小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その26

島根ほどでは無いにしろ、例年にない寒波に見舞われた1、2月の大阪だった。 おまけに北部の丘陵地帯に位置する北摂大グランド。大阪市内など平野部ではカラカラに乾いた快晴でも、ここでは数センチの積雪に見舞われることもしばしばだった。 本来なら長距離競技の選手が不在な陸上部にあっては、この時期グランドを離れたウエイトトレーニングなどが中心で、雪がいくら積もろうと関係はなかった。だが皮肉なことに今年にかぎって事情が違った。 週のうち前半は体育館やトレーニングルームでの筋力アップ中心のメニューとしても、後半にはグランドでの走行メニューの取り入れを余儀なくされた。
云うまでもなく、ほんの半年前まで陸上経験はまったくのゼロ、そのくせモスクワ世界陸上選手権での日本記録更新という無謀窮まりない目標を背負わされた河本浩二の為だった。彼に世界に通用する”走りの技術”そのすべてを注入すべく、北摂大陸上部いや、学校中の総力を結集し動き始めていた。。 グランド練習日には監督を始め、三浦顧問が率いるゼミ学生らも動員し雪かき作戦から始まった。 当然私も駆け付けたのだった。 「寺島さんも、いつもすみません」 顔をみるや鈴木圭子が真っ先に駆け寄った。 「とんでもない、運動不足解消にちょうどエエんです。それに島根時代が懐かしいです」 (本当は貴女の顔が見たくて)という気持ちが、心のどこかにあったのだが。

さて、 加速走ではコンスタントに9秒台を出すようになった河本も、いざブロックスタートからの計測となると10秒台なかば、時に10秒台後半の平凡な記録に終わった。もちろん原因はスタートにある。 時に河本は、篠塚主将、岡田、加藤ら短距離選手らとともに、地味なスタートだけを延々と繰り返す日もあった。

そんなある日、終了ミーティングに同席を許された時だった。いつも真横から見ているスターター役の部員が監督に云った。 「あのぅ監督、スタート姿勢、変えてみては如何でしょう」 「どういう事かな」 「河本さんの場合、お尻の位置が高く。。。あ、もちろん足の長い選手の場合よくある姿勢とは思います。けど折角の瞬発力ちゅうかパワーを生かせてないのではと思うんです」 山根監督は篠塚に 「そうなのか」と訊いた。 「はぃ。。最初彼に指の位置や姿勢を教えたのは私なのですけど、確かに常識というか、セオリーにとらわれていたかも知れません。彼のブロックを蹴りあげるパワーを生かす伸び上がり式もアリかも」

河本も 「あ、それ自分も感じてたとこなんです。上げた尻を一端落とし込むことになり、その分ロスしてるかなぁて。けど先日三浦顧問らと一緒に見たボルトの映像。彼のスタート姿勢も尻の位置は高いままだったので、やはり今迄通りが正解なのかと思ったりもします。実際やってみないことには何とも。。。」

そして翌日・・・・ 姿勢を低くした、いわゆる”伸び上がり式スタート”で挑戦し、いきなりコンマ2秒ほどタイムを縮めたのだった。

※ ようやく暖かい日差しが増えた3月半ば。卒業式を終えた青年がその足でグランドに現れた。春から大学の職員、つまり河本と同僚になると云う。 「池田君卒業おめでとう」 「ありがとうございます、監督のおかげです。就職も。しかし半年ぶりのグランド、いやー懐かしいです」 云いながら池田はグランドを見渡した。 「池田君紹介する、こちらジャーナリストの寺島さん」 「あ、河本君を連れてきて下さったあの」 「えぇまあ。どうも寺島です」 その時、着替えを終えた河本を始め部員や鈴木圭子らがグランドに出てきた。 「先輩ご無沙汰です」「チワーッ」「チワー」 挨拶がグランドに響く。 山根監督が全員を集合させ、一歩前に出た。 「えー諸君。本日卒業式を迎えた池田君。それに河本君。とりあえず今は二名だが、大学職員の陸上部。つまり実業団のクラブとして発足してもらうことになった」

「えっ」「えー」 部員達から軽いどよめきが起きた。

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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