小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その41

一週間ぶりの大学通りだったが、道行く学生たちの表情には明らかに変化があった。 どの学生も背筋が伸び、いきいきと明るく、希望に満ちた笑顔を振りまいている。 大学通り商店街、入口の頭上には(”祝 9秒台 河本浩二君”)と大書きされた横断幕が掲げられ、あちらこちらの店先に(目指せ世界記録!河本君)のポスターが目立った。 それらの影響もあるだろうが、街全体が希望に満ちあふれ、光を浴び、生き生きと輝いている。そういう印象だった。河本浩二と言う突然現れたひとりの英雄が、周囲の光景を一変させたといえる。

長崎郷土料理の店、”案山子”の玄関先も河本君の栄誉を称えるポスターで埋め尽くされていたが、(苦節20年、悲願達成!祝山根監督)の張り紙が印象的だった。 腕時計を確認すると11時40分だった。 (少し早く着いたか)
だが「あ、寺島さん。お二階の方へ案内します」 すっかり顔なじみになった子が待ちかまえてくれていた。 「え、2階もあったの」 「えぇ一応、でも普段はあんまり・・・忘年会シーズンとかが多いです。あ、こちらで靴を」 カウンター席の横に上への階段があり、銭湯でおなじみの下駄箱があった。 「河本君や監督らは?」 「12時まわってからになるらしいです。船場商事の方はお見えです」 「え、もう」 「えぇ、いま女将さんと大女将が」 云いながら二階の方を指した。 「え、大女将?」 「えぇ大将のお袋さんなんです。普段はあまり店には」 「なるほど、じゃあやはり。。。」 昨夜の森野常務との電話を思い出した。 階段を上がって、さらに奥の部屋だった。 「失礼します。寺島さんがお見えになりました」 「はいどうも」 女将さんの声が聞こえ、襖が開いた。 「さ、どうぞ寺島さん」 「どうもご厄介になります」 「そんな他人行儀な」女将さんは笑いながら 「じゃあ大女将そろそろ」 と、立ち上がった。 森野常務と目が会い、お互い「どうも」と挨拶を交わす。 大女将と呼ばれたご婦人は結構若く見えたが、そこそこの年輩なのだろう。 「あ、折角のところ。申し訳ないです」 追い立てたような気がしてしまった。 「とんでもあらしません、こっちこそ、すっかり話こんでもうて」 大女将は、よっこらしょと立ち上がり 「じゃ森野はん、加奈ちゃんによろしゅう」 深々と頭を下げた。 森野も立ち上がり「カズエさん、お会い出来て嬉しかったです。つぎ家内と来ます」 大女将の手を握った。 カズエさんと呼ばれた大女将は 「いまさら加奈ちゃんに会わす顔あらへん」と横を向いた。

「何言うてますの、そんなコトあらへん絶対喜びますって。家内のお袋さんだってきっと。今日も仕事の話やなかったら付いてきたい、そない言ってたんです。。。。あ、携帯かけてみますわ、声だけでも・・・」と携帯電話を取り出した。 すると、大女将は「まだ心の準備が。。。」と手で制した。 「え、う、うん。。。そうですか」 しかたなく森野は携帯を引っ込め「つぎ、必ずつれて来ます」 と言った。 大女将は無言のまま頭を下げた。 二人はしばらく手を取り合っていたが 若女将の「そろそろ時間が」の声でようやく離れたのだった。

森野は女将さんたちが下まで降りるのを見届けていたが、 「すんません、お待たせしました」戻ってくるや頭を下げた。 ふと目を見ると真っ赤に涙を溜めていた。 状況でしか推測できないが、胸を哭くものがあった。 「いえとんでもない。やはり知り合いの方のお店だったんですねココ」 「えぇ、案山子ちゅう店名と村本ちゅう苗字でまさか思いましたが、30年ぶりでした」 森野はようやく絞り出すように言ったあと、ハンカチで涙をぬぐった。 「え、では30年前もここで?」 おもわず店内を見回した。どうみても建物は新しい。 「いえ、当時は大阪市内、船場通りのほうで居酒屋やったんです」 「なるほど、会社も当時は船場・・・」 「はぃ、歩いて20分ほどの。家内も一緒、ちゅうか家族同然のつきあいだったんです、結婚まえも、結婚後も」 「それで奥様の名前を」 「カズエさん。。。村本カズエちゅう名前なんです。で元々は家内のお袋さんの親友だった方なんです。」 「ほーう。でなぜ30年も?」 「カズエさんの亭主の親父さん、故郷(クニ)でも料理屋をされてはったんです。けどある日、病で倒れられてしまったんです。で、かなり悩まれてましたが結局、大阪の居酒屋は畳み、長崎へ引き上げることに。それっきりやったんです。連絡もお互いに・・・」 「なんとまあ。でも再びこの大阪。。。」 と見渡し 「大阪に帰ってられてたそのコトも?」 「もちろん今日はじめて知りました。カズエさんのご主人も6年前に他界されたとか。で、息子さん夫婦たち、大阪でもう一度、一旗挙げたいと5年前にココへ。あ、そうそう息子さんと山根監督は、長崎の実家が隣同士ちゅう仲らしいです。で、カズエさん、クニで独りも何やからと2年前から大阪に。けど僕らには30年も途絶えていたこともあって、なかなか連絡しずらくずっと悩み続けてはったちゅうんです。それ聞いたら家内も怒るどころか、絶対泣いて喜びます」 云ったあと森野はまたもハンカチで目を押さえた。

それにしても。。。 森野もよく涙をこぼす男だ・・・ 森野彰の人間性を垣間見たと思った。 仕事上の付き合いとしてだけでなく、親友としての付き合いをお願いしたい。 深くこころに刻んだ瞬間でもあった。

「なんとまあしかし、こんな奇跡の偶然て、あるものですね」 いつしか自分も涙声になっていた。

奇跡の仲介役ともいうべきその 「山根監督さん達、お見えになられました」

襖の向こうから、監督の名前を告げる若い店員の声が聞こえ、 私はハンカチを慌てて取り出したのだった。

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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