「じつは彼女もその店で待ち合わせてあるんです」
胸がどきりと鳴った。
「画廊よりも、じっくりお話が出来るやろ。そう思いまして」
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「えークルマて、あれかいな」
西崎が素っ頓狂な声を上げた。レンタカーというのはハイエースのバンだった。後ろの荷台スペースは、広げられたままだった。
「すんません、直ぐ座席を作りますので・・・・」
馬渕が後部シートを用意しているのを見ながら、「あのさぁ、上田嬢、何のリポートだったの」
西崎に問うと、
「気になる?」
「え。まぁ一応。。。」
その時「じゃあ先生どうぞ、足元が少し狭いけど後ろ、どうぞ。あ、床高いから、気いつけて」
馬渕の案内に、西崎が どうもお疲れ。どっこらしょと乗り込んだ。続いて乗り込もうとした時、
「あ、佐伯社長はこちらでも」馬渕は助手席をすすめたが、
「いや先生の横に」と西崎に続いた。スライドドアは電動だった。かちゃりと、静かに閉まった。
バンにしては乗り心地は悪くなかった。昔のイメージとはかけ離れており、目を閉じたままなら、乗用車となんら違いはなかった。
「こういうの、初めて乗ったわ。天井が高いから広々と快適やん」
はしゃぐ西崎の言葉に
「そう言って頂けると安心しました。最初、迷ったのですが、彼女の作品を運ぶ為、ギリギリの選択だったんです」
なるほどと、後ろを振り返った。座席を倒すとかなり広いスペースが生まれる。
「この荷室全部、彼女の作品で?」
「えぇまぁ、と言っても割れ防止の緩衝材がほとんどでしたけど」
ふと学生時代の苦い記憶がよみがえった。
作品づくりそのものが、苦労の連続だったけれど、当時一番の悩みのタネ、それは如何にして展示会場に運び込むか?だったのである。茶碗や、湯呑みなど、小品だけならそれほど問題はないが、大皿や壺など大作の場合、運送業者の手配の煩わしさ、そして何より、当然ながら相当な出費の覚悟が必要だった。そういえば当時、アルバイト代のほとんどは、運送費へと消えたのだった。
「吉岡さんも喜んだでしょう」
「えぇそりゃあもう」またも馬渕は満面の笑みを返した。
先ほど小さく感じた嫉妬の気持ちなどすっかり飛んでおり、素直にこちら側にも幸せな気持ちが込み上げて来るようだった。
「本当、安心しました。なんかこう僕まで嬉しいです」
「佐伯さん」
「え、はい」
「恋と愛の違い、知ってますか」
「心が下にあるのが、恋で、愛の場合は 真ん中に心。。。て奴ですか」
すると馬渕は
「ほーう、なるほど。初めて知りましたそれ」
「え?じゃあ答えは」
「いや、同じようなものかも知れません。で、彼女。。吉岡さんから聞いたんですけどね、自分のことを中心に思うのが恋。相手のことをまず思いやるのが愛。。。いやあ、これ聞いた時、目からなんとやらでした」
「うわあ、私も初めて知った。メモメモ」さっそく西崎は携帯と老眼鏡を取り出した。携帯のメモ機能を開くと、さっそく馬渕の言葉を打ち込み始めた。
なるほど。。。相手のことをまず思いやるのが愛。
あの頃の僕は
高野しおり。。。さんへの想いは たんなる恋。
いわゆる自分のことだけを中心にしていた思い。
だが、吉岡紫織。。。いや
やがて馬渕紫織となるであろう彼女への想い。それは紛れもなく愛。
ふいに森島碧の瞳が思い出され、次、三好菜穂子の瞳が脳裏をかすめた。
森島碧への感情は、単なる恋ではなく、親としての愛情。ゆえに恥じることはあるまい。
三好の場合。。。。
こんなにも情けない自分を、いつまでも慕ってくれる元部下への。。。
というより、今まで、なに一つ彼女の気持ちを気づいてやれなかった自分に対する怒りと反省。すなわち、まさか彼女への愛が芽生えたと言うのか。。。。
「でさあ、さっき聞かれた続きやけど」
「て。?」
西崎は一瞬むっとした声で「上田ちゃんのリポートよ」
「あ。ごめんごめん」
「佐伯社長、あなたの不倫物語の完成度を上げるために、どんだけ・・・」
すると、すかさず馬渕が
「はあ!?不倫?」とルームミラー越しに振り向いた。
「あ、まぶっちゃん、ちゃうちゃう。小説の。架空の物語やから」と西崎が笑った。
ミラー越しに馬渕と目が合った。苦笑いの私の表情を確かめ
「でしょうな。あーびっくりした」と馬渕もようやく笑った。
「で、完成度て、たったのあれだけで?」
上田かずみとは、京都までの二時間弱、ただ横に座っただけ。それに会話のほとんどは西崎の最近についてが主で、しかも後半1時間、彼女はスマホとにらめっこだったのである。
「上っちには、課題を与えていたの」
「て?」
「もし。。もしも不倫相手と、京都まで乗車することになったら?どんな気持ちを引きずっての新幹線?。車窓から見える富士山だって、独りの時にみた景色とは、随分違って見えるはずでは?とか、思いつくすべて、なんでもかんでも書いてみてって」
「んな。。。。。。て、そこまでこだわる?というより、上田さんに申し訳ない。いくら彼女でも不倫の気持ちが分かるわけない」
「だって。。。。彼女、数年前、ちょっぴり経験者」
「えっ・・・・・・・・・・・・・・・」
しばらく車内は静寂に包まれ、車は京都市内をかなり北上していた。
「あそこ、右手の奥、こんもりした森が見えますでしょ」
馬渕が右手を指した。
「えぇ」
「あの森の中に、あるんです。あとで行く画廊」
西崎の肩越しに覗き込むと、東山が見え、その山裾に広がる小さな森が見えた。
「ほーう。ええとこやん、もっと街なかにある思ったわ」
「あ、彼女も西崎先生と同じこと言ってました」
「あら、そう?」
「やはり、昔から先生のファンだけに、通じるものがあるんでっしゃろな」
「うわぁ、嬉しいこと言ってくれるじゃん。けどそれ出来すぎ、話つくってない?」
すると馬渕は、ぶるるっと顔を左右にふり、「ほんまですって、なんなら直接確かめて下さいや、先生」
いつの間にか馬渕も大阪弁になっているのが可笑しかった。
「で、佐伯さん」
「あ、はい」
「ほんとうに、よくぞ来てくれました。私からもお礼言います。この通りです」
馬渕は前を向いたまま、頭を下げた。
「とんでもない、こちらこそです。滅多にできない経験させてもらってます。それを思うとこんなに嬉しいこと。。。」
「あー、彼女も同じこと言ってました。嬉しくて夕べ、一睡もできなかったって。何から話を始めたら良いかしら、っとか」
「まさか?大げさな」
「とんでもない、佐伯さん。何度でも言わせてもらいます。今の自分があるのは、すべて貴方のおかげかも知れないって、人生で一番苦しく、辛い時、あなたのその笑顔に救われたって、何度も何度も泣きながら言うんです。僕もそれを聞いて、何度も泣かせてもらいました。最初、嫉妬の気持ちもありましたけどね」
西崎が鼻をすすりあげる音が聞こえた。
え?と振り向くと 西崎はハンカチで目を覆っていた。
西崎はハンカチをあてたまま
「それ、うちも丹後半島取材に行った時、聞いた」と言った。
「ようやく着きました。ここですわ」
馬渕は、広々とした駐車スペースに乗り入れ、水を打った砂利を鳴らしながら車を進めた。
タイヤの音に気づいたのか、出てくる数人の影が見えた。
豊かな樹々に囲まれてた静かな佇まいの料亭屋敷、今どき珍しいかやぶきの屋根が嬉しい。
しばらく屋根を見つめたままでいると
「あれ?奥の彼女」
え?
西崎の声に、石畳につながる玄関に目を凝らし始める。
三人居る右端の奥で、ひときわ目立つ和服の女性が、じっとこちらを見つめていた。やがてその手は、大きく振り始めた。
了
今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。
長い間、お付き合いくださいまして、有難うございました。