小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの花が散ったあとに 39

BAR鳥越。。。回顧録に1、2度登場したのを読んだだけなのに、なぜか視覚の記憶にあった木製の看板。見事なまでに健在だった。
良質の刷毛で、ニスを何度も塗り重ねたのだろう。渋い琥珀色に染まった厚さ5センチほどの板。匠の技としか思えない彫刻による見事な筆文字。どれもこれも涙が出るほどのモノだと思った。おまけに。。。軒先にぽつんと佇む公衆電話が残っていた。
森野が石坂美央の安否を確かめるため、震える手で10円硬貨を落とし込んだという、あの電話機とは違うのだろうけど。
そして、鳥越と言えば。。。。と眼を凝らすまでもなく、黒塀に見越しの松が見え、暮れきった夜空にほんのり浮かぶ提灯型の看板。(割烹まえむら)の本家らしい威厳と風格を備え、ここもしっかりと残っている。皮肉だなとも思う。ここへ来る前に立ち寄った“料亭大井屋”。まえむら達の、発祥地・総本家とも言える全国的に名を馳せた老舗料亭。とっくの昔に経営破綻。今や安売りで有名なドラッグストアや雑貨チェーン店。ファストフードのバーガチェーンに携帯電話取次店。そんな雑多な店だけがひしめき合う普通の商業ビルへと生まれ変わっていた。往時を偲ぶモノは何ひとつ見つけられず、寂しさだけを引きずり、鳥越にたどり着いたのだった。
重厚な扉を押し開ける。「おじゃましま。。」!なるほど。。。森野や国光が、一歩踏み入れただけで気に入ったと言う。店の佇まいが醸し出す雰囲気、暖かい空気までもが予想通りだった。そしてようやく、30年前。あのミモザの世界に迎え入れられたと思った。
午後7時。バーとしては早い時間帯なのだろう。客は居なかった。
「いらっしゃい」
「どうも初めまして。寺島と申します」
「えぇ、森野はんから聞いとぉでごわんど。」言いながら すぐ前の椅子を奨めてくれた。
「どうも。で彼は?」
「えぇ、すぐそこまで。もう帰ってくるぅ時間やぁ、思います」
「もしや、まえむら?」するとお通しの小皿をカウンターに置き
ながら「え、えぇ」なぜ知ってる?とでも言いたげに見つめ返してきた。
寡黙な薩摩人。。。何度も読みなおした回顧録そのままだと思った。80を越え、なおも現役。若い頃の武道修行の賜物なのだろう。背筋は伸び、頬や首には贅肉ひとつ見当たらない。
だが時おり向けられるその目は温かく、理より情。熱の人だと言い切れる。ふと涙がこみ上げそうになる。
「どげんしたでごわん」
「あ、いや。。」ふと気付き店内を見渡す。ピアノは無かった。カチャ。
ぎぃ。。。音が鳴って扉が開いたかと思うと「いやあ寺島さん、お待たせ。申しわけない」
両手に何やら抱え込んだ森野が入ってきた。
「何ですのそれ」
「まえむらからの差し入れですわ」黒塗りの盆には、握り寿司やら、巻き寿司。焼き魚に煮物。厚焼き玉子。他、ありとあらゆる御馳走が山盛りだった。
「ちょこっと挨拶に行っただけでこれですわ。すっかり遅くなってもうて」心配など無用。とも言わんばかりの表情にひとまず安堵した。 
だが。。。。 

        つづく

※ 言うまでもありませんが、当記事は フィクションです万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。(-_-;)