小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの花が散ったあとに 22

前村のメモから、突然に浮かび上がった言葉(あんざんこ)。
単なる偶然?いやいや、それはまずないだろう。
あらためてメモを見なおしてみると、不自然な改行は、この言葉を伝えたいがためだとよく分かる。。。こころもち左側の文字が大きいのも決定的と言えよう。
 居酒屋、案山子で今夜7時・・・。
さっと赤らめた前村の顔が浮かんだ。彼女の気遣いが正直嬉しい。。。だが反面、こちらの都合も考えずに一方的な伝言・・・。いくら旧知の仲とは云え。。。
はてさてどうしたものか。。。
その時、すっと腕が伸び、
「お茶どうぞ」と湯呑みが目の前に。
「あどうも。。。えーとたしか君は・・・」とっさにメモを丸め、胸の名札を見ながら云った。
「えーと高田さん?」


「えぇ。でもタカダではなく、タカタと申します。どうぞよろしく」
「それはどうも失礼。タカタさんね。こっちこそよろしくです」
確か先月に入社したての新人。普通ならば「わからない事あれば、何でも聞いて」と言いたいところだが、すっかり立場は逆。
「色々教えてもらいますので」と頭を下げると
「はぃ何でも訊いて下さい」堂々と応えるやペコリと頭を下げ、向かいの席に座ったのだった。
ややぬるかったものの、新茶の放つ香りは申し分なかった。。。


                          ※
「ある程度知ってるようだけど、これがカルベロのプロフィール」
ミーティングに先立ち、ざっと目を通しておくようにと、中沢課長からプロフィールを渡された。

カルベロ・クラロ。。。
ニューヨーク生まれの、パリ育ち。フランスのオートクチュール界で修行した経験を持つ今年42歳、気鋭の天才的女性ファッションデザイナー。
ファッションといえばジーンズのアメリカに、ヨーロッパ仕込みのファッションセンスを持ちこみ、一種の革命を起こした。お洒落ジーンズとして男女の関係なく幅広いファンを獲得。また服飾だけでなく、香水や化粧品にも卓越した感覚を取り入れプロデュース。独特の世界観をもつ化粧品として根強いファンを獲得。世界的な知名度となるとまだまだ弱いが、アメリカ国内に限れば、信者とも言える熱狂的なファンが定着し、80年代は彼女の時代だろうと云われている。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今年42歳・・・。同い年なのか。。。
そう思いながらカルベロの顔写真に、篠原さんを重ねてみた。もちろんじっくり見比べば、あきらかに違うだろうけど、なんとなく全体的な顔のつくりなど、共通する部分や表情にビクンと胸が震えた。

3課の倍の広さがあるミーティングルーム。中沢の進行でミーティングが始まった。
「さきほど三課からの情報やけど、川村課長と横山君、今週からニューヨークらしい」
「てことは、いよいよ調印ですか?」
さきほどのヤジ将軍、清水先輩が口火を開いた。
「あぁ、それに向けて細かい確認の出張らしい」
「じゃあ社長らお偉いがたも?」
「社長はまだ上や思う」
と中沢は天井を指さし、「ただ、国光常務はこの連休期間中ずっとニューヨーク」
(仕事と言うより、久しぶりの娘さんや孫らと。。。だろう)
「ここに来てどんでん返しは無いやろね」
「常務の電話では、かなり自信がみなぎってた」
「いつものコトですやん」
ふたりの会話を聞きながら、国光も家族の哀しみを乗り越えたのだと思った。
「しかし正式な調印となれば、いよいよ忙しくなりますね」
「あぁそれそれ。それが本日の議題。初めてのことやから、いったい何が起きるのか、何をせねばならないのか、まるでさっぱりや」
そう言いながら中沢は振り向き、
「そういう時、森野君が戻ってくれた」と言った。
「あ、いえそれほど。。。。」
「ほんま、君の存在かなり大きいで」と清水先輩に続き
他の営業部員からも口々に
「そうそう」の声が上がった。
「いやあそれほどの者じゃ。。。」
と口では謙遜しながら、内心では満面の笑みを浮かべたのだった。

だが。。。。

(じゃが、順調な時ほど "どえらいコト”が起きる)
あの国光の言葉をまたも体感することになるのだが、この時点では知る由もなかったのである。

                  つづく

※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

(-_-;)