小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その20

6月25日水曜。ジャンニビアンコとの契約交渉を翌日に控え、川村の呼びかけでプロジェクトチームの最終会議が行われた。 会議と言っても、契約交渉の席に参加しない国光を始め、他のメンバー達を安心させるため、交渉のシミュレーションや申し送り事項の確認。それにプロモーション会議に参加出来なかったメンバーへの報告も兼ねた説明会のようなものだった。

「・・・・というコトで明日、基本契約料は年間1億リラ日本円でおおよそ2千万。オーバーロイヤリティー上代の4パーセント。期間は5年。5年ごとの更新は両社再び協議の上。当初考えていた金額で提示します。それでいいですね」川村は国光の表情を伺った。

「うむ。おそらく彼らは、角紅の名前を持ち出し、契約料をつり上げてくるかも知れん、その時のため例の商標登録証や、写しを忘れずに。ウチが持っている類似商標。それを盾に低予算の交渉もしようと思えば可能。それにもかかわらず、一億リラもの大金を提示するのは私どもの誠意です。ちゅうて」 「はい、心得ております。あ、それに関連してですが、つい先ほど二課の島村君から聞いたのですが、あのビワンコTシャツ。追加生産が決定したようです」


「え!」 思わず僕は前村と顔を見合わせた。 「発注はナニワスポーツからですが、元の注文主は例の近江舞子のオヤジさんとのコトです。店の在庫が少なくなったちゅうて。ナニワスポーツもこれを機に他の店にも向け、積極的に生産、販売を再開しようとなったらしいです」

雨の湖畔、あの店、あの主人の笑顔が浮かんだ。たった二日前のコトが妙に懐かしい。

「思わぬ収穫やな。だが追加生産て可能なんか」 「幸いにも、原版が残ってたそうです。生地さえあれば100枚から刷れます」 「Tシャツでもジャンニビアンコのライセンス生産が決まれば、ややこしくなるな」 国光が笑った。

「Tシャツも勿論視野に入れてます。繊維モノであれば、ハンカチ、タオルに至るまですべてライセンス生産の方向で交渉します」

「ああ頼む」 欧米における“ジャンニ・ビアンコ”デザイナーブランドはスーツだけでなく、アパレル製品全般、帽子から靴下。まさに頭のてっぺんから足の先に至るまで席巻しつつあった。

プロモーション計画についてのメンバーへの説明は三宅祐司が行った。

「山下ゆり恵とは・・・・よくぞ思いついたもんや」昨日、得意先の用事で参加できなかった横山があきれた。が、もちろん異論もなくメンバー全員の承認を得た。

「ではイタリア語の翻訳に回してきます」 日本語で書かれたA4百ページの計画書を持って三宅が立ち上がる。

「え、今からか、大変やな」川村が声をかけた。 「いえ実はほとんど出来上がってまして。山下ゆり恵の箇所だけです」三宅は頭を掻いた。

「そういうコトかい、じゃ明日」 「明日また東京で」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「おーい森野君、国光常務がお呼びだ。すまんが7階まで」 内線電話を受けた川村が課長席から叫んだ。

終業時刻は回っていた。その時僕は前村と東京出張に向け打ち合わせの真っ最中だった。

「え、はい、すぐ行きます」 大声で返事し 「たぶん明日の夜、これの件や」 こっそり両手でピアノを弾く真似をした。

前村は「くすっ」と笑い、「じゃあ明日、新大阪改札7時。遅れないで下さい」と先輩風を吹かした。 「了解です。じゃあまた明日、お疲れ」 そう言い残し7階に向かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「おおすまんな、忙しい時に」 直接常務が出迎えた。 「で、明日のコトやが・・・」

用件はピアノの件。。。 てっきりそう思っていたが

「ジャンニの件、頼む。一時どうなるかと思ったが、君らのおかげで一歩も二歩も前進やな。じゃが・・・」

常務が “じゃが”と言うときは必ず身構えなければならない。

「じゃが、ここまで旨く行きすぎな気がする。ええか若い君にすぐ理解せえちゅうても無理かも知れんが、こういう時こそどえらいコトが起きるもんや、気を引き締めてかかるように」

「え。はあ・・・まあ、承知しております。それにこれぐらいのコトで決して慢心や油断はしておりませんから」

「それでや・・・・」 常務の顔に一瞬のためらいがあった。と云うより苦渋に満ちた表情が浮かんだ。

「ええ、何でしょう」

「それで・・・前村加奈子君のことやが・・・」 常務にしては言葉が途切れがちだ。 「前村さんがどうかしましたか」 「君たち、その・・・深いところには行ってないだろね」 「はあ、深いと申しますと?」 「つまり、なんだ、その、いわゆる男女の仲の・・」 常務の口から意外なコトを・・・と思った。

「よして下さいよ常務。ここ数日親しくしておりますが、あくまでも仕事上のコトです」 馬鹿馬鹿しい。席を立とうとした。 「まあ、まてそうじゃないんだ」 常務がうろたえた。 「そうじゃないなら何なんです」 「ワシの胸にだけしまって置こうと思ったが。。。」 「何をですねん?」 「昨日のプロモーション会議のあと伊村社長に呼び出しを受け、一緒に昼飯を食べに行ったんや」

「はあそれで」 面倒くさそうに腕時計を見た。やり残した仕事が気になった。が それどころじゃない話が常務の口から飛び出した。

「そこで伊村社長から驚愕なコトを聞かされたんや。前村加奈子は伊村健造前社長、伊村会長の娘や。つまり健介社長とは兄妹の間柄や」

「はあ?!そんな、苗字が違うじゃないですか、だいいちお歳が」 必死で伊村会長の顔を思い出そうとした。入社式で一度見ただけだがすぐに思い出せた。紋付ハカマ姿。背中は少し曲がっていたが、威厳のあるカクシャクとした顔つきだった。だが90近い御高齢な筈だ」

「驚くのも無理じゃない、ワシだって今でも信じられない。伊村会長とミナミの料亭“大井屋”仲居さんとの間で産まれた子や」

「んな・・・・」 そんなドラマや小説みたいな事が・・・ 絶句、驚愕という単語を初めて体験させられてしまった。

「昨日、空手の型を彼女が演じたろ、あれは沖縄糸陰流の独特な型や、糸陰流は伊村家の護衛たちだけに代々伝わる秘伝や。あれで健介社長がお気づきになられ、人事部に調べさせ判明した」 「このコト、他にも誰か知ってるのですか」

「いや社長すら昨日分かった。ワシと君だけや、あ、彼女自身も知らないかもや」

「んな・・・」 そのあとに続く言葉を、僕はしばらく見つけられなかった。

つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在するいかなる個人、団体、地名、とも 一切の関係

はございません

(-_-;)