なぁて前村。打たれ強いって言ったやん、笑顔見せてや」 涙声だった。 すると、 「え、森野さん泣いてる」と振り返った。 「泣いてないわ」思わず背を向けた。 「なんで森野さんが泣くん」 言った前村も涙声だった。。。。

女将さんとまたもや押し問答の末、ようやく僅かばかりの勘定を払って店を出た。 お手洗いに行っていた前村は少し遅れ出てきた。 店先で女将さんの笑い声が聞こえ、前村の笑い声も聞こえ、二人でお互いにお辞儀しあっている。

少しほっとし、胸を撫で下ろした。 もちろん前村のコトだ。僕に心配をかけまいと虚勢を張っているのだろう。 ぶらぶらと駅へと歩き始めた。

「お待たせ」 前村は、元気良く追いつくと、 「いやあ、今夜森野さんと一緒ってわかってたなら、ハイヒール履いてくるのに」 「え」と見るとかかとの低い、スニーカーだった。

「それより、もう大丈夫なん?」 「言ったでしょ、百倍は打たれ強いの私」

「早朝出勤はもうせえへんのか」 星を眺め、言った。 「うーん、それはどうかな、早い朝の空気も捨てがたいし。。。 あ、そうや」 言うやするりと、腕をからませてきた。 「え。。。」 「明日から森野さんに作って来ようかな、お弁当」 「そんなぁ・・・」 「あは、冗談。冗談よ」 からめた腕をするりと外すや、くるりと背を向けた。

「前・・・」呼びかけようとしたが、 その背中は震えていた。 またもやこみ上げるものがあったのだろう。 なにもしてやれずに、しばらくそのまま佇んでいた。 風もなく、ぎらつくような熱い夜だったが、空を見上げると無数の星が煌いていた。

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名

、地名、などが出現しようとも 一切の関係はございません

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