その居酒屋は駅の反対側にある。 だが駅の裏側に出たとき、店の看板の明りは消えていた。 「ん?」 おまけにガラス扉には、何やら張り紙がしてある。 「え、定休日?」 小走りで歩み寄りながら、森島碧を振り返る。 「いえ。。。そんな筈は。。。」 店の前まで来ると中から賑やかな笑い声が聞こえた。 張り紙には (本日11時から13時までの間「銀遊詩人の会」発表会につき貸切りとさせていただきます) とあった。 「くっ。よりによって。。。」 「銀遊詩人。。。。」 森島碧が小さくつぶやいた。 「えっ知ってるの?」 「えぇまぁ」小さく頷き 「たしか現代詩の愛好家の皆さん達で。。。案内のハガキが先生宅にも」 「銀遊詩人。。。吟遊詩人なら知ってるが」 首をひねってると 「あ、このあたり周辺にお住いの皆さん、地域のサークル活動みたいな」 「ほーう。」 小説家に、現代詩の愛好家たち。ますますこの街全体から文学の薫りが漂ってる気がした。 だが、問題は空腹。。。 周囲を見渡したが、食事の出来そうな店はなかった。 コンビニが一軒あるだけだった。軒先で店員が声を枯らし花見弁当を売っていた。 「あのぅ。。。。」 森島碧が指差しながら、おずおずと切り出した。 「お弁当で、洗足池公園とか。。。花見がてら」 「え。時間は大丈夫?」 勿論。と言うように森島がにっこりと微笑んだ。 「うわ。そりゃあ良いっ。いいじゃん、それっそれっ」
今にして思えば、赤面するような、はしゃいだ声を張り上げていた。
※ 春休み中ではあったが、月曜の昼下がりと言うこともあり、 洗足池は人影もまばらだった。ゆったりとした時を過ごし、 満開の下での、この上ないランチタイムを味わった。
「おかげで、念願だった勝海舟の墓もしっかり見届けることが出来ました」 「相手の方、この近くだったのですね」 「えぇ。。。」 そのくせ、30年ぶりにやって来るほど、いい加減な男なんです。 それを言われると辛いものがある。 「恥ずかしながら」 「え?」 「だって、この歳になって初めてやって来る。。て、今まで放ったらかしにし、 ナニやってたんだってコトですから」 「いえそれは無い、思います」 めずらしく森島碧が、視線を合わせた。 「いくら事情があろうとなかろうと、やはり僕はそれだけの男っちゅうことです」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しばし、初恋の相手捜しの件で盛り上がってはいた。 だが、もっぱらの関心ごとは、この目の前の彼女だった。
「しかしまぁ驚きです。西崎事務所入りが偶然だったなんて、あの。。。」 ついつい応募の件を漏らしそうになり、慌てて言葉をのみ込むのだった。 応募作品を思い出す限り、信じられない思いが渦を巻き始めていた。 てっきり文学少女かなにかで、自分から押しかけた類(たぐい)のひとりだと 勝手に決め付けており、まだその思いが消えない。
森島碧から、思いもよらない言葉が発せられたのはその後だった。 「え、まぁ。ただ施設にいた時、唯一の愉しみは読書だけっちゅうヒトでした」 「施設?馬渕所長も言ってたけど。。。」 「佐伯さん。。。」 森島碧がまたも視線を合わせた。 「あ、無理に言わなくても良。。。。。」 何かを秘めたような、その瞳が かッと見開きこちらを見つめていたが みるみる泪が溢れ出し、しまいには声を上げ彼女は泣き出してしまった。
つづく
今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。