小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その18

次の日、天気予報は雨だったが、空は晴れ渡っていた。
僕はいつもより、早く目覚めていた。
久しぶりに歩きまわったおかげか、前夜はぐっすり眠れた事も要因のひとつだろう。が、何といっても“プロモーション会議の大事な日”と云うことが大きかった。初めての提案が採用されるかどうかの日でもあったのだ。
もちろん採用されたところで社内だけの事で、この先ジャンニ側との交渉が残ってはいる。
しかし、たとえ社内であろうが、まず採用されることに非常に大きい意義を感じていた。
「最近どうしたん、今朝はまた一段と早いやん」
キミコが心配するほど、早く家を出た。
雨上がりの空気には独特の薫りがあった。
大阪にもわずかに残っている樹々たち。前日の雨をたっぷり吸ったその葉、花、樹木から放たれる“精”から力をもらえるような気がした。
時計を見る。(この調子なら7時過ぎには着く、いくら何でも前村より早いだろう)

だが






従業員出入り口の奥、部署別に区分けされたタイムカードを確認した。
一番乗りの場合、警備室に行き部屋の鍵をもらわねばならないからだ。
営業部署、ひとつだけ青色に裏返ったカードがあった。
まさかと思いながら名前を確認すると 前村加奈子 とあった。

前村は既に制服に着替え、机拭きの真っ最中だった。ひっつめ髪のお団子ヘアスタイル、メガネといういつもの職場スタイルに戻っていた。
(え!。。。にしても一体何時に来てるんだ。カードに打刻の時間、確認するの忘れたな)

「おはよう、昨日はお疲れ」
掛けられた声の方向を ハッと見るや、拭き掃除の手を止め駆け寄ってきた。
「お早うございます。昨日はお疲れさまでした。で三宅さん、どうでした?」
やはり宣伝課、三宅の事が気になっていたようだ。
「それがおかげさま。すんなり。て言うか・・・」
サヨナラコンサート参加への計画書が三宅の手ですでに追加されていた事。それも京都駅で電話を受けた川村課長が即、動いてくれたおかげ。などなど、やや興奮しながら昨晩の状況を説明した。

「うわーやったね」
「ああ、三宅さんも太鼓判押してくれたわ。でも今日の会議でどう転ぶかやけど」

                
                  ※
その会議にむけ、川村はいつにない緊張感に包まれているようだった。
ジャンニビアンコ側に提示する、船場商事としてのプロモーション計画。その承認の為の単なる会議。もし交渉決裂に終われば当然、無駄になってしまう計画書。その承認に過ぎない会議になんと社長以下、重役クラスほぼ全員出席するらしい。

三宅の話では、まだ契約が決まりもしない内に単なる計画書ごときに何度も修正を命じられたのは異例のことで、常務を始め、会社役員側からの並々ならぬ期待と重圧感がヒシヒシと伝わったそうだ。

「繊維部関連の仕事、久しぶりなんや、実は。これから君らの部署、大忙しになる予感がするなぁ」
昨夜三宅と交わした会話が蘇る。
「いままでお荷物事業部だったとか」
「いやそれはないやろ。本当にお荷物ならとうの昔に消えてる。他の分野がもの凄い勢いで追い越しただけや。衣、食、住の世界は廃る訳ない。君んとこ、いの一番に唱えられる“衣”やないか」

「なるほど。そんなものですか」
「ああ、そんなものや」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「30分前やがそろそろ行くか。10階や」
川村はいつもの会議室ではなく、社長室横、役員会議室を案内した。
「資料とか準備するものは?」
前村が聞いた。
「今日の分は三宅君の方で準備している」

会議室に入ると、一瞬ぎょッとした。
入り口にジャンニビアンコのスーツを着たマネキンが立っていた。
パンフレットでは何度も見ていたが、やはり実物とは違う。
ジャンニ

ジャンニ

「今さらですが、このスーツ凄いですね」
それまでのスーツと言えば 英国スタイルのやや細身が主流で、あるいはアメリカンのナチュラルショルダーのややラフなスタイルも見かける程度だったが、ジャンニが提唱するスタイルは独特なモノがあった。肩幅は広く、裾になるほど、絞ってある。逆三角形の男として理想的な体型スタイル。かと云って窮屈さは無い。生地の手触り感、光沢にも独特な華麗さがあった。

「だろう、現物を見たとき、僕でも衝撃が走った」
川村は胸を張った。

宣伝課室長、三宅はすでに来ており、スライド映写機の調整をしていた。部屋は薄暗く、前方にスクリーンが掛けられていた。
顔を合わし、目が合った。「よう、昨日はどうも」
僕や川村に笑顔で声を掛けたが、緊張なのか目は笑っていない。
昨夜見かけた女子社員が各席に資料を配布していた。
「私、手伝ってきます」
前村がすかさず駆け寄っていった。
「ええ奥さんになるのは、ああいうタイプだな」
川村が僕を振り返り、ニヤっと笑った。

スライド機の調整を終えた三宅は電灯のスイッチを押した。
薄暗かった部屋に灯りが点ったちょうどその時、
国光常務が社長以下数名の重役を案内し、入ってきた。
会議室の空気がピンッと緊張に包まれる。
国光は、僕を見つけるや、
「よう、昨日はご苦労やった。ジャーニービワンコTシャツ拝見させて貰ったで」
「は、いえどういたしまして」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1980年 6月24日(火曜)午前10時00分
川村の司会で始まった。

「では本日の案件、ジャンニ側に提示のプロモーション計画について広告宣伝課 三宅より説明させていただきます」

「では、お手元に配布の資料のうち、先ずは手書きペラの方をご覧下さい」

【イタリア“ジャンニビワンコ”ブランドプロモーション計画】
との表題が付いたワープロで印字された100枚はあろうかの分厚い資料に、
手書き1枚の用紙が添えられていた。
ジャンニ


「では説明致します。先ず資料の左上、赤枠で囲んだところを拝見下さい。初期導入期の所です。この部分が一番重要であると考えます。如何に効率良く彼のブランド、もしくは彼のスーツを幅広く知らしめるかであり、初期に成功するかどうかが、今後の活動計画に深く影響致します」

言ったあと、スタッフに目配せをした。
スタッフは部屋のスイッチを押した。部屋は再び薄暗くなる。
スイッチを押したあと、中央に設置された映写機に駆け寄る。

スライドが前方のスクリーンを映し出した。
山下ゆり恵 引退の文字が大写しになっていた。おそらく彼に渡した夕刊から作成したのだろう。

役員席の方から軽いどよめきが聞こえた。

「引退のニュースはワシでも知っている。だがジャンニと何の関係があるのかね」
国光の声が響く。

「はい、彼女のサヨナラ公演を全面的に支援したいと思います。会場費、告知宣伝費、音楽スタッフの人件費そのもろもろ経費、全額は無理として、それなりのバックアップ、支援協力をプロモーション予算から申し出るのです」

「き、君。紳士モノスーツのプロモーション計画になぜ女性アイドルが出てくるのかね」

「先ほど申し上げた、初期導入期の大切なファクター(知らせる・記憶させる・興味を持たせる)ここで彼女のインパクトが発揮されると考えています」

「確かに先日、皆があっと驚く計画や と云ったが何か履き違えてるのではないかい」

「初期の告知活動に彼女のニュースはグッドタイミングでした」

「あれだけ国民に支持されたスターの引退や、ニュースバリューは認める。だがジャンニと結びつかへん」

三宅は国光の意見に無視するように
「では次 スライドをお願いします」

絵コンテが写し出された。
そこには 山下ゆり恵がスーツを着て、武道の型を決めるシーン。
決めたあと、「この着心地、このスーツ。衝撃だよ

BGMとして、彼女の新曲“衝撃”
と書いてあった。
会議室に軽いどよめきが走った。

「絵コンテでは伝わらないかも知れません」
三宅はそう云ったあと

「前村さん、急で申し訳ない。前に出て来てくれる」

「え、あ、はい」
そう云って前に出た前村に三宅がマネキンのスーツを着せた。

「さっきの絵コンテを再現してみてくれる」
スタッフがラジカセを鳴らした。

スローなジャズ風“衝撃”が流れる中 前村は見事に武道の型を演じた。
そして あの決めセリフ。。。

「この着心地、このスーツ。衝撃だよ」

会議室から 先ほどより、ひと際大きいどよめきと拍手が起こった。

いきなりのセリフ。うまく云えた筈だ。
このアイデアは前村が湖西線の中でひねり出したものだった。

                つづく
※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在するいかなる個人、団体、地名、とも 一切の関係はございません 

 (-_-;)