小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その48

「ワシも。ちょいと失礼」
国光が木内社長と入れ替わるかのように、席を立った。
「しかしまぁ思いの外、元気そうで安心しました」
木内社長がビールを傾けてきた。
「あ、どうもすみません」
ビールを受けながら、(家庭の事情はどこまでご存じなんだろう)
木内社長に訊くチャンスが来た!とばかり徳利を差し向け言った。
「あのぅ木内社長」
「えぇ」
奥さんの事はご存じで?」
すると
「彼の? え・・まぁ」
木内は酒を一口呑み、え・・と反応したがすぐさま、(まぁ)と返した。
(やはりご存知だったのか)

すっかり知っているものと決めつけ
「さきほどの元気は、僕らの前だけなのでしょうね。おそらく」
と言ってしまった。

すると木内社長の表情が一変した。手に持っていたグラスを置くや

「森野さん、彼に、いや彼の奥さんに一体何の事情があるのでしょう、教えていただけませんか」と頭を下げた。






「え、ご存じでは・・・なかった?」
「はい、奴は今まで家庭の話など一切しません。プライベートで会うときでさえ仕事の話がほとんどで。ところが先日、何の前触れも無く(君の奥さんは元気か)と、寂しい表情で訊くんです。(まあ一応)と答え、それが何か?と訊きなおしても(いやなんでもない)と、それきり。一瞬気にはなったものの、特に意味など無かったのだろうと。でも後になってふと思い出すと、妙に引っかかるものがあり気にはなっていたんです。ほら先日。彼が不在の日、急にお呼びたてした日があったでしょう」

「えぇ」
「あの日アポの約束とりつけていたんです、実は」

「えー。そうだったのですか。。。それは大変失礼致しました。しかし・・・」
本人が言いもしない”家庭の事情”をこんな僕が喋ってしまうのは気が引ける。どうしたものかと黙っていると

「お願いです。貴方から聞いたなんて絶対口外しませんから」
「ですが・・・」
「お願いです。この通り」
「でも・・・」
「お体の具合なんですね、彼の奥様の。どこまで進行されてますの」
探りを入れるかの言葉に、ドキッと反応してしまった。
「あ、その顔」
「いえ、僕はなにも。。。」
「そう仰らずに。。。事態は深刻なのでしょうか」

「僕も詳しくは。。。」
とうとう根負けしてしまい、

「聞いている範囲ですが・・・・」
と、喋り始めたのだった。酔いのせいもあったろう。それに石坂美央に対する心配も不意にもたげ、頭の中が混乱し始めていた。

そしてとうとうピアノの一件まで喋ってしまった。木内に喋ることで背負った荷物の半分でも負担してもらえる。そういう一種、甘えのような気持ちも湧き始めていた。

「なんとまあ。。。。」
木内は絶句した。だがしばらくすると
「あぁそれで。。。おかげで納得しました。このあとご一緒しませんか」
にこやかな表情で訊いてきた。

「このあと?」
時計を見た。9時を回ったところだった。美央に電話をしなければ。。。
木内は ここから10分足らず。宗右衛門町のバーの話を始めた。

「6月だったでしょうか、ピアノの響くバーでも繰り出そうやないか、どこか心当たりはないかと訊かれ、紹介がてら彼を連れて行ったのです。国光はそこがすっかり気に入ってしまい、今や私以上の常連客のようです。どうも独りで時おり通ってるようで」

「なんとなく似合いそうですね」独り止まり木に座る国光を想像した。

「あ、そういえば面白い話が」
木内は笑いをこらえるような表情になった。

「何ですの」

「そこのマスターは寡黙で口の堅い方ですので一切教えてくれませんでしたが、顔なじみの客が言うには、ある夜奴がピアノの前に座っていた。そう言うんです。いくらなんでもそりゃあ無いだろう。酔って、幻でも見たんとちゃうか。その方と言い争いになりかけたことがありました。結局、なんらかの拍子に座っただけかも。話はそこで落ち着いていたんですけどね。ですが先ほどお聞きし、今までの謎が解けました。バー通いの目的はおそらくピアノなのでしょう。しかもあいつがピアノ教室だなんて。すべては奥さんに。。。」

言って木内は下を向いた。肩がすこし震えている。

てっきり(思い出し笑い)でも始めたのか。木内の肩を眺めていると、

森野さん。悲しいです。やりきれんですわ。今夜はこたえました
そう言うや眼鏡を外し、長いあいだおしぼりで目頭を押さえていた。

                       ※

「あと一軒、例の鳥越。。。」と木内は国光を誘ったが
「すまん。今夜はそろそろ帰らにゃならん」
事情を知ってしまった木内は、引き留めも出来ず
「そんなに云うなら、じゃあこの次また」

「あぁ、次回は必ず。次はワシが驕る。今夜はおおきに。森野もご苦労やった」

「どうもお疲れさまでした。では明日会社で」
そういって僕らは国光と大井屋の前で別れた。
しばらく国光の背中を見送った木内は
「こうして見ると背中が寂しいですね」
ぽつりと言い
「じゃあ森野さん、少しだけ付き合ってください」
「ありがとうございます。でも・・・」
美央の顔が浮かんだ。だが、
ピアノがあると言うバーにも興味が沸いていた。

(あとで電話してみよう)

・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
歩くこと5,6分の場所だった。
「ここです」木内が指さした。
"BAR鳥越”筆文字で書かれた木の看板が渋い。
「らっしゃい」
木内が言うように、寡黙を絵に描いたようなマスターの声だった。
僕らに視線をやることもなく、懸命に磨くグラスにだけ注いでいた。
だが 店に入った瞬間、なぜか暖かい空気を感じた。
看板同様、店内も静かで渋い雰囲気が漂っていた。国光が好みそうな店だと一瞬でわかった。カウンター席の奥でカップルが肩を寄せ合い、グラスを傾けていた。

ピアノ。。。。はと探すと、奥にあった。
小ぶりながらも本格的なグランドピアノだった。

木内は マスターの目の前に座った。
「マスター、いつもの奴。あ、森野さんは」
「すみません、とりあえずビールで」
こういう場所で、何を注文するのが正解なのか迷ったが、ビールしか経験がなかった。

「かしこまりました」
寡黙なマスターは、うやうやしく礼をした。

視線がピアノに行き、美央の顔がまたもや浮かんだ。
「すみません、電話をお借りしたいのですが?」

「あ、電話やったら店出たすぐに公衆があるわ」木内が言った。

手帳を片 手に表に出た時だった。

「え!森野さん?」
声の方を見れば 前村加奈子が買い物袋を提げ、立っていた。

               つづく




※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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