「うわあー寺島さん見てください最高です。ボルトと同じ脛(すね)の長さです。そしてこの筋肉!」 三浦教授は感激のあまり絶叫しながら河本のすねを撫でまわした。 そのまま放っておくと、頬ずりでもしかねない教授の興奮ぶりだ。
河本は、 「ひゃあーっ。あはは。ちょ、ちょっと何事ですねん、あ、あかん、そこ。こそばゆいッ」 悲鳴のような笑い声をあげながら巨体をくねらせた。
ようやく教授は、 「あ、申し訳ない。つい。。。」 と、ようやく手を離した。 河本は 解放された右脚を引っ込めながら 「寺島さん、いきなり何ですねん。僕に会いたいってこの方?」 やや憮然とした言い方に思わず顔を上げたが、幸いにも眼は笑っている。
中学生の頃、狂二と呼ばれ皆から畏れられていたという。だがその狂気が、テロリストを倒す奇跡の拳に発展させ、若くして社長という栄光の昇華に導いたのだろう。 だが一歩間違うと。。。思うと身の縮こまる思いがした。 久しぶりに背中を冷や汗が流れた。
「河本さん。。いや河本社長申し訳ない。紹介が遅れました。こちらこう見えても北摂大学の三浦教授」 (こう見えても)はひとこと余計だったか、しまったと思ったが教授は気づかずに河本だけをうっとりした眼で見つめていた。
「え、大学の?」
「どうもいきなり失礼致しました。つい興奮してしまい。物理学を教えております」 そこでようやく教授は名刺を差し出した。 河本は受け取った名刺をシゲシゲと眺めながら 「なぜまた物理学の教授が・・・」
二人同時にハモリながら 「それには深い訳が」が」 と応えていた。
「ぷっ。おふたりお揃いで何ですねん」 「あの。。。」 教授が何か云いかけたが
「河本社長。ずばり云います。陸上100に挑戦していただけないかとお願いに参りました」 彼の場合、単刀直入に言った方が良いだろうとの私の判断だ。 「はあ!?百メートル走のあれ?」 「えぇ、挑戦し日本記録を更新していただきたい」 「俺が?藪から棒に、こりゃまた何ですねん」 当然のように驚きの眼を向ける河本社長。 まさに藪から棒とはこういうことだろう。
「百の世界記録はご存じでしょうか?」 教授が云った。ようやく落ち着きを取り戻した口調に戻っていた。
「さあ。。。9秒ハチ?」 「9秒58です」 河本は 「あ、そう」 それがどうした。というようなそっけない反応を見せた。まぁいきなりでは、それが当然だろう。
「かたや我が日本。10数年前にようやく10秒ゼロゼロの記録をだしたまま、10秒の壁はだれも超えていないのです」 「ふーん」 「河本さん、身長は2メートル前後おありのようですが」 教授が訊いた。 「ま、まぁ。199かな」 「お、おぉー」とふたり顔を見合わせた。 「で、体重は」と、すかさず私が訊く。 「96、7ってとこかな」 「教授の論にぴったりじゃないですか」 私が興奮する番だった。
「えぇ寺島さん。最高です。ボルトより勝っています。9秒台の夢どころか、さらなる記録さえ期待できます」
「えぇ、はるばる来た甲斐がありましたね」
だが河本は 「ちょ、ちょっと待って下さい。なにをお二人でかってに盛り上がってられるのですか。僕が百の記録に挑戦?」 「えぇ」 「もう22歳です。今年23ですわ」 「まだまだお若い。世界記録を樹立したボルトも23の年でした」 「んなあ、一応ここの社長ですねん」 「もちろん承知しております。無理を承知でお願いに」 ひたすら頭を下げ続けた。 河本の云うように無理なお願いだ。だが、記録への挑戦という教授の夢に感化されてしまった今。簡単には引き下がれない。
「そ、そんなぁ。だいいち体格だけで判断されても。記録どころか中学の陸上部にも負けると思う」 「最初はね」あっさりと教授が認めた。
「ほらぁ」 さ、忙しい。お二人とも帰ってくれますか。 とでも言うように 河本は壁の時計を見上げた。
「百メートル走など、筋力さえあればトレーニング次第でどのようにもなります。あなたの体格、そして先ほど見せていただいた足の筋肉。私は確信しました。日本記録いや、世界記録すら狙える可能性があります」教授が断言した。
そして次の一言が胸を揺さぶった。 「河本さん、記録への挑戦に男のロマンを感じませんか」
一瞬、河本の目が光った。
「教授さんとやら」 「はぃ」 「僕の走りを見もしないで記録の樹立。そう断言されるんですか」 「えぇ、確信いたしました」 「その根拠とやらを頭の悪い俺でも解るように説明していただけませんか」
「えぇ、喜んで」 と教授は例の雑誌 「月刊物理評論」をカバンから取り出した。
つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。
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