小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの花が散ったあとに 3

隣の部屋からの、シチューの匂いと野菜か何かをきざむ音で目覚めていた。
ザクザク。トン、トトトン。鍋のフタを閉じる音。フライパンの水や油が弾ける音。そして食欲を刺激するこの匂い。。。

腹が小さく鳴った。。。こういうなにげない生活の音と匂いにこそ、幸福の本質があるのかも知れない。
昨夜味わったどん底の恐怖。きっとあれは叩き壊したピアノの崇りか何かにちがいない。
カーテンは閉じられてあったが、光が差し込み部屋はすっかりと明るくなっていた。また腹が鳴った。食欲すなわち体も回復に向かっているのだろうか。
ところで今何時ごろだろう?最近は時間も気にせずある意味、優雅な暮らしぶりだったが、見知らぬ部屋の中、やたらに時間が気になった。
すでに明るいが、夕方前かも知れない。それほどぐっすりと眠れたような感覚がある。
すべては名前も知らない彼女のおかげ。
にしても。。。
ふと思う。まったく見ず知らずの男を助け、さらに部屋、ベッドまで提供。。顔を思い浮かべようとした。だがハスキーな声は思い出せても、なぜか顔は思い出せない。
部屋の時計を探しつつ、暮らしぶりを観察するとなく見回した。古いマンションのようだが、こざっぱりとした清潔感がある。小さめのタンスと、壁一面を見事に埋め尽くした本棚。
サイドボードの上には白色のレースが敷かれラジカセと赤色の小型テレビ。
まぁどこにでもあるごく普通の部屋だった。
時計はなかった。早く家に連絡を。。あ、いやいや何と云ってもまずは、彼女にお礼だ。
恐る恐る、手足を伸ばしてみた。いっ。。。
若干の痛みが残っているものの、電流が走り脳天を貫くようなあの痛みは鎮まっていた。

よろよろとベッドから立ち上がる。頭痛も今のところ大丈夫だ。
え。
いつの間に?
男モンのパジャマ・・・。あ、トランクスまで。。。


いかにも愉しくて仕方ない。そういう雰囲気を漂わせながら料理の真っ最中だった。
淡いオレンジのトレーナーに、下は紺のジャージ。
肩まであるだろうの長い髪は、うしろで一本に編みこまれていた。
そこそこの歳上だろうけど、彼女の背中には子供の無邪気さがある。
「あのぅ・・・」
声をかけたものの、鼻うた混じりの彼女には届かなかったようだ。
そばに近づき「あのぅ。お世話になりました」
さっきより大きく声をかけると一瞬、彼女の背中がビクっと震え
「うわっ、ビックリしたあ」と大げさに振り返ってみせた。
眼が合うとにこッと満面の笑顔になり「もう大丈夫なん?」
「えぇ、おかげさまですっかりと。何とお礼を言ってよいやら。本当にお世話になりました。そろそろ家に」
深々とお辞儀をした。
すると彼女はコンロの火を小さくし「ご飯食べるでしょ?それにその顔。しばらくは外に出られないかもね」といたずらっぽく笑った。
「はぁ。。。顔。。。?」
トイレついでに洗面所の鏡をのぞき込んで、血の気が引く思いだった。
腫れこそひいてるものの、紫や青色の痣が、あちらこちらに広がっていた。
キッチンに戻ると
「それにクリーニング・・・」
「て?」
「ジャケットとズボン。2、3日かかるみたい」
「えっそんなぁ、わざわざ。。別にどうでも良かったんです。」
「なに云ってるの、あれ何とか云う高級ブランドもんやろ」
「えぇまあ。。。あ、このパジャマすみません。それにトランクスまで。いつの間にか着替えていたようで」
パジャマは少し古かったが、トランクスは新品のようだった。
すると彼女は「え!覚えてない?」と少し唖然とした表情になった。
「えぇまぁ」
「じゃ一緒にシャワーを浴びたのも。。。」
「え!まさかそんなあ。。。」
「ちゅうか、ま無理もないか。キミほとんど寝てたもんね」
「まさか・・・貴女とシャワー?」
そういえば・・・・(なに恥ずかしがってるん。脱がな洗えないやん)とか(ほら眼つぶって。シャンプーが目に入るでしょ)まるで幼児期に戻り、風呂イスに腰掛けたまま、母親に入浴させてもらっているような夢の記憶があった。
あれは現実だったと云うのか。
「トランクスは下のコンビニの奴やけど、パジャマは亭主のや、捨てんで良かったわ。もちろん洗濯ずみやから」
「えっ、ご主人?」
「はは、ていうかもう別れて5年になるわ」
云いながら彼女は、豪快に笑い飛ばしたものの、少し哀しげに眼を伏せた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・妹が電話に出た。
(あ、今どこな?)のあと
(おかん、兄貴元気そうや)と母親に呼びかけてる声がした。
「せ、泉州や」トッサに思いついた嘘を云った。
「ゆうべ飲みすぎて。。。それで今、原田社長ん家(ち)に世話になってるねん」
(連絡なかったから皆心配しとったやん)
「どうせ厄介者の俺や」
(なにゆうとるん、あ、会社は?)
「じゃそういうコトでしばらく帰られへんから」
(そこの電話番号は)
妹はまだ喋りたそうにあれこれ訊いてきた。だが一方的に受話器を置いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あのあたりで大男ちゅうたら島岡組やな」
すっかりご馳走になり、食後のひとときを過ごしていた。
「え、知ってるんですか」
「そりゃあミナミの深夜で仕事しとったら、色々と耳に入ってくる。」
すっと彼女は立ち上がりそばに来「腹のほう見せてみぃ」
云いながら顔を近づけ、パジャマの裾をめくり上げた。
「え。。。」
彼女の手が触れくすぐったい。身をよじっていると「あ、恥ずかしがることないやん。」と云いながらあちこち押さえられた。
「やっぱな内蔵や骨は大丈夫や思う。相手はプロや、痛めつけるコツ知っとるわ」
「はぁ。。。そんなものですか」
「あぁ、そんなものや」
まるで人生を達観するかの表情で彼女はつぶやいた。

職業、パッカー車ドライバー

歳?まさか女に訊くか。そう言いながら 笑顔で「42や。男でゆうたら厄歳やな」
「名前?篠原芳美。ほらね漢字で書いたら結構むずかしいやろ」
テーブルにあったチラシの裏に書いてみせ、ころころと笑った。                  


      つづく

※ 言うまでもありませんが、当記事は フィクションです万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。 (-_-;)