「ぜ~んぜん。あ、それよりミドリ、そっちに向かわせたから」
「は!?」
「彼女の消息らしきもの、なにか確認したいことがあるそうなの」
「え、なぜ彼女が」
「馬渕事務所からの電話、あなたの携帯に通じないらしいけど、まさか拒否してない?」
「あ!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 慌てて壁時計に目をやると、2時の針は回っていた。
1時半すぎに西崎事務所を出たというから、ふつうなら2時半すぎには着く。
ち、もっと早よ言え。と毒づく。
ふと散乱したままの応接テーブルが目に入る。
あちゃー。よりによってこんな時。
うわ、ジャージのまま・・・・
ま、これは良いか。西崎事務所を訪ねたとき
よれよれのジャージ姿で西崎が現れたのを思い出す。
あ。コーヒ豆、切れかかっていたのでは?。
いや若い森島には冷たいのが良い?
あ、ウーロン茶も空だったのでは・・・・
慌てて冷蔵庫を開けると、飲みかけのミネラルウォーターだけがぽつんと寂しく。
仕方ない。表通り、国道沿いの自販機。
ん!?こ、小銭は?
あ。そ、それより何より、
黒の、さ、財布。。。。いったい、どこいったぁ~~!?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エレベーターに乗り込みながら、妙にうろたえてる自分が可笑しかった。
何を慌ててる。俺。
森島碧・・・・
彼女ともおおよそ2週間ぶりの再会。心のどこかに、彼女のことが常にあった。
なぜにまた?
春爛漫の洗足池公園。満開の下で共に弁当を広げたこと。
とつぜん彼女が泣きだしたことも要因のひとつだろう。
だが、それより何より、あの文学的才能。
強烈な過去が下敷きとは云え、あの才能は只者ではない。
おそらく西崎とも代、いや森島碧。本人すら気づいていないのでは。
しかしなぜこうも、胸が騒ぐ・・・・・・・・。
※
「あの時はとつぜん申し訳ございませんでした」
きっちり2時半にやって着た森島は2週間前の詫びから口を開いた。
だが、
「あ、いやいや全然気になど・・・・・
言いかけを遮るや
「うわー先生の言ってた通りです。す、すごいです」
「は?」
「東京タワーが真正面!」
「あぁタワー。。。。」
お邪魔します。と入るなり
「少し良いですか」
と元気よく、窓側に立った。
やはり。。。森島もただの現代っ子。
遠慮とかの意識はあんまり薄いのかも。ま、仕方ないね。
ややがっかりしながら横に立った。
森島はしばらくバッグをゴソゴソさせ、単行本を取り出したかと思うと
さらに間に挟んでいた写真を取り出した。
おもむろに窓側に向けるや
「婆っちゃん、東京タワー。見える?」と静かに呟いた。
!
そういうことか・・・・。
彼女はしばらく、祈りにも似たその姿勢のままいたが
ようやく「どうもすみませんでした」と顔を上げた。
「婆っちゃんの憧れだったんです。東京タワー。。。けれど、とうとう一度も見ないうち。。。」
と、ハンカチで涙を拭いながら言った。
「え、えぇ。。。」
唯一 庇ってくれたあの祖母ですね。思わず言いかけ、慌てて飲み込んだ。
ふと彼女が小脇に挟んでいた単行本に目が行った。
「あ、ミモザの祈り。。。。」
文芸新春、退職まぎわ、最後の編集に関わった記念すべき本。
帯のキャッチコピーで著者の寺島氏と言い合いになったが、
最終的には私の案が採用になったのだ。
そうかようやく出版なのか。
しげしげと見ていると
「これ、帯のコピーに吊られて買っちゃいました」
「え?」
「【じゃが、順調なときほど、どえらい事が起こる】これて、逆も真なりですよね」
「ほーう。例えば?」
「どえらい時を過ぎたなら、やがては幸福が。。。て」
きっぱり言うや、涙で 光った瞳で私を見つめた。
あ。この瞳。
どぎまぎしながらも、私は高野しおりの面影をそっと重ねていた。
つづく
今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。