小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの花が散ったあとに 9

もともとあった自然の河に、人工的に手を加え、まっすぐに仕上がってしまった岸壁が”いかにも”と云う感じで無粋だった。

遠くにはコンテナをつり上げる鉄骨の巨大なキリンがズラリと立ち並び、倉庫や船の修理工場が多くあった。けれど、視界を狭めるならば、水面には空の青色が美しく、陽の光を受けキラキラと輝いていた。 また海から吹く風が潮の気配を漂わせ、大阪市内とは思えぬ自然の息吹を感じさせてくれた。渡船客は、僕らのほかには買い物かごを下げたご婦人と、幼児を連れた若い母親だけだった。

「ありゃまぁ、珍しい。元気じゃった?」 それまでむっつり顔で乗船客を出迎えていた船長だが、篠原さんを見かけるや声をかけてきた。 陽に灼けた顔には、皺が深く刻まれている。 「お久しぶり。おじさんも全然変わらへんね」 「いんやもう、アチコチ”がた”が来とるわな。。。」僕の方をチラリと見、 「おやおや彼氏?」と篠原さんに訊いた。 「まさかそんなあ、甥っ子なんよ」と云った。 「なるほど。あんたによー似とる。。。」 「本まあ?」篠原さんはうれしそうに笑った。 船長は後続客がやって来ないか、身を乗り出し建物の向こうを確認すると、 「出航ヨーシッ」と声を上げ操舵室に入った。 「何年ぶりやろ」篠原さんは風に帽子が飛ばないよう押さえながら笑った。 「あまり乗らないんですか、すぐ近所やのに」

振り返ると目の前には篠原さんのマンションがある。 「そらあ普段はクルマやし。近所やゆうたかて用事なけりゃ乗ることないんよ。船長とも久しぶりやわ」

「なるほどそういうものかも」と船長を振り返り、田舎を思い出した。どことなく祖父に雰囲気が似ている。 (そういや吉野川とも長いあいだのご無沙汰だ) 波など、もちろん無かったが、出航してすぐ大きく旋回した。右に左に体が揺れた。

「ひゃーあ。たまにはええもんやな」と篠原さんは、はしゃぎながら僕の腕をつかんだ。 女性としては珍しくハスキーな声。どことなく、彼女を色で例えるなら小麦色。そしてお菓子のクッキーを連想した。基本的に、さばさばとしているが、時おり甘く粘る。まさしくクッキーだと思った。

「なに笑ってんよ」篠原さんは肩をかるく傾け、僕の肩を小突いた。 「あ、いや別に。なんとなく。。。」曖昧な表情でごまかしながら、しっかり掴まれた彼女の手の温もりを味わっていた。 (あ、これじゃ叔母と甥っ子の関係には見えないか。。。)だが、べつに恋人同士に見られたって構うものか。と思った。船の旅はほんの5、6分だった。

河の向こうに、篠原さんのマンションが小さく見えた。コンクリートの工場や倉庫も多く、少し殺伐とした風景なのだが、マンションの周りだけ樹木が生い茂り、緑たっぷりでぽつんと別世界のような雰囲気を醸し出している。突然転がり込んだ、闖入者のようなこの僕を果たしてどこまで受け入れてくれるのだろうか。 闖入者。。。。この俺はまさしくそうなのだと思った。 それまで静かで平和だった彼女の世界に、いきなりかき乱しに入り込んだたんなる悪じゃないのか。 ふと、そんな気持ちがこみ上げたのだった。少し歩くと公園があった。

一足先に連休に突入なのか、幼い子連れの夫婦がボール遊びをしていた。 「こんど弁当作って来ようか。」その幸せそうな家族を見つめ、篠原さんがつぶやいた。 「あ、イイですねそれ。あの樹の下でシート広げて」 「先月やったらあの桜。そらあもう見事やってん」彼女はジーンズのポケットから煙草を取り出しかけ、すぐに仕舞った。 ええ加減、煙草は辞めたいと頑張ってる様子だった。

「花見したのですか」 「まさか。いつも仕事の帰り、横を通りかかるだけや。花見なぁ。もう何年もしてないわ」 少し哀しげな表情をみせ云った。 思わず肩を抱き寄せ、無言で彼女を見つめた。(これからは僕が一緒やから)心の中で叫ぶと彼女も黙って僕を見つめ返した。 (うん、ありがとう)そう言葉を返してくれた気がした。

多くを語りはしなかったが、相当な人生を強いられ歩んで来たのは間違いない。 ときおり顔を曇らせ、身の上ばなしを語るときなど深遠な哀しみを覗かせた。 けどやはり、基本的にはポジティブで前向きな人だった。 すっかり枯れ果て、絶望を味わいかけていたこの僕の体と心に 栄養たっぷりの水を降り注いでくれたのだった。

つづく

※ 言うまでもありませんが、当記事は フィクションです万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。あと、ついでに言わせてもらうならば、これは「ミモザの咲く頃に」シリーズの続きでもあります。(-_-;)