2010年4月2日 午前11時50分 和歌山県警田辺署 第三応接室
コンコン 婦人警官の軽いノックが響く。「田沼さん、署長が参りました」 婦人警官の案内で、のそりと署長が入ってきた。 総務課主任、田沼は、さっと立ち上がり、直立不動の姿勢を保った。 つられて佐々木らも立ち上がった。 「署長、会議中、申し訳けありません。ご足労をおかけしました」 田沼は深々と腰を曲げた。 まるで厄介仕事で呼び立てたごとく、謝っている。
(ココも絵に描いたような、縦(たて)社会だな) 栗原は腹ん中で嗤った。
「君、会議中なんだから。わかっているね」 署長は、田沼を横目で一瞥すると 佐々木らの前に歩み寄った。
「ほー探偵事務所の方ですか。どうも署長のナガノです」 佐々木が差し出した名刺を見ながら云った。 どこか見下した感じがする。 また署長からは名刺は出さず口頭だけで名前を告げた。
---「悪用されると、コトだから、彼らは滅多に名刺は差し出さないモノです。ましてや署長ともなると」 後で佐々木が教えてくれた。---
歳は60前後と言ったところか、署長という威厳より、定年間際の哀愁がどことなく漂う。 下を向いたとき、あごの肉がたるんだ。贅肉で覆われた体型、すなわち現場仕事の経験とか苦労とか、一切無縁な人生を歩んで来たと取れる。もしくは、かなり遠い過去なのだろう。 波風たてずに、できるだけ静かに定年を迎えたい。突き出た腹、茫洋とした表情が物語っている。のんびりとした地方署特有の風土だな。 ・・・瞬時に佐々木は読みとった。 (あさって4日に迫っている危機をどこまで察知してくれるやら)
会議中と言っても、おそらく署長ひとり蚊帳の外だったのではないか? 会議の推進、進行に直接関係ない存在だったからこそ、中座してこれたのかも知れない。 もしそうだとすれば、絶望的だ。 いや、なんとしてでもココの署を動かさねばならない。 すごすごと諦める訳には行かない。。。
佐々木は自問自答を繰り返す。 署長を真正面から見据えた。 「会議中のところ申し訳ない、では早速説明させていただきます」・・・・
これまでの河本社長の行方不明、それに伴う今までの一連の調査により浮かび上がった不審な組織の存在、と不審な行動、レンタカートラックの件まで、一切合切をまとめたレポートを説明しながら、提出した。ブルーシートについては指紋の採集を依頼した。
が、予想通り署長の反応には鈍いものがあった。 「ほう、よくぞここまで。ご苦労さまです」 資料を軽く流し読みするだけで、隣に座った田沼に渡した。 老眼鏡を胸ポケットに仕舞いながら続けた。 「ですが、4日の件はご心配には及びませんわな。ウチ(田辺署)だけでなく、和歌山県警管轄の警察署は勿論、民間警備会社に至るまでありとあらゆる組織に警護の応援を要請しております。
詳しい警備体制、警護方針、ここで明かすわけには行かないのが誠に残念ですが、 どうかご安心下さい。本日はどうもご苦労様でした」 どこか他人事の感じだった。早や、席を立とうとした。
(先ほどから腕時計を気にしていたが、まさか昼飯を心配してるんじゃねえだろうな) 栗原は唖然とした。
意外にも、総務課の田沼が、 「署長、ただちに会議に上げなくてよろしいんでしょうか」 と慌てた。 署長は予想外の田沼の態度に憮然としながら 「勿論、あとで報告する」 云いながら視線は腕時計だ。 「いえ、後ではなく、今直ぐ。丁度会議中じゃあないですか」 田沼が食い下がった。
「君・・・・」 ごくり、婦人警官が持ってきた茶を一口のみ 「立場をわきまえ、何を言っているのか分かってるのか」 「勿論です。わざわざお越しの佐々木さんらの資料によれば大変なテロ計画の予兆が」
「単なる推測にすぎない」
(す、推測だとぅ)佐々木は憤然とした。 ヒロシは今にも立ち上がりかけんが如く、テーブルに手をかけた。
「だから尚のこと、ただちに議題に挙げ、全員で討議すべき案件ではないでしょうか。場合により、佐々木氏らも参考人として同席を願ってはどうかと、自分は思います」 田沼は毅然と云いのけた。
署長はしばらく田沼を睨みつけていたが、再びポケットから老眼鏡をかけ直し、田沼に廻した資料を手繰り寄せた。
何度か佐々木に質問のやりとりのあと、ようやく看過できない案件と悟ったのだろう。
「うーむ。わかった、資料を至急コピーするように。ただ同席・・・それはまずい」 田沼に告げた。 佐々木は 「あ、もちろん会議に同席だなんて、そこまでは望んでおりませんので」
「申し訳ない」 署長は頭を下げた。
「いえいえ、そんなことより捜査会議。何よりも当日の警護の程、どうか宜しく願います」
・・・・・・・・・・・ 一抹の不安を感じながらも三人は署をあとにした。 民間人として出来るのはここまでだ。
・・・・・・・ 田辺署駐車場。高台にあり田辺湾が見通せた。 真っ青な海。波もなく穏やかに広がっていた。
「あの穏やかな海のように、何事もなく済んで欲しいですわ」 栗原が言った。
「本当です。平和が一番です。 さてと、ひとつ要件を済ますと急に腹が減りました。とりあえず食事にでも行きますか。病院の面会時間は3時以降ですし。 メシのあと私らワールドアドベンチャーを覗いて来ようと思います」
「じゃあ、近くまで送ります。会社へ戻る方向ですけん。ワシは会社に戻ります。明日から二連休ですのでその前に片づけ仕事が」 三人はクラウンに乗り込んだ。
・・・・・・・・・・
紀伊田辺ファミレス。栗原とヒロシが初めて会ったときの店に着いた。
「いらっしゃいませ」 店員が水とオシボリを持ってきた。
「お、相変わらず可愛い声や」 ヒロシがからかう。
「しかし、一時はどうなるか、思いましたけど、田沼って奴。見直しましたわ」 ヒロシがオシボリで顔をぬぐった。 「勝負はこれからや。会議・・・真剣に議論され、テロを未然に塞いでくれるとよいが」 栗原がつぶやいた。
「まぁ。あとは組織の力を信頼するしか今は。ただ、ひとつ気になるコトが」
「何ですのや」
「いえ、単なる思い過ごしかと」 (民間の警備会社も4日の警護にあたる・・・) 署長の言葉に、佐々木はふと不安がよぎり、未だに感じ続けていたが胸にしまった。 気のせいだろう。
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4月2日 午後二時 ワールドアドベンチャー
「思ってた以上に広いすね」 ヒロシが驚いた。
「ここは初めてか」
「所長は来たことあるんですか」
「かれこれ10年以上前やな、当時とかなり変わっている。例えばあのデカイ観覧車など、昔は無かったと思う」
佐々木が指さした先には、ひときわ大きい観覧車がそびえ立ち、 ゆったりと回転していた。
平日とは云え、春休み中なのか、かなり子供連れ家族が目立つ。
「ところで室井て奴、どこの係りなんでしょね」
二人は入場ゲートをくぐって直ぐ、園内の案内図を見上げた。 猛獣達のサバンナエリアに、イルカとかの海中ショーエリア。ジェットコースター、観覧車などのプレイゾーン。と多岐に渡り、広大だった。
「半日ではとても廻りきれないすね」 ヒロシが驚いた。
「管理事務所はここから近いな」 佐々木が案内図にあった事務所棟を指さした。
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「室井の担当は観覧車ですが、何かお客様に失礼でもあったでしょうか」
〔すべては入場者の笑顔の為に・・・〕 ワールドアドベンチャー 事務局 山中敬一
キャッチフレーズが胸のIDカードに誇らしく印字されている。
「あ、いえ、先日スナックで意気投合、いつか遊びに行く。て約束したもので」 咄嗟にヒロシが笑った。
「それはそれは、ありがとうございます。ただ本日はお休みをいただいているようですね」 事務局の山中は、壁際に張り付けられたスタッフプレートを見ながら云った。
佐々木もちらりと、見たが総勢百名ほど、ずらりと壁面一杯埋め尽くされた名札プレートの何が一体、どこのどうなのか、皆目わからなかった。 おそらく所どころ赤色になっているプレートがある。おそらくその名札が休みの印なのだろう。
「それは残念。ま、せっかくやから観覧車乗って帰りますわ」
「恐れ入ります。あのぅよろしければお名前を。後日伝えておきます」
「駅前のカラオケで会ったヒロシ。でわかるとおもいますけぇ」 「ありがとうございます」 スタッフは疑いもせず、深々とお辞儀をし、ヒロシらを見送った。
「カラオケで、会ったか・・・」 事務所を出るなり佐々木がからかった。 「所長 からかいは無しですよ」
「それより担当は観覧車か・・・丁度いい、園内を見渡せられる。折角やから乗って帰ろう」
「あ、いいすね」
乗り口は少し行列が出来ていたが、建物の影になり、春の日差しの心配は要らないな。 そんな事を佐々木は考えていた。 穏やかな晴天が続いていた。
つづく ※ 当記事は フィクションですので 万が一、実在するいかなる個人、団体、地名とも 一切の関係は ございません
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