小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線10

その居酒屋は駅の反対側にある。 だが駅の裏側に出たとき、店の看板の明りは消えていた。 「ん?」 おまけにガラス扉には、何やら張り紙がしてある。 「え、定休日?」 小走りで歩み寄りながら、森島碧を振り返る。 「いえ。。。そんな筈は。。。」 店の前まで来ると中から賑やかな笑い声が聞こえた。 張り紙には (本日11時から13時までの間「銀遊詩人の会」発表会につき貸切りとさせていただきます) とあった。 「くっ。よりによって。。。」 「銀遊詩人。。。。」 森島碧が小さくつぶやいた。 「えっ知ってるの?」 「えぇまぁ」小さく頷き 「たしか現代詩の愛好家の皆さん達で。。。案内のハガキが先生宅にも」 「銀遊詩人。。。吟遊詩人なら知ってるが」 首をひねってると 「あ、このあたり周辺にお住いの皆さん、地域のサークル活動みたいな」 「ほーう。」 小説家に、現代詩の愛好家たち。ますますこの街全体から文学の薫りが漂ってる気がした。 だが、問題は空腹。。。 周囲を見渡したが、食事の出来そうな店はなかった。 コンビニが一軒あるだけだった。軒先で店員が声を枯らし花見弁当を売っていた。 「あのぅ。。。。」 森島碧が指差しながら、おずおずと切り出した。 「お弁当で、洗足池公園とか。。。花見がてら」 「え。時間は大丈夫?」 勿論。と言うように森島がにっこりと微笑んだ。 「うわ。そりゃあ良いっ。いいじゃん、それっそれっ」

今にして思えば、赤面するような、はしゃいだ声を張り上げていた。

※ 春休み中ではあったが、月曜の昼下がりと言うこともあり、 洗足池は人影もまばらだった。ゆったりとした時を過ごし、 満開の下での、この上ないランチタイムを味わった。

「おかげで、念願だった勝海舟の墓もしっかり見届けることが出来ました」 「相手の方、この近くだったのですね」 「えぇ。。。」 そのくせ、30年ぶりにやって来るほど、いい加減な男なんです。 それを言われると辛いものがある。 「恥ずかしながら」 「え?」 「だって、この歳になって初めてやって来る。。て、今まで放ったらかしにし、 ナニやってたんだってコトですから」 「いえそれは無い、思います」 めずらしく森島碧が、視線を合わせた。 「いくら事情があろうとなかろうと、やはり僕はそれだけの男っちゅうことです」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しばし、初恋の相手捜しの件で盛り上がってはいた。 だが、もっぱらの関心ごとは、この目の前の彼女だった。

「しかしまぁ驚きです。西崎事務所入りが偶然だったなんて、あの。。。」 ついつい応募の件を漏らしそうになり、慌てて言葉をのみ込むのだった。 応募作品を思い出す限り、信じられない思いが渦を巻き始めていた。 てっきり文学少女かなにかで、自分から押しかけた類(たぐい)のひとりだと 勝手に決め付けており、まだその思いが消えない。

森島碧から、思いもよらない言葉が発せられたのはその後だった。 「え、まぁ。ただ施設にいた時、唯一の愉しみは読書だけっちゅうヒトでした」 「施設?馬渕所長も言ってたけど。。。」 「佐伯さん。。。」 森島碧がまたも視線を合わせた。 「あ、無理に言わなくても良。。。。。」 何かを秘めたような、その瞳が かッと見開きこちらを見つめていたが みるみる泪が溢れ出し、しまいには声を上げ彼女は泣き出してしまった。

つづく

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。