小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その11

私の顔を見つけるなり河本はニッコリ笑うや頭を下げ、駆け寄った。

「先日はどうも」 「いよいよですね、頑張ってください」 「ありがとうっす」他にもなにか云いかけたが他の部員たちの手前もあったのだろう、じゃあと言い残し、部員たちの輪に戻った。 陸上練習初日にもかかわらず、今やすっかり北摂大の部員に見える。

「これはこれは寺島さん」 山根監督と三浦教授が歩み寄ってきた。 なぜか監督はスーツ姿なのに、教授はトレーニングウエア姿だ。 「寺島さん、白浜ではお世話になりました」 「とんでもない、こちらこそ」 交通費はもちろん宿泊費までご厄介になったのだった。なにしろ定収入ゼロの身の上ゆえ、教授の言葉にすっかり甘えたのだった。

「しかしまぁ、想定以上の逸材でした」 山根監督が目を細めた。 「密着取材の件、快諾くださいましてありがとうございます。で、彼の所属は決着ついたのですか」 「あ、そちらでも心配をかけました。一応大学の職員というカタチで午前中は働いてもらいます。わずかながらも当然給料も出ます。午後からは部員たちに混じり練習、夜間は彼の希望通り経済社会学部生として」

「ほーう、なるほど。理想的な決着・・・いやハードじゃないですか」 「いえそれが、彼に云わせると築港や白浜時代に比べると天国のようだと。かなり大喜びでした。。今までかなりシンドイ思いをして来たのでしょう。あ、シノヅカ君」 と部員を呼び寄せた。 「はぃ監督」 「ウォームアップ、このあと河本君の計測やるからストレッチは念入りに」 「はぃ」 シノヅカと呼ばれた子が先頭に立ち、軽い準備体操のあと、トラックの周囲をゆっくりと走り始めた。河本は新入りと云う身分をわきまえているのだろう、最後列を走っている。他の部員より頭が二つ分飛び出ているものの、走る様はここから見ていると完全に陸上部の一員になりきっていた。 「違和感なく、すでに溶け込んでますね」 横の山根監督に聞かせるともなくつぶやいた。 「確かに・・・それにしても縁とは不思議なモノです。あの日、本屋で貴方の著書をお見かけしなかったら、彼とも巡り会わないままだったでしょう」

「光栄です。でも肝心の走りはどうなのか、気になって」 「あ、その点もおそらくご心配なく。想像以上の運動能力の持ち主でした。教授や私も含め居合わせた部員ら全員度肝を抜かれ・・・」 監督の後ろを追うように出てきた女の子に 「先ほどのデーターを」と云った。

「寺島さん紹介します、マネージャーをやってもらっている鈴木ケイコです。私が不在のとき何かとお役に立つかと」 「あ、どうも寺島です」 「始めまして鈴木です」と云いながら一枚の紙を差し出してきた。

「驚きの数字ですわ」監督がつぶやいた。 「どうも」 その感熱紙には身体測定を始め、筋力・運動能力等、ありとあらゆるデーターが印字されてあった。 Height:199.3 Weight:98.2kg Lung capacity:8000 Grip:error(左右ともに計測不能) Back Strength:200kg Perpendicular jump :120 stands and width jump:340 その他、何かの筋力なのだろうが英文字の意味を知らなかった。 監督が想定以上と云うのだからかなりの数値なのだろう。

Gripの計測不能というのが気になった。 「Gripって握力ですよね、計測不能って何ですの?」 「目盛りを振り切ったんですわ、120キロの」 「えっ、運動選手の場合、よくあるコトですの?」 すると山根は笑いながら、 「とんでもない、この私が知る限り初めてのことです」 「それより、注目は垂直跳びと、立ち幅跳びの数字です。それに肺活量」 三浦教授が横から声をかけてきた。 そう云われてもう一度目を移すと 「まさか、Perpendicular jumpが垂直跳びで、stands and width jumpが立ち幅跳び?120、340て、1メートル20に、3メートル40?Lung capacityと云うのが肺活量?」

「えぇ一瞬、目を疑いました。彼には短距離だけでなく、走り幅跳びにも記録更新の可能性が。。さらに長距離さえ」

「あ、顧問それについては異論が」 山根が何か云いかけた時、

「すんません、遅くなりました」 新春社編集部、三好が駆けつけた。重そうなバッグをたすき掛けにし、紺色スーツにオレンジ色のスニーカー姿。ようやく見慣れたものの、なんとなく笑えるものがある。彼女が私の担当を任されたのは入社まもない新人の頃だったという。しかし上司であろうと誰であろうとズバズバ意見を云う頼もしさがあった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「これは大スクープネタじゃないですか、絶対ノンフィクションで推すべきです」”奇跡のヒーロ”編集会議の席上、最後まで賛成してくれたのが彼女だった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ふと陳麗花の面影がよぎる。

「教授と監督、紹介します。こちら新春社編集部、三好さんです」

「おぉ、あなたが。いつぞや電話では失礼しました。三浦と申します」 山根監督も 「今日と云う日があるのも貴社のおかげです」満面の笑みを湛えながら云った。 いえ光栄です。どうぞよろしく。と三好はふたりに名刺を差し出した。

「大阪まで取材。というコトは例の企画書。ゴーサインが出たと考えて良いのでしょうか?」 どこか伏目がちな三好が気になっていた。 すると三好は 「寺島さん、すみません。それが。。。」 と頭を下げた。 「え、まさかのボツ?」 「いえいえ、(果たして9秒台が実現可能かどうか、私の目でしっかり観察してこい)編集長からの命令なんです」

「じゃあ逆に言えば今日の結果次第で通る可能性も・・・」 それを聞くや、心臓の鼓動が早くなった気がした。おそらく河本以上にドキドキし始めてることだろう。

「で、あの彼が河本君?」 三好は右の手の平を目の上にかざしながら云った。 「え、あぁ」 「やはり・・・凄い」 すでにランニングを終え、ストレッチ体操が始まっていた。 確かに河本は、遠くからみても一際目立つ。 体格だけを云うならあのボルト選手に決してひけを取らない。むしろ凌ぐ程だ。

「三浦顧問、そろそろ始めましょうか」と監督が言い 「いよいよですね」と三浦教授が頷いた。

グランドには秋の陽射しが優しく輝き、穏やかに照りつけ始めていた。

「鈴木、全員集合や」監督の声が響いた。

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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