小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その51

こころなしか、垣根から見える花たちには、どこか淋しげな表情があった。
思わず空を見上げた。
抜けるような青空。こんなにも小春日和の穏やかな日だと云うのに。

「くれぐれもご心配は無用ですから」
美佐江さんの言葉だったがその日の午後、僕は私用外出の許しを川村課長から得、泉州アパレルへ行く前に立ち寄ったのだった。
石坂邸の閉ざされた表門のインターフォンを押し、数十秒待ってみた。


案の定、応答はなかった。
来る途中、いきなり来たところで留守かも知れない。との予感はあった。
その場合、迷わず吉富病院へ立ち寄ってみよう。そう心に決めていた。
(確信はない。が、なにかあるとすれば吉富病院に違いない。たとえ居ないとしても、国光常務の奥様が。。。お会いできるのならご挨拶だけでも。決して無駄足にはなるまい)

では、と歩き始めふと立ち止まった。オフィス街のビルに囲まれ、けなげに佇む瀟洒な邸宅。国光に連れられ初めて来たのは6月なかばのことだったか。指折り数え、まだ半年も経ってない事実に唖然とした。
半年どころか数年も経ったような感覚がある。
ピアノレッスン。。。最初は憂鬱の種(タネ)以外の何ものでもなかった。不安と緊張から始まった石坂家とのつき合い。しかし思いも寄らず美央や美佐江さんとの出逢いがあり、ピアノとの出会いがあった。かけがえのない、とてつもなく感動の日々。だがそれらは遠い昔のことのように思え、もう二度とやってこないのでは。。ふとそんな予感がかけ巡った。

いま一度この家、そして庭の花や木々たちを目に焼き付けておこう。道行く人が怪訝そうな顔でこちら側を振り返った。だが、気にも止めず僕は、長いあいだ眺めていた。
          
                       ※

吹き抜けの玄関ホールにはめずらしく天窓があり、明るい日差しが射し込んでいる。
バロック音楽のBGMが静かに流れていた。まるで教会にでも紛れ込んだような世界が広がっていた。
病院特有の湿っぽい陰りなど、どこにも見あたらない。
入り口から少しの所に受付らしき窓口があり、
一般企業のOLのような制服の女の子が座っていた。
「すみません、石坂美央さんの部屋は何号室でしょう」
前もって用意していたセリフを吐いた。いきなり部屋の番号を尋ねた方がすんなり教えてくれそうな気がした。
もちろん一方で
(いえそのような方は入院されてませんけど)
そう告げられるのを期待する気持ちもあった。

「はぃ、少々お待ちくださいね」
事務的な口調じゃないのは病院の方針なのだろう。好感が持てた。
水色のファイルを繰り始めた。なにげに机の上の便せんを見ると
吉富胃腸専門病院・・・胃腸専門の文字が目に留まった。
(消化器関係で海外からも注目の名医が居られるの)
美央の言葉を思い出した。

「お待たせしました。ですが今は面会が。。。」
と口ごもってしまった。
「え、やはりここに。。で、面会出来ないほどの重症なのでしょうか」
「あ、いえそう言うのではなく、この時間、検査とか。。。」

そのとき、
「あらまぁ。。。森野さん?」背中の方で声がし、
え、と振り向くと
大きく膨らんだ手提げ袋を両手に持ち、美佐江さんが立っていた。

「どうも、いきなり押し掛けてきちゃいました。で、どうなんです美央さん」

「え、えぇ。立ち話もなんですから、あちらの方で」
美佐江さんは軽い方の荷物の手で指し示した。


「ごめんなさいね。わざわざ」
どっこいしょ、と手提げの袋を談話室の長椅子に載せながら美佐江さんが笑った。
思いのほか、表情は明るい。
なぜか袋が気になり
「何ですのそれ」
「着替えのパジャマとか、バスタオル。ふつうのサイズのタオルやらオシボリとか、しかもそれぞれ3組ずつ。入院て本当に面倒でたいそうなものですの」
「じゃあやはり入院なのですか」
「え、えぇまあ。けどよく此処がわかりましたのね」
そう云いながら、ハンカチを取り出し額の汗を押さえ、ぱさぱさと扇子のようにあおいだ。
11月だというのに。。重い荷物を抱え、歩き回られたのだろうか。
小柄な美佐江さんの肩が愛(いと)おしい。

「えぇ、実は国光常務が昨日の昼間、こちらで美央さんをお見かけしたと聞いていたものですから。それに夜、何度も電話したのに、お留守の様で。これはきっと何かあったに違いないと。。」
「まぁそうでしたの。それはそれは、ごめんなさいね。それで国光様の奥さまもこちらとか」

「えぇ、あとで部屋を聞いてこよう思っています」
ちらりと受付の方を見た。
「それより美央さん。。。どうですの?」

「そうね。。何からお話し、しましょうか。。」
美佐江さんは、長椅子に両手をつき、うつむいた。右足のかかとが気になるのか、脱いだ足首の甲をあっちに向け、こっちに向け とした。まるで女学生のような仕草さで。
さきほどまでの笑みは消えかかっていた。

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時計を確認すると、午後6時半。
うわ、30分も。。。果たして前村、待ってくれているんだろうか。
心斎橋駅の階段をかけ上り改札を出た。

すると券売機横で真正面を見据え、毅然と立つ前村が見えた。僕に気づくや、大きく手を上げ、振った。

「ごめんごめんお待たせ」
すると怒りの表情も見せず
泉州お疲れさまでした」と満面の笑顔で返す。
「あぁ。。しかしてっきり怒って、もう帰ったのではと」

「そんなぁ。泉州へ電話したら、会社を出られたのが予定より遅れたとお聞きしたので」
「そうなんや」
(まったく気が利く。。)
「じゃあ行こうか。お願いします、宗右衛門町。。」
「はぃ」

僕らはバー鳥越に向かって歩きだした。
「お袋さんちと近所やけど、鳥越とは顔なじみ?」

「まさか。普段はアルコールなど一滴も・・・。それに、”まえむら”の店にだってほとんど行かないんです」

「なんとまぁ、じゃあ昨日はたまたまの偶然?」
もちろんと云うようにうなずき、

「しかしまぁ、あんな偶然てあるんですね。それにしても、国光さん。。。」
前村が口ごもった。
「ピアノの理由に重い訳があったなんて。。。あ、それで思い出したけど、ピアノの先生。。どうでしたの」

「う、うん・・まあ。あとで話すわ」
こちら側が口ごもる番だった。そのとたん、美佐江さんとの会話が甦った・・・・・。

「・・・拒食症て云うのですかね。最初は 単なる拒食症かと。昨年、私の連れ合い、つまりあの子の祖父を亡くしたショックが引き金だったでしょうか。それにあの子、外国生活が長かったからか、ここでの学校に馴染めなくて。。。それで可哀想に、登校拒否に。おまけにほとんど食事もとらなくなってしまいましたの」
「去年といえば中三。。高校受験も?」
「えぇ。受験どころの騒ぎじゃ。。。」
「えー。そうだったのですか」
「まぁでもあの子にはまだ救いとも言えるピアノが。。。ひどく落ち込んでどうしょうもなかった頃ですのよ、国光さまからお電話をいただいたのは。そして貴方さまとの出会いが」
・・・・・・・・・・

曲がると鳥越。という街角に着いた。

「こういう処、中へ入るのなんかドキドキする」めずらしく前村が弱音を吐いた。

「はは、無口やけど親切なマスターやて」
前村の背中を押すようにドアを開けた。

「らっしゃい・・・・」
昨夜とまったく同じ、ぼそりとした声だった。
だが前村を見た瞬間マスターの表情が凍り付いた。

え、と思いつつ前村を振り返ると

「え!?あ、あの・・・まさかあの時の。。。」
前村もまるで幽霊にでも出くわしたような顔で突っ立って居る。

「ご無沙汰。申し訳ございません」
カウンターの向こうでマスターが頭を下げた。

「うわー。やはりあのときの伯父様?」
今にも泣きそうな前村の声だった。

「ずっと気になってたとです。しかしまぁ、お嬢さん。ご立派になられもした」
マスターの目が涙で光った。

え、一体何ごと!?
最初は二人のあいだに何が起きているのか不明だった。
やがて会話の端々から唐突に思い出すものがあった。
東京行きの新幹線の中だ。ふと聞いてしまった前村と三宅祐司との会話だ。

目の前のマスター。。。。
前村に武道を教えたという伊村会長の元護衛と云うのだろうか。

           つづく




※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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