眼の前に延々と広がる茶褐色の砂漠。砂をかきあげながらさまよっていた。 ひとり。。いや前を歩く女性の背中があった。すらりと細い、だが歩く速さはなかなかのものだ。追いつけるようで追いつけない。肌を灼くように照りつける太陽。そのくせ手足の先は氷のように冷たい。咽の渇きは限界に近づいていた。ようやく遠くに湖が見え、ふいに「あったわよ」女性が振り返った。なんだ鈴木圭子さん。。。。 だがそのタイミングで鼓膜を震わせる音が鳴った。しかもその音は、徐々にけたたましく響き始めた。
!。。。。 目覚まし。。 新聞社時代の習性がよみがえり、早く支度せねばバスの時間が。。。と一瞬あせった。 だが今はフリーなのだと思い直しながら手を伸ばし、目覚まし時計をまさぐった。ようやく触れた目覚ましの頭を押さえ込む。だが手ごたえはなかった。数年来目覚ましのセットなどしていないコトに気づき、そこで脳が目覚めた。
目覚ましの音ではなく、テーブルの上に置いたままの携帯だった。ち、こんな夜中に。 部屋はまだ薄暗く、冷凍室のようだ。 毛布をかぶったまま腹ばいのまま携帯を掴んだ。 フリップを開けた。ヒロシからだった。
え?「こんな早くどうしました」 すると、はあ?という声のあと 「もう10時廻ってますやん」と云って笑い声が続いた。 しょぼつきながら目を凝らす。遮光性のカーテンのおかげで薄暗いままだったのだ。隙間の向こうに細長い光が見える。あ!と携帯のディスプレイを確認すると確かに10:03と点滅していた。 「これはこれはどうも失礼。すっかり寝坊など。。。」 「珍しいすね。飲み過ぎですか」 「え。まぁ。。そういや」 と、昨夜の飲み会を思い出した。胸がキュンとなった。
「じゃ連ちゃんになるけど今晩どうやろか?急な話なんすけど」 「今夜?」 「えぇ、夜というより夕方からなんですが」 仕事では夜の予定など入れない主義だった。手帳を確認するまでもない。 だが、昨夜の酒がまだ残っている。胃が重い。 「あとで返事じゃまずいですか」 「いや大丈夫です。まだ時間と場所も決まってない急なあれなんですわ」 「え、ほかにも誰か?」 「えぇ河本を囲んでの新年会、ちゅうか激励会みたいなヤツ。高城社長の発案で」 「たしか河本君の大阪入りは日曜。。。明日じゃなかったっけ」 「えぇ最初は明日だったようですね。けど日曜の夜だとゆっくり出来ない、しかも河本、学生寮やから門限が厳しい。大阪入りは一日早めるようにと、高城社長からの命令ですねん」 「なるほど」 いかにも高城社長の。。。 「私も参加して良いやろか」 「もちろん。高城社長が是非にとご指名です」 「うわ、そらあ感激」 なんとかやりくりし、参加の方向で。云いながら携帯を閉じた。
チーム高城の新年会。。。。 ここ数年、忘年会新年会とかも全く無縁な人生を送っていた。しかしまあ続く時には続くものだ。。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 北摂大陸上部。指導者ミーティングも無事終了した時だった。 「あのぅこれから何かご予定は?」 三浦教授が訊いてきた。 「えぇまあ、特に」 正月明けと云うこともあり、書きかけの原稿はあるものの、締切には間がある。 「それはそれは、今から新年会の真似事しますが宜しければご一緒に如何です?」 「え、良いのですか」 「もちろん、我々だけじゃ寂しいですから」山根監督も是非にと誘ってくれたのだった。
てっきり教授と監督それに私の三人だけの会と思ったが、なんと篠塚主将に鈴木圭子もついて来た。 「もう彼らもハタチ過ぎてますから」 山根が言い訳をするように笑った。 大学通りの真ん中にある郷土料理の店だった。 いつもなら学生たちで賑わいをみせるという店内も、ひっそりしている。 「まいどっ」 女将が山根に声をかけ、座敷に案内してくれた。 「さ寺島さんは奥に」 「いやいや監督が」 「それはあきません、客人が奥ですから」と三浦教授。 「そうですか」と言葉に甘えた。 「じゃあ君らは寺島さんの隣に」 山根が指示し私をはさむように、右に鈴木圭子、左には篠塚主将が座った。 三浦教授と山根は仲良くテーブルの向こうに並んだ。 「ご常連ですか」 「えぇまぁ、ここの主人、故郷(くに)が同じ長崎なんです、鈴木君も」 「ほーう」 横を振り向くと、恥じらいながら「えぇまぁ」と小さく返事した。 その横顔に心が騒ぐ。 「じゃあ正月は帰省?」 「いえ今年はずっとこちらで・・・」 「じゃあ記念すべき2013年のスタートを祝して」 山根の発声で新年会が始まった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミーティング時の激論は遠い過去のようだった。三浦も山根もすっかり忘れ仲良く酒を酌み交わし、篠塚主将は黙々と箸を動かし、私や鈴木が注ぐビールに、 「あ、俺もう限界ですから」と何度も口にし、そのくせしっかり飲んでいた。 私はと云えば、杯を空けるたびぴったり寄り添った鈴木は間髪入れず酌役に徹し、 「あ、君も」 「いえ私はウーロン茶」 そのような会話を交わしながらも久しぶりに味わう心地よい時間が流れた。
「寺島はん」 不意に山根が呼びかけた。 「あ、はいっ」 「ゼロコンマ一秒てどんなモンかわかるとですか」 目は完全に酔っていた。 「えぇまあ大体は」 するとオシボリを目の高さまで持ち上げ 「よーう見とってください」 云うや手を離した。当然オシボリはテーブルの上にパサっと音を立てた。
「よー見たとですか、今のがだいたいゼロコンマ一秒」 「あっと云う間なんですね」 「そう。。。あっちゅう間。。。。こないげな”あ”っちゅうタイムに彼らは必死に練習に明け暮れ、命を削るとです。それを思うと。。。。」 とうとう山根は泣き出した。 「監督、あんたの苦労。わかりますから」 三浦教授は山根の肩を抱いた。 「本当な。教授」 「本当やがね、そしてこの場に居るもの全員ですから。皆同じ気持ちですから」 その言葉に監督はようやく顔を上げた。 鈴木と顔が会うや、 「鈴木君、君には大変な思いばさせたとです」 ふたたび山根は下を向いた。 「いえ監督、もう全然・・・そんなコトないですから」 昼間と同じような会話が始まった。 手紙の文面もふいに甦った。 「一体何があったんですの」 「鈴木は。。。。鈴木圭子は将来を約束された天才少女やったとです」 山根の口が開いた。 「あ、そんなことないです」 「寺島はん」 「あはい」 「彼女は5000メートルの高校記録を持っているとです。日本記録にさえ迫るタイム」 「え、そうなのですか」 振り向くと鈴木は下を向いたまま小さく頷いた。 「私がマラソンば転向させたとです」 「いえ、私の方から言い出したコトなんです」 「いや、きっぱり反対すべきやったとです。けんど欲が出たとです。彼女の持ち味のスピード。マラソンに生かすならばマラソンの記録更新さえっちゅう私の欲が。で、結局寺島はん」 「はい」 「結局、疲労骨折に気づきもせず、練習に明け暮れさせたとです。とどのつまり、マラソンどころか、10メートルさえ満足に走れない体にさせてしまいました。もう悔やんでも悔やみきれないとです」 「監督、正直に言います」 鈴木の声に全員注目した。 「正直云って、私自身悔やみきれない日々でした。でもある日ふと、これって何かの暗示なのでは?て気がしたんです。いやきっとそうに違いない。でもそれは何だろうってあれこれ探す日々でした。ちょうどそのような時。そのタイミングで河本さんの話が降ってわいたんです。あーきっとこれだと思いました。彼を日本記録いや世界記録を出させる為に、私に縁の下の力持ちに成れっちゅう神の命令なのだろうなって。それでマネージャー役を申し出たんです」 「鈴木君。。。」 山根は目を真っ赤に腫らしながら顔を上げた。 「ありがとう」 山根の声が部屋中に響いた。
「えぇ監督、もう今は楽しくて楽しくてしょうがない。充実すぎる毎日なんです」
鈴木の声も私の胸に響き渡った。
つづく
※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。
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