小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その6

「その根拠とやらを頭の悪い俺でも解るように説明していただけませんか」

「えぇ、喜んで」 と教授は例の雑誌 「月刊物理評論」をカバンから取り出し、河本に例のページを広げた。

だが雑誌を一瞥するや 「あちゃー何それ、方程式だらけ。。俺、熱出るわ」 河本は大げさなそぶりでソファーにのけぞった。 まぁ無理もない。私が見たときも目眩を覚えたものだ。 ここは私の出番と 「河本さん、平たく云えば。。。大人と子供、かけっこした場合どちらが速いと思われます?」 「そりゃあ大人。。。」 「ですよね。教授が書かれた理論は、それを解き明かした理論です」 「へー、なんとまあ、簡単な理屈をわざわざ面倒に」 ま、確かにそう言える。物理学とはそういうものなんだろう。


「A地点からB地点への移動。いかに短時間で到達するには?それにはまず、歩数はできるだけ少ない方が良い。ならば、それには脚の長さがモノを云い。さらに足の回転運動を速める力や地面を蹴る強さ。。。そういったあらゆる運動力学を数値化させ、人類最速の100メートル記録を導き出したモノなんです」

多分そういう理論なんだろうと、私なりに解釈し説明したにすぎない。あわてて教授の表情を見た。 教授は、よくぞ代弁してくれましたかのような笑顔になり

「いやはや、寺島さんの言葉は解りやすい。その通り。。。。まぁかれこれ20年前、カールルイスの記録が人類の限界か?と連日各メディアで報道された説に、異を唱え物理学で検証してみようと云うのが発端。それで出た答え、カール選手より上限10センチ、体重10キログラム上回る選手が出現したと仮定した場合、私の理論上は9秒5台を弾き出しました。ところが当時陸上の専門家に云わせると身長180台が限度、それ以上の脚の長さはかえって不利になると散々叩かれました。ですが、先ほど申し上げたウサマ・ボルト選手。20年の歳月を経て現れ、私の理論通りの記録を叩き出してくれたのです。それに加え、私の理論はさらに発展し、私が唱える体格の持ち主なら日本人でも夢の実現は可能。そう結論づけました。当時陸上短距離の世界にあってはアメリカ勢が独占。我が日本勢はと云えば予選通過さえ叶わぬ日々でした。でその違いはなにかといえば彼らと日本人選手の体格、というか足の長さの違いなのです。要するに大人と子供ほどの差が慄然。たとえば同じ十の運動能力があるとして、長い足の方が断然有利。いたって単純な発想なのですけどね」

教授の説明を河本は“あくび”をかみ殺し聞いていたが

「ま、早い話が身長ちゅうか脚の長さで決まる。そういうことなんすね」 「えぇまあ」 「それならば俺以上に長い奴、なんぼでも居りますやん」 「河本さん、確かにここ数年日本でも2メートル前後の若者を見かけるようになりました。もちろん大学のネットワークを通じて情報が入るたび実際に逢いに行ったりもしました。ですがそう言う子に限って動きが俊敏でない。要するに長さに匹敵する筋力を伴わないのが全員。かと云って無理に筋力をつけさせると大概は故障してしまいます。そのあたりアフリカをルーツに持つ彼らと日本人とのDNAの違いなのでしょう。悲しいことに」

教授は座りなおし、河本を真正面から見つめ 「河本さん。貴方のように身長にみ合う以上の筋力を持ってられるのは、日本人としては非常にまれなケースなんです。奇跡の体格の持ち主なのです」と付け加えた。

「で、素人の俺に百に挑戦しろと」

「えぇ。あ、命令じゃなくあくまでもお願いなんです。この通り。。。」 教授の額がテーブルに軽くぶつかりコツンと鳴った。 私もあわててお辞儀をする。

「あ、頭あげてくださいや、お二人とも。何度も云うけど、本格的に走った経験なんかないです」

「そんなの少しのトレーニングでなんとでもなります。そういうコツというか、走りの技術よりまず資質の方が大事なのです」 「本当にこの俺が記録の可能性があると?」 「さきほど触り、確認させていただいた足の筋肉。確信しました」 教授はきっぱりと言い切った。 「日本人初、9秒台という記録を出せたなら。。。そらあ国じゅう大騒ぎでしょうね。その瞬間を想像するだけで胸がワクワクします」

「またあ、寺島さんまで大げさに。。。」 そう云うや河本のほうこそ大げさにソファーの背もたれにのけぞり長い脚を組んだ。 両手を背もたれの向こうにダラリとさせ、顔は天井を見上げたまま、しばらくの沈黙があった。彼なりにあれこれ思考を巡らせていたのだろう。

私と教授、しばらく固唾をのんで彼を見守っていたが

「教授、物理学では専門でしょうけど、陸上のトレーニングとなると、話は別ではないすか」と訊いてきた。 「あ、申し遅れました。わたし一応、北摂大学の陸上部顧問も引き受けております。監督。。山根て云うんですがね全日本のコーチとしてもそれなりの実績のある彼も今日一緒にお邪魔したかったのです。が今日はあいにく。。。。で、細かい技術的な指導は山根君に一任することになるでしょう」

「じゃあわざわざ俺が大阪で?」 「まぁ。。。それが望みですが、社長という貴方の事情もおありでしょう。それについては、色々考慮してみます。こちらの方から出向くなり。実はそこまで考えては来なかったです。申し訳ない。ただ・・・貴方をひとめ見たくて」

すると 「期間。。。つまり、どれだけの日数がかかりますねん?俺が記録を出すのに」 と訊いて来た。

え、前向きに検討か?私もそれが知りたい。 思わず教授を振り返った。 教授は私の(奇跡のヒーロー)を取り出し、 「河本さん、この本に書かれてある日々のジョギングや突き、蹴り千回。腕立て、腹筋各500回とかの習慣、まだ続いてられますの?」 と逆に訊いた。

「まあ。いったん始めるとなかなか辞められませんわ」 と頭を掻いた。 (え、やはり。。。筋肉の鎧は日々の賜物か)

「最終は山根君の判断によりますが」 と前置きし、「普通なら1年以上かかるでしょう。ですが私の見たところ貴方の場合、基礎体力はすでに完璧です。いやすでに常人以上でしょう。三ヶ月ほど走行のための基礎トレでそれなりの結果を出せるのじゃないかと、さらに3ヶ月もトレーニングを重ねた場合、日本のトップクラス級と肩を並べ、そしていよいよ夢の9秒台という実現、 ずばり来年(2013)8月にモスクワで行われる世界選手権ていうところでしょうか」

「うーむ。。。」 またもや河本はソファーにのけぞった。河本のクセなのかも知れない。

またも無言が続いた。

構内からはフォークリフトのバック警告音がひっきりなしに聞こえ、事務所からも電話やファックス音の連続だ。

不況とは無縁らしき盛況な会社社長。 その彼に 本業とかけ離れた陸上挑戦の依頼ごと。。。 よくよく考えれば突飛で無茶ぶりも甚だしい。教授の夢につい感化され、のこのこと付いて来たが、後悔の念すら浮かび始めた。 彼の顔を正面から見るのが辛くなり始めていた。 そのくせ 教授が言明した来年の世界選手権での実現。 具体的な期限まで聞かされた今。色んな思いが交錯し胸が震えた。

どれだけの時が流れただろう。 ようやく河本は体を起こした。 すっくと立ち上がるやドアを開け

「麗花さん、栗原専務を呼んできてくれるか」 と 事務所に向かって声を張り上げた。

つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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