小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その4

1980年・・・当時すでに”地球温暖化”の文字がマスコミを賑わせていたかどうかは思い出せない。が暑い日々が続いた事だけは覚えている。

6月に入るや真夏を思わせる気温の連続で、昼間の外回りは厳しいものがあった。
エアコンの効いた建物や電車に乗るとほっと一息ついたものだ。
船場商事株式会社営業部新人 森野彰。営業部に配属と云っても、新人の内は会議資料の整理、コピーなど雑用の仕事が結構多かった。と云うより就業時間中すべて、雑用仕事のみ。という日が続いた。

「得意先を覚える前にまず、社内を覚えろ。それには雑用をこなすのが一番や」
課長の川村の励ましとも、慰めともとれる言葉を胸に社内を走り回る日々だった。汗だくの営業活動にくらべ(これも良いか)と思ったものの、社内で過ごす時間は長く感じられた。

また、入社3ヶ月目になると新人の耳にも会社の実状について色々と雑音が聞こえてきた。
もともと繊維関係の卸商からスタートした会社ではあったが、時代の流れでいつしか商売の主役は、鉄鋼、石油、自動車、IC、情報へと移り変わり、繊維アパレル部門の第三課と云うのは、実はお荷物事業部でもあり厄介者扱いだった。

(お荷物事業部のさらに雑用係りなのか・・・)





そんな時、ピアノの話があり、
仕事場では川村課長が抜擢されたプロジェクトもいよいよ本格的に動きだし、そっちへの手伝いも日を追うごとに増えていった。

「さ来週の木曜。ようやくジャンニ・ビアンコの来日が決まった」
「え、いよいよですね」
「いや、とりあえずの”冷やかし”での来日だろうから喜ぶのはまだ早い」

イタリアのファッションデザイナーの話でチームは盛り上がった。
当時、ファッション業界の世界には疎く、そのデザイナーの名前など、僕、いやほとんどの日本人は知らなかったのだろうけど、

男ものの服飾業界。その世界に於いて知る人ぞ知る著名人だった。
イタリア国内ではもちろん、ヨーロッパで彼が得意とするゆったり目のスーツが、お洒落にこだわる男性からの評判と支持を得、紳士ファッション業界には珍しく、一大ムーブメントを起こそうとしていた。やがて日本でもその波が押し寄せるにちがいない

と、プロジェクトチームは狙いを定めたのだ。
繊維製品若しくは糸など原材料の買い付けがそれまで商事会社の仕事だったが、彼のアイデアつまりソフトそのものや、彼のブランド使用権の仕入れを考えた事が画期的だった。

「彼の商品を仕入れるのは勿論ですが、彼のブランド使用権を仕入れるんです。で彼のブランドを国内のアパレル業者に貸与、国内生産、国内販売を行わせ、販売金額に応じ、数パーセントのブランドロイヤリティを払い・・・」

「川村君、何でも買いの商社といえど、名前の輸入なんて聞いたことが無い」
当初は役員会議の席上、猛反対の砲火を受けた。

「ワシは面白いと思う」
営業三課の提案に唯一理解を示したのが国光常務だった。
「調べたところ、小さな輸入商社がブランド事業をすでに手がけてはいる。しかしウチほどの大手商社は今のところありません。折角の資本力や、海外ネットワークがあるのですからライバル商社に先駆け、やるべきと思う」

船場商事としては単なる仲介役で終わる可能性もあるが、長引く繊維不況の時代において少しでも活況づく手助けになれば。。。
と渋々ゴーサインが出たのだった。
名誉挽回と起死回生への為のプロジェクトが静かに、そしてたかぶる情熱のもと、大きな車輪が回転しようとしていた。

(木曜・・・・)
いよいよあさってか。新人の森野にとっては、仕事よりも、終業後の方が気になった。

・・・・・・・・・・・・・
「じゃあ来週まで、ある程度覚えておいて下さい」
石坂美央からそう言って渡されたプリント。。
音符の記号と読み方、その意味が書かれてあった。
音楽記号など遠くの昔に忘れているであろう常務に対して用意されたプリントだったが、
「すみません、僕にも」
「え、あなたも」
「はぃ、すっかり忘れてしまい」
「音楽の授業、ほとんど寝ていたんとちゃう?」
言って彼女は笑った。独特な笑い声だった。
・・・・・・・・・・・・・

日増しにピアノと云うより彼女への想いがつのる自分に驚きを感じた。

「高校には行っていないから正確にいえば高校生じゃあない・・・」
ふとその言葉を思い出した。

見たところ元気そうだし、ナゼ?何か理由があるのか?
まさか、はやりの不登校

・・・いやいや、あれこれ推測することも無いか。たんなる週一回、ピアノの先生と云うだけの子じゃないか。
と、頭から払いのけようとした。

長沢雅恵(ながさわまさえ)から電話があったのはちょうどその時だ。

「元気?電話もしばらくご無沙汰ね」
「ゴメン。何とかやってるけど雑用に追われ、ぐったりや」
「こっちも来週からの学祭準備で走りまわってるわ」
「え、もう学祭の季節か・・・」
森野よりひとつ歳下。生駒女子大四回生の長沢とは三年前アルバイト先で知り合った。
帰る方向が同じ私鉄K電車沿線、通う大学こそ違ったが同じ東大阪方面と云うことで話が弾んだ。
アルバイトの期間が終わっても彼女との付き合いは続き、それなりにデートを重ねてきた。
しかし、不思議なもので、金に不自由していた筈の学生時代の方が今より頻繁にデートを重ねた。
勿論時間の余裕が今とは比較できないほどたっぷりとあったが。

「じゃあ、学祭、行けたら行くわ。今度こっちから電話する」
そう言って電話を切ったものの、多分行かないだろうと思った。

         
                 ※
いよいよ木曜。会社終業時間の5時半が来た。
少し仕事が残っていたものの
「今夜用事がありますので」
と無事に席を立った。
定時に会社を出るのは久しぶりの事で、タイムカード前はずらりと、女子社員らの行列が出来ていた。

ようやく従業員出口をくぐり抜けた。夕方だと言うのに
陽は高く、熱気を振りまくようにギラギラと照り付けていたが、どこからともなく
“くちなし”の香りが漂っていた。


           つづく

※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在するいかなる個人、団体、地名、とも 一切の関係は
ございません 

 (-_-;)