小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その49

「失礼します。寺島さんがお見えです」 森野常務が軽くノックすると 「はいご苦労さまです」 女性秘書が顔をのぞかせ 「先ほどからお待ちです」と微笑んだ。 「寺島さん、どうぞ」 「あどうも。失礼します」 新聞社時代の社長室に入る時の緊張感がよみがえる。

意外にも質素な部屋だった。だが30階からの眺望は申し分なく、広めの窓ガラスからの採光も程良い。実に快適で明るい空間だった。広さに関しても充分すぎるほどある。 贅沢の限りを尽くした家具類に囲まれ、密室のように薄暗かった山陰日日新聞の社長室とは文字通り雲泥の差といえよう。 社長とおぼしき男は電話で話し込みつつパソコンのマウスを操作していた。私らの姿を見るや軽く会釈をし 「どうぞ」と言うように奥のソファーを指した。 案内の秘書が立ち去ると同時に 「あの方が社長さん?」森野常務に訊いた。 「えぇ、先日は出張中だったものでご紹介が遅れました。社長の伊村健太です」

 

「ほう結構お若いかたですね」 「えぇまあ。と言っても僕らより二つ下です」 「じゃあ54」社長と言うより、”出来る商社マン”と云った感じだ。 そのとき奥の方の扉からノックが聞こえた。 森野が「どうぞ」と声をかけると、二人の男が入ってきた。 うちのひとり、国光副会長と目が合った。思わず立ち上がり、先日はどうも。。。と言う前に 「よッ、寺島はん。よくぞ来てくれた。待ってましたんや。うちの森野がたいそう世話になった」 しわがれ声だが、張りもありよく通る。 それに前回は車椅子だったが、今日の場合、杖を付きながらも歩いてられた。 「あ、いえ。とんでも御座いません、こちらこそ色々ご配慮を賜り。。。」 「なんのなんの」 「ほーう貴方が寺島さんですか」 品の良さそうな老人が訊いてきた。 「あはい、寺島と申します」 見覚えのある顔だった。たしか前社長の伊村健介。テレビなどマスメディアにしょっちゅう出ていた筈。と言うことは会長? するとやはり 「えぇ会長。紹介いたします」と森野常務が紹介してくれ、お互いに名刺交換をした。 「おかげ様で、あの河本君と無事に契約できました。ひとまずそのお礼を言いたくて」 「あいえとんでもないです。特に私がどうのこうのしたわけじゃなく。。。」 すると 「わはは、寺島はんも森野と同じタイプで謙遜家や。森野からすべて聞かせてもらってます。ほんまこの通り礼を言います」 わざわざ立ち上がり国光がお辞儀をした。 「あ、恐れ入ります。。。」

「申し訳ない、お待たせしました」 電話の終わった健太社長がやってきた。 「じゃあ私らはこれで。。奥に戻りましょか」 会長が国光を誘い立ち上がった。

「会長、まぁそう云わずに。一緒に話をお伺いしたらよろしいやん」 と社長。 「いや、ただひとこと寺島さんに礼を云いたくて。。。あとは君たち若い者に。。。」 云うや会長は 「寺島さん、本当におおきにです。この通りです」深々と腰を曲げられた。 「いえ恐縮です。ありがとうございます」 「ほんまよう来てくれた」 国光は杖を左に持ち変え右手を差し出してきた。 「あいえこちらこそ」 「んじゃ社長に森野君、あとはよろしゅうや」 ぽんっと私の肩を叩き、その一言を残し国光らは出ていった。

だが、その一言で十分だった。おそらく実権は会長や国光らがまだ握っているのではないか。そう思わせる凄みと言うかオーラを発散させながら奥の院に立ち去ったのだった。

後はすべて、とんとん拍子にコトが運んで行ったのだった。 船場商事側から出された唯一の条件・・・ 「ゲラ原稿を読ませてもらう限り、具体的な金額は伏せて頂いてます。本刷りもこのままにして頂きたいのですが」 「えぇ勿論です」

「どうもありがとうございました。晴れて出版にこぎ着けます」 帰り際、玄関ロビーまで送ってくれた森野常務に礼を述べた。 時計をちらと見た森野は 「すこし早いけど昼メシ行きませんか?」と誘ってきた。 「あ、良いですね。なぜかほっとしたのか、腹が空きました」 「ですよね。じゃあもう一度エレベーターに」

社員食堂とは思えない立派な作りだった。 メニューも豊富で むしろ”無いもの”を探すのに苦労するほどだと森野は笑った。 なんと言っても31階の展望がご馳走に花を添えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ゆったりと、ココ良いですね」食後のコーヒーをひと口啜った。 「いや、今日はまだ時間が早いからあれですけど、普段は社員や関連会社の連中で満員御礼です」 時計の針はようやく11時半を指すところだった。 「寺島さん」 「あはい」 「あらためてお礼言います。おかげさまでチャレンジスピリッツも上々の出足で」 「いえ、とんでもない。私など特に何をしたわけでもなく。。。」 「いやいや、私らと河本君との出会い。それにそもそも彼にしても陸上との出会い。それら人の縁の不思議。すべては寺島さんの本が出発点やぁ思うてます」 「え。そんなぁ」 「いえあの本がすべての始まりです。うん。絶対的にそう思う」 森野はきっぱりと言った。背中がこそばゆい。だがやはり素直にうれしい。

「あ、そうそう鈴木マネージャー。彼女よろこんでました。山根監督ももしお会いすることがあればよろしくって」 この秋から株式会社チャレンジスピリッツジャパンとして、日本に於ける法人化も決定し、船場商事出資の関連子会社になるという。 先日 “案山子”の席上 彼女の就活話を聞いた森野常務がさっそく会社側に推薦してくれたのだった。

「とんでもない。こちらこそ彼女のような人材が来てくれるなんて大助かりです。嬉しい限りです」

見かけの規模は小さいながらも、船場商事の関連会社として、また将来的にも魅力ある会社と云える。 鈴木圭子と山根監督はもちろん河本も我がごとのように喜んだのだった。 「森野さんが初代社長ですか」 「あいや、まだそこまでは」 口では否定したものの、笑顔が多くを語っていた。

ブ、ブーン。ブ、ブーン マナーモードの携帯が震えた。

「あ、失礼、噂してた鈴木圭子からですわ」

笑いながら森野に断り、携帯フリップを開けた。 「はいどうも寺島です」 にこやかな声。おそらく表情も満面に緩んでいたことだろう。 だが発せられた鈴木からの次の言葉に、 目の前が真っ白になり、表情も徐々に固まり凍って行くのを感じた。

「大変です。河本さん、トラックに撥ねられ病院に運ばれてしまいました」

「は、はあ!?」

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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