小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その29

電光のタイム計だけでなく、スターティングシステムそのものが本格的なものが用意されたという。ピストル音、スターティングブロックはいずれもタイム計と連動し、公式競技にも使用されているのと同一とのコトだった。 スターター役は山根監督が自ら努めた。 「位置について 用意・・・」の発声でもしたのか各選手スタートラインで構えた。 やがてピストル音が鳴り響く。 電光計はすさまじい勢いで動きだした。

真っ先に池田君が飛び出した。だが特訓の成果なのだろう河本もほぼ同時に続く。

スタート、その瞬間がいちばん力の負荷がかかるという。確かに5名の若者が大地を蹴り上げる音には凄まじいモノがある。ゴール地点に居る私らまで響く。

20メーター付近で池田君が失速。。。と云うより河本の加速は群を抜いていた。あッと云う間に抜き去ると難なくトップに立った。


ゴール地点の撮影係りの渡辺君が「すげッ」と叫んだ。 彼も河本の走りを一回目からレンズを通して見守ってきた内のひとりだ。今更ながら驚異的な成長を目の当たりにし思わず声を発したのだろう。

「鈴木君、風は?」三浦教授が怒鳴るように訊いた。 「追い風、ゼロコンマ1です」 それを聞くや 顧問は「よしっ」とだけ叫んだ。

河本は中盤60メートル付近で他の4名を完全に引き離すや短距離では珍しい独走状態になった。そしてなんと終盤にかけ、さらに加速のスイッチが点火したようだった。 グランドを蹴る音は ドッドッドッと云う重厚音から、パッ、パッ、パと短く乾いた金属音に変わった。

終盤になってもピッチ(足の回転)は衰えることなく、しかも彼の武器である大股のストライドでぐいぐいと距離を稼ぐ。あッと云う間にゴールに迫って来た。 (ボルトと同じ筋肉の持ち主です、この筋肉のコントロールさえ身につけたならば常に前へ前へと導いてくれる筈なのですが) あの視聴覚ルームでの三浦の言葉が甦る。 確かに・・・・

顔の表情がはっきりと見えだした。 必死の形相と思いきや、なんと笑顔のままだ。そしてフィニッシュは流すように駆け抜けた。

撮影隊からざわめきが起きた。電光タイム計を振り返る。 ! 「きゅッ、9秒63」 計測係りの部員の声が素っ頓狂に裏返り、周囲は一瞬静寂に包まれた。 それもつかの間「うわあああ」と怒濤のような歓声が続いてわき起こる。 鈴木は撮影隊の学生らとハイタッチを繰り返しまるで子供のような笑顔ではしゃいだ。私の視線に気づくと、イエーィ。とでも云うようにピースサインを向けた。 (とうとうやりましたね)顧問に握手をっと振り返る。 だが三浦顧問は河本めがけ走りだしていた。 それを機に全員が河本をめがけ走り出した。 河本に続きゴールした篠塚、池田、加藤、岡田の4名。すでに河本を囲み、我がごとのように喜びを爆発させている。 スタート地点にいた山根監督や撮影隊もようやく駆けつけてきた。 全員笑顔で監督を出迎えた。 「監督、ひょっとするのひょっとってこのコトだったのですね」 だが ? なぜか山根は冷静な表情のまま電光計を見つめた。 「やはり出たとですか」 「えぇ山根監督、歴史的瞬間を目の当たりにした思いです」 しかし私の声を無視するように 「喜ぶのはまだ早かぁ」一言だけつぶやいた。 え!? 山根は河本を囲んだ輪の前に立つと 「今の。。。」と云った。 次の言葉を待ち全員山根に注目する。 「池田君河本君、残念ながら今のはフライングやけん、本番なら一発で失格ぞ」 えー。 どよめきが起こる。 「明らかにピストルが鳴ってからのスタートやと見えましたが」 三浦顧問が皆を代弁するかのように訊いた。 「教授、ピストル音のあと、10分の1秒以内の反応は失格とみなされるとです。残念ながらふたりとも。。。」 「あのぅ監督よろしいでしょうか」 池田君が手を挙げた。 「確かに私の場合、タイミングを見計らいほぼ同時に飛び出したかも知れません。けど河本君の場合、音を聞いてからの反応だったと思います」 山根は河本を見「そうなのか」と訊いた。 「えぇまあ。ですが池田さんに吊られ、いち早く飛び出してしまったような」 河本は頭を掻いた。

「浜田君、確認はしたのか」 三浦顧問はスタート地点の撮影係りの名前を呼んだ。 「えぇ先ほど再生し確認しました。おふたりともピストルのあと、ゼロコンマ1秒以内の反応だったです。ですが河本さんの場合、音を聞いてからの反応と云われれば確かにそうかもです。反射神経も凄いものをお持ちだとか」 「要するに監督」 三浦顧問は山根を振り返った。 「要するに河本君の場合反応が良すぎるのが、マイナス要因なんですか」 「残念ながら現行のルールでは」 山根は下を向いた。 「そんなあ」 「ですが教授」 山根は顔を上げた 「けんど、本番の試合に向け課題がハッキリしたとです。今後はピストル音のあと、ゼロコンマ1秒をしっかり数えるよう指導すれば良いちゅうことですけん」 「なるほどのぅ。考えようによって喜ぶべきコト。。。」三浦は何かを気づいた顔になり 「あ、監督。ゼロコンマ1秒を加えたとしても9秒73。ひとまず夢にまで見た9秒台は紛れもない事実じゃないですか。今日のところは素直に彼を祝福しましょうよ」 「確かに。。。教授の仰るとおり」 山根は 「河本君、よくやった」叫ぶように云うや拍手を送った。 それを機に再び周囲の全員、拍手と歓声で盛り上がったのだった。

電光計は 09:63が表示されたままだった。 あわててデジカメを取り出した。 (公式記録ではないけれど、まさに歴史的瞬間とはこういうコトなんだろう) 夢中で何度もシャッターを押した。 ふと 「歴史的瞬間を楽しみにしておりますから」 4月始め、河本と行った中崎町、割烹まえむら”女将の言葉を思い出した。 そして河本との会話が再びよみがえる。

あの日河本。。。 実は映画など口実で、私に真実を聞いて欲しく梅田へ呼び出したのでは? 今でもふと思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「寺島さん、俺がモスクワでもし9秒台を出せば本当に歴史的瞬間になるんでしょうか」 「そりゃあ日本人にとって長年の夢ですから」

云うと河本の目が光った。 「じゃあ日本中、俺のコト報道されますよね」 「もちろん。そらあもうお祭り騒ぎになるでしょう。覚悟しておいた方が」 「寺島さん」 「はぃ」 「俺が今回の件、引き受けた本当の理由わかりますか」 「え、そりゃあ。。。」 陳麗花の言葉を思い出した。 「やはり白浜冷蔵の為?」 河本は首を横に振った。 「じゃあ記録への挑戦に男のロマンを感じ。。。」 それにはかすかに肯きながらも 「あ、それもあります。でも。。。」 「でも何です?」 「本当のところ。。。じつはオヤジなんです」 「はあ!?」 「実はガキの頃。。。事業に失敗したオヤジ。家族を捨て出ていったきり行方不明のままなんです」 「え、なんとまあ」もちろん初耳だった。 「もちろん四方八方、手を尽くし探そうと試みました。で、佐々木所長やヒロシさん、かなり有力な手がかりまで探りあててもらったんですが、今一歩というところのままで」 「。。。。。。」 「ですから俺」 「はい」 「モスクワには何が何でも出、記録も是非出したいんです。記録を出したならば寺島さんが云うように一躍有名に。。きっとオヤジもどこかで見てくれる思うんです。その時カメラに向かって呼びかけてみたいです。オヤジ元気か?って」 そういって河本はうつむいた。必死に涙をこらえているようでもあった。 返す言葉が見つからなかった。黙っていると 「寺島さん」 「あはい」 「ですから9秒台は何が何でも。。。」

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ご

と、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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