小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの花が散ったあとに 11

マンションに戻り、リビングルームの時計を見上げると9時半を回っていた。焼却場の順番にもよるがそろそろ彼女が帰ってくる時間だった。少し焦りながらバスルームに向かった。篠原さんのため、風呂掃除と湯湧かしが、居候の自分にできる唯一の仕事でもあった。
「え、そんなんせんでもええやん。気ぃつかうことあらへん」
「ぜひ、やらせてください。家でも慣れてるんです」
「ええから」
と、彼女からは断られつづけた。
だが次の日、帰宅時間を見計らって掃除とお湯張りを用意したところ
「うわあ、感激。すぐに入れるんは、やっぱエエわ」と感激されたのだった。
実のところ、風呂掃除など母親が風邪で寝込んだとき、渋々1、2回やった程度に過ぎない。そんな自分が嬉々として、バスタブを磨くのがオカシかった。



ガスのスイッチを点火。ようやくリビングルームに戻り、時計を見上げた。すでに10時を回っていたが、帰宅はまだだった。
おもむろに、先ほどの繊維ジャーナルを広げた。
しばらく読まないうちに、紙面がすっかり変わっていた。
トップ一面だけでなく、全ページにわたり写真が多く使われていた。それまでは記事が主体の新聞で、単に情報を知りたいだけならばそれで十分ではあった。けれど新聞に”華”など当然の如く望むべくもなく、関係者以外は好んで読みたい新聞とは決して云えなかった。また文体も、以前は如何にも老舗の業界新聞と云った感じの、やや堅い言葉づかいだったのが、話し言葉に近い現代風になっている。
がらりと編集方針を変えたのだろうか。と表紙に戻り発行人を見た。すると
(え、いつの間に。。。やはり。。。)
木内社長の娘、順子になっていた。

新聞は5月になったばかりの、夏も迎えぬうちから早や、(1981年秋冬)の特集号でもあった。「台頭著しい、若手デザイナーブランド」のコーナーについ目が留まった。まったく知らない名前ばかりで本格的な距離を感じてしまった。
だけれど、すっかり頭から遠のきつつあった世界に、ぐぃっと無理やりに腕を掴まれ、引き戻された気がした。
(いやいや、もう戻るまい。関係のない世界じゃないか)
と頭から追い払おうとした。
しかし。。。。
コンビニオーナーの言葉に、あのとき軽い衝撃を感じたのは一体なぜ?
(角紅がどうしたって云うのだ。今さら自分には関係ない)

会社には辞表を出すつもりでいた。本来、落ちこぼれの自分にとって天下の船場商事はやはり遠い世界に思え、荷が重すぎた。入社1年目から何とかやって行けたのは、偶然とも言えるラッキーが重なったのと、人間関係にも恵まれただけのこと。なかでも最大で強力な援護者だった国光常務。どうやら傍系企業の社長として出向するとの噂を耳にし始めていた。3課から1課への人事異動だけでなく国光の事もやる気をなくし、会社に対して一線を引き始めた原因でもあった。
だが。。。。
なぜか気になり、もう一度新聞をざっと終わりまで目を通してみた。
やはり。。。
 前社長の場合、船場商事の広報新聞か?と言うほど船場関係の記事で満載だったのが、角紅商事の取扱いブランドがやけに目立ち始め、というより知らないファッションブランドがやたらに増えていた。それはメンズ、レディスの関係なく アパレル産業にもいよいよフォローの風が吹き、希望の光が差し込み始め。。。という感じでもあった。

「ごめん、遅うなってもうた」
作業衣を入れたバッグを抱え、篠原さんが帰ってきた。
「あ、お帰り」
なぜかうろたえ、繊維ジャーナルを慌てて折り畳み、彼女の視界から遠ざけようとした。
だがバシャバシャと、折りたたむ音に
「あ、新聞買ったの」と覗き込んできた。
なぜかバツの悪い顔をし、「えぇまぁ」と曖昧に返した。
篠原さんは
「ふーん」といったあと
「さてと、汗流してくる」とバスルームに向かった。

                                 つづく

※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。
あと、ついでに言わせてもらうならば、これは「ミモザの咲く頃に」シリーズの続きでもあります。

(-_-;)