何もかもが、すべて哀しいです そう言ったきり森島は泣き崩れた。
「ほ、ほれっ、佐伯社長ッ。お願い。あ、あんたからも。。。」
「う、うん。。。」
初恋に浸るどころか、過去の自責の念と、酒の酔いとが相まって ついつい声を荒げ・・・と、言うより西崎とお互いに汚い言葉使いでの激しい言い争い。 それは児童虐待の過去をようやく乗り越えた森島の前では 絶対タブーなコトだった。
酔いも一瞬にして吹き飛ぶ。 だが、なんて声をかけて良いものかわからず、オロオロ、ぼーと突っ立てるだけだった。
すると西崎が 「タオルある?キレイな奴」
「うんまぁ」洗面室に走る。
収納棚から一番良さそうなのを選ぶ。
「これでどう」 受け取るや、匂いを嗅いだり確かめていたが
「お。いいじゃん。じゃっこれで冷やしてきて」
西崎はテーブル上のアイスペールを掴み上げた。
バーボン用に用意していた氷。すでに幾つかは溶け始めてはいたものの、タオル一枚を冷やすには充分な量だ。
「了解」
「あ。冷蔵庫、ペットボトルの水もついでに」
「りょ、了解。ニシザキ先生!」
「先生は居らんから」
「了解 先生」
「えぇからサッサと」
※
まだ数ヶ月とは言え、共に暮らすだけあって、森島碧に対する西崎の行動と判断は的確だった。
冷やしたタオルで涙の顔を拭い、背中は優しくさすり続け、 少し落ち着くごとに、水を少しづつ飲ませ。。。
それはまるで本当の母娘のごとくでもあった。
一方で、オロオロするだけの自分。なんともまあ情けない男を実感、自覚した日でもあった。
自分勝手の、おまけに頼りないだけの男。。。
そして。。。こんなにも自分勝手だった男。
今さら高野さんに会ったとして、一体何の意味がある。
一体何を言い訳する。
何を詫びる。
「すっかり迷惑をかけてしまったわね」
玄関で、よろけながらようやくパンプスを履き終えた西崎が振り返った。
森島の落ち着きとともに、酒の酔いが戻ってきたようだった。
「え。大丈夫?」
「もちのロン」
元気よく敬礼する。そのくせ足がふらついている。
「本当にありがとうございました」 すっかり落ち着きを取り戻した森島が、こんどは西崎を支えながらぺこりとお辞儀する。
「と、とんでもない。こちらこそ」
すると西崎は部屋を覗き込み 「あらら、散らかしたままやったわ」
「あ、私片付けてきます」
森島が戻ろうとするのを両手で遮る。
「と、とんでもない。ぜーんぜん大丈夫。ぼちぼち片付けるから。それより西崎先生を」
「で、でも」
「お客さんにそんなこと、さすがの僕でも出来ないなぁ」
すると西崎は、ぐいっと森島を引き留め
「ほんま?甘えてええの」
「もちろん、それぐらい。なんだかんだあったけど、結構楽しかった」
「うちらもや。次、この借りを返すわね」
「借りだなんて。こちらこそ。なんて言って良いか。。。
あ、馬渕さんから進展あればまた連絡するから」
「ありがとう」「ありがとうございました」
ふらつく西崎を森島が支えながら二人がお辞儀する。
「あ、下まで一緒に」
「間近で見上げるタワーも凄いね」
「いやあほんま」
じゃあ、とお互い背を向けてしばらくのことだった。
なにげに振り返ると、西崎は完全な千鳥足。必死に支える森島の姿があった。
※
ラッシュ時間を過ぎた池上線、車内の座席は飛び飛びに空いて居た。
だが、西崎をようやく座らせた端っこの座席。
森島とふたりで見守るように、 ドアの隅、並んで立った。
「本当に助かりました。けどなんとお詫びして良いやら」
急に大人びた森島。 すっかり酔いつぶれた西崎をなんとかしなければの気持ちが働いたのだろう。
「とんでもない、あなた一人じゃ大変でしょうから」
「すみません」
「いやいや」
森島は西崎の寝顔を確認するや、夜景を眺めた。
ふっとその横顔に高野さんの面影がよぎる。
すると、変に意識をしてしまい、つぎの言葉が出なくなってしまう。
え。どうかしまして?
的な表情をこちらに向けたまま、森島も黙り込んでしまった。
お互いに見つめあったまま、数秒の時が流れた。
え。これて。。。
もしかして
古い電車のドアのそば、ふたりは黙って立って居た。 話す言葉を探しながら、すきま風に震えて。。。
古い電車じゃなく、すきま風も無かったけれど、
まさしくあの歌、歌の世界そのものだと思った。
そして、池上線 第一部終わり。
物語は 第二部へと つづく
今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。