小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その4

「三浦教授、ここですわ。着きました」 「おぉーここですか。寺島さん、ようやく私の夢に逢えます」 自動開閉ドアが開くなり、教授はいそいそと降りた。 「860円です。で、お客さんらも大学の関係者?」 走行中は無言だったタクシー運転手が訊いてきた。 「えぇまあ・・・って大学の関係者、ここによく来られますの。あ、領収書お願い」 千円札を出しながら訊いた。 「えぇ、先週も案内したとこですけん。和歌山だけでなく関西方面からも。結構多いようですら」 「えっそうなんですか。どうも」 領収書と釣り銭を受け取りながら、 「あ、帰り。電話したらすぐ来てくれるかな」 この時点では、すぐに引きかえすことになるだろうと考えていたのだ。

「そりゃあ喜んで、このあたり誰かが流してますし、営業所から駆けつけても5分とかからないですけん。領収書に番号載ってますけん」 「ありがとう。じゃあ、また」 タクシーは軽くクラクションを鳴らし引きかえしていった


ひとつ峠を越せば、全国的に名を知られた温泉地がある。 山に囲まれ、少し視線を移せば穏やかに光る真っ青な海があった。潮の香りがたっぷりな風も心地いい。 風光明媚、なんとも贅沢な自然環境に囲まれてはいる。だが地方のいち冷蔵冷凍倉庫にすぎない。大学関係者がなぜにまた?まさか陸上関係・・・?

「教授お待たせ。お釣りと領収書です」 「うむ。ありがとう」 一歩構内に入ると戦場のような騒々しさと、活気に満ちあふれていた。 大型トラックが2台待機し、その周りをキビキビとフォークリフトが走り回っている。リフトのオペレーター達は全員若い。 3年前とすっかり、会社全体が若がえったような気がした。 だがおそらくそれは まさかあの彼がここの社長。ということから起因しての想像なのだろう。 よく目を凝らせばベテランらしき年輩の方も居られた。 彼らの表情は皆一様に明るかった。

「しかしまあ寺島さん、世間の不況とは無縁のようですなぁ。」 三浦教授が感心しながらつぶやいた。 「そのようで。。。」 これだけ繁盛の倉庫会社社長。いまさら陸上への挑戦。やはりそれは無理な話か。 いちるの望み。たとえば不況にあえぐ企業とすれば宣伝効果を狙い、陸上への挑戦という誘い言葉があった。。。 彼には悪いがそういう期待も一瞬抱いたのだが、その望みも消えようとしている。

昨夜、教授との電話・・・ (え、そうなのですか。。。でもひと目、彼に逢いたいです。説得するだけしてみましょうよ。翌22日は祝日じゃないですか。もし駄目な場合、温泉で残念会でも。旅費はこちらで持たせていただきますから) その言葉に甘え、期待感ゼロのままやってきたようなものだった。

「さ、寺島さん中へ」 まるで長年思い続けた片思いの恋人にでも逢うがごとく教授の場合、背中から喜びが溢れていた。

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」 三年前には見かけなかった子が応接室に案内してくれた。 おそらく昨日の電話の新人なのだろう。だが、立ち居振る舞いにはどこか凛としたものがある。いまどきの子には珍しい。まったくのノーメークだ。

「どうもありがとう」 事務所内部も様子が違っていた。 若い営業マンらしき従業員がパソコンのモニターに向かっている。

応接室で待っていると 「あらら、やはり。いつぞやの記者さん。大阪の寺島て、一体どこの誰か思うてました」

年輩の事務員が顔を覗かせ笑った。 「あ、たしか。。。沢田さん。どうもご無沙汰です。今は仕事場を大阪に移しましたので。その節は大変お世話になりました」 「いえいえこちらこそ。しかしまあ、あのとき坂本の大将も登場してはったんですね。あなたの本を読ませていただくまで全然気づきませんでした」

「えぇまぁ。従業員に内緒でクルーザーを持ち出し駆けつけたとか。取材後もしばらくは皆には秘密を護るよう厳命されており。で坂本社長は本社の常務に栄転だとか」

「えぇ、おかげさまで・・・」 そのとき 「失礼します」 先ほどの子がお茶を運んできた。 「レイカさん、河本君遅いやん。連絡取れたの?」 ベテランの沢田にとっては新社長も”君”呼ばわりなのがなぜかうれしく思えた。

「えぇ20トンへの積み込み、すぐに終わるけん。そういう返事でした」 レイカと呼ばれた子が答えた。ふと名札を見ると 陳麗花とある。

「河本社長みずから積み込み?さっきフォークリフトを何台か見かけましたが気づきませんでした」

「いえいえ、それが寺島さん河本君の場合、トラックの荷台で手積みの手伝いですの。なんでも日々の鍛錬に丁度良いって。この時間と夕方の2回」 麗花さんの代わりに沢田が応え、笑った。

「ほーう、それはそれは」 思わず教授と顔を見合わせた。

あの彼が社長に就任。それを聞いて真っ先に浮かんだのが筋肉も崩れ、腹も少し突き出た姿だ。デスクワークも増え、運動不足に違いないだろうと。

「ひゃーまいったまいった。コメ袋はちーとこたえるわ」 入り口の方で騒がしい声がしたかと思うと、その声の主がどんどん床を鳴らしながら近づいた。

「河本君。いや社長。ようやく戻って来たようですわ。では私たちはこれにて。ごゆっくりと」 沢田事務員は教授と僕に頭を下げ、麗花さんに目配せをした。 「沢田さん。どうもありがとう」

彼女らと入れ替わるかたちで 「寺島さん。どうもお待たせ」 想像通りの巨体が現れた。Tシャツに作業ズボン姿。頭は坊主刈りにしていた。 社長とはどうみても信じられない。

「おぉー。これはこれは。実に素晴らしい」 三浦教授がいきなり立ち上がった。 河本は 一瞬なんだぁ?と云う顔つきで 「あ、どうも河本です」 とお辞儀した。 大型トラックへの積み込みの割りに 息ひとつあがっていない。 鼻の頭に うっすらと汗を浮かせているだけだった。

「ご無沙汰でした。お忙しいところ申し訳ありませんでした」 「いやあこちらこそ。2時のお約束なのに10分ほど遅れてしまい」 「いえいえ 何の積み込みをなさっていたんですの」 「飼料ですわ家畜のエサ。袋モンやからリフトで積み重ねるわけにいかんのですわ」

「ほーぅ。あの大型に積み込みやとかなりの数量なんでしょうね」 「えぇ、さっきのでおおかた300かな」 「で、ひと袋は何キロありますの」 「60キロですわ」 「うわぁーそれを300も」 「いえ、トラック2台分ですから、さっきは600ですわ。袋モンは久しぶりで、ちーとこたえました」 まるで 軽いラジオ体操でもしてきた。とでもいわんばかりの表情で笑った。

3年ぶりの彼だったが、よく見ると一回り大きくなっていた。 筋肉は崩れるどころか、さらに一回り、鋼(はがね)のような鎧を身につけたという感じだ。 Tシャツから覗かせた腕は 筋肉で異様に盛り上がっている。

その腕を食い入るように見ていた教授が恐る恐る訊いた。 「あのぅ、足も見せていただけませんでしょうか」 すると河本は はあ?という顔つきになったが

「あはは、こんなので良ければ」 と、にゅうっとテーブルの上に伸ばしてきた。 「では ちょいと失礼」 さっそく教授は裾をめくりあげた。

そして教授は啼くように叫んだ。

「うわあー寺島さん見てください最高です。ボルトと同じ脛(すね)の長さです。そしてこの筋肉!」

つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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