用を足し廊下に出てみると、タケさんの背中が見えた。近づいてみると手すりにもたれ庭の方を眺めていた。
わざわざ待ってくれていたのだろうか。眼が合うと
「もうすっかり、あれでんな。お元気そうで何よりですわ」と笑った。
「え・・えぇまぁ」
昨夜の記憶は殆ど飛んでいた。
きっと、このタケさんにも厄介をかけたに違いない。
「かなりご迷惑をかけたのではないですか?」と訊くと眼を見据え
「あ、いや全然。」と手を振り「あれぐらい、慣れてまっさかい。なにも気になさらずに」と云った。
「え、やはり相当な迷惑を」
「いやいやお嬢はんを迎えに行ったついでやさかい」
「まさか迎えにって、あの店まで?」
「へぇ」
「うわあ、やっぱり」
「クルマでしたから、ぜんぜん」
「そんなコトないでしょう」
すると真顔で
「いや本当だす。お嬢はんひとり迎えるのも、ふたりや三人も同じことですから」と云った。
それでつい、その言葉に甘え
「そうですか」と深く考えもせず、軽く頭だけを下げたのだった。
「ほな戻りましょか」
「えぇ。」
立派な庭を眺めながらの長い廊下だった。
「しかしまぁ」ぐるりと見渡し「迷子になりそうですねココ」と云った。
大人でも迷子になりそうな広い屋敷だった。渡り廊下の向こう側に池が見えた。
「あ、ちょい待っててくれまっか」とタケさんは懐に手を入れ
「ついでやから餌あげて行きますんで」
「鯉ですか」
「へぇ」布袋から餌をつまむや、慣れた手つきで、左右に孤を描き始めた。するといつの間に現れたのか、鯉たちの群れが激しい水音をたて、ひしめき合った。われ先にと、すさまじい勢いで口をぱくぱくさせた。間近で見るのは勿論初めての、壮絶な光景だった。うち一匹の鯉と眼があった。睨まれたようで思わず足がすくんでしまう。
「うわあ」
「どうです可愛いもんでっしゃろ」
「えぇまぁ。。」
「お宅さん・・・・えーと」
「あ、森野と申します」
「そうそう森野さんもどうです、まだ残ってまっさかい」
云うや、にゅうっと袋を差し出してきた。
「あ、いやまた今度。。。」と応えると
タケさんは残念そうな表情で
「そうでっか。ほな」最後のひと掴みを撒き終えた。
そして、にこやかな顔を向け
「是非また来てくださいや」と云った。
「えぇありがとうございます」
また今度って応えたものの。。。
これほどの屋敷。ぐるりと見渡した。
「それで、こちらはどのあたりですの。住所」と訊いた。
まさか大阪市内じゃあるまいと訊ねたつもりだった。だが
「へぇ立売堀だす。船場さんからもほんのご近所で」
「えっ、立売堀。。。。あ。。」
タケさんの羽織った印半纏。その背中の屋号にようやく気づくものがあった。
テレビドラマでその名を知り、新聞か雑誌で幾度となく伝記もの記事を読んだ記憶がある。江戸時代、終わりごろから続く材木商。たしか立売堀と云う地名は、材木を立てかけた処から来ていた筈。
「もしや、あの高田屋総兵衛の末裔?」
「へぇまぁ」
「うわぁ。すごいじゃないですか。」
「あ、いや。と云っても血引くんは四代目はんでして、わては四代目はんの義理の弟にあたります」
「義理といいますと?」
「へぇ、わての姉が四代目の女房、つまりお嬢はんの母親でおます」
「じゃあタカタとは叔父、姪のご関係で」
「ま、世間ではそうだすな。でもわてにとったら、ご主人様の大事なひとり娘、やっぱお嬢はんだす」
「タカタはひとりっ子なんですか?」
「へえ」
「じゃあ将来、五代目。。。」
するとタケさんは、庭の向こうに視線を向け
「さあどうですやろ。将来、婿養子に来てくれるお方次第でっしゃろな」とつぶやいた。
※
連休明けの週末を迎えた営業一課。朝から何かと騒々しい空気が漂っていた。
予定では、朝いちに三課の川村課長と横山先輩が伊丹空港に到着。その足で船場商事に出社、カリベロクラロ合同会議を行うことになっていたのだ。
清水が中沢に
「課長、連絡はまだですの?遅いんちゃいます?」と訊いた。
中沢は
「あぁ、とっくに出社してる筈な時間だが」と返事し、
「森野君。すまない」と手招きした。
つづく
※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。
あと、ついでに言わせてもらうならば、これは「ミモザの咲く頃に」シリーズの続きでもあります。
(-_-;)