小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線37

(そして、池上線 第二部)

 

窯場の天井近くにぶら下げたトランジスタラジオのスピーカーからは、

昨夜、熊本地方で起きた地震を伝えるニュースがひっきりなしに流れている。

 

だが夜を通し窯を見守り続けた吉岡紫織(よしおかしおり)にとって、

気になりつつも先ほどの仮眠中に現れた夢を気にしていた。

 

 

(またもあの頃の夢を。。。これで何度目?)

 

これで二度。。いや三度目。子供の頃から夢をよく覚えている方だった。

要するに単に眠りが浅いだけのことなのだろうけど、

同じ夢をこうも立て続けに見るなんて、初めてのことだった。

 

場面は30年も前の代々木公園。あの芝生、そして・・・・

弟のように可愛がった彼の笑顔。。。

この30年。忘れるどころか、いつも心の中にあった。

いわば自分の人生を変えるきっかけにもなった彼。

荒涼砂漠の真っ只中にあって、みずみずしい水をたっぷり降り注いでくれた

彼。。。

今ごろはたして。。。

 

ふっと窓を見上げる。

 

え!もうあんなに明るく。はッと壁の丸時計を確認する。

なんだまだ5時半。

 

7時の窯出しにはまだ余裕がある。

夢の余韻を味わいたく、眼を閉じる。

 

遠くからは、断続的に繰り返す日本海特有の波の音が聴こえていた。

 

4月だと云うのに今日も暑くなる予感がした。

 

あ、バイトの学生ら果たして来てくれるのだろうか。

窯出しに間に合わないとすれば、こりゃあ大変。

念押しの携帯電話入れるべきだったかな。。。

 

そんなこととか気になり始め、気づけば代々木公園の芝生も

彼の笑顔は遠ざかっていた。

 

けれど

神棚の茶碗。人生を変えるきっかけにもなった茶碗。

心を揺さぶられ、気付かされた陶芸の美。

あれさえあればいつでも蘇る彼の笑顔。

噛みしめる思い出だけで充分の幸せ。

いつもの思考の果てに、ようやく落ち着くと、元気よく起ち上がるや、

土まみれの作務衣。尻の土をパンパンと払いのけた。

 

『さあて、本日もお願いいたします』

 

誰も居ない窯場に向かってかけた言葉が、

木霊のように帰ってきた。

 

 

つづく

 

 

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。