小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二 Ⅲ 断崖編 その19

2010年3月30日 午前9時55分 白浜冷凍に戻ると、経理の沢田が電話を握りしめ、 青ざめた顔で、ペコペコと何度もお辞儀をしていた。 栗原と目が合うと、地獄で仏に出会ったかのように表情がほころんだ。 「あ、ただ今、戻って参りました・・・ 栗原さん、田嶋総業のタカギさんて方からお電話です。3番」 「ん?、タカギ・・・」 タカギと云われても、一瞬誰か思い浮かばなかった。 田嶋と聞いて、つい坂本元社長からの電話を連想したのだ。 「はい、栗原ですが・・・あッ常務、いえ新社長・・・はいご無沙汰してます」

(新社長じゃないか、それならそうと云え)

後ろで聞き耳を立てている沢田嬢を睨みつけると、栗原に向かって両手を会わせ、 またもぺこりと頭を下げた。


(新幹線の中からなのだが、先ほど浩二君の奥方から私の携帯に電話があった。今一つ要領を得ない話だが、浩二君とは昨日から全然連絡が取れないそうだ。何かあったのか、それに・・ 先ほど出たお宅の事務員も、 浩二君、いや新社長と替わってくれるように伝えても全然要領を得ない。一体どうなっているんだ。彼は元気でやってるのか。ちょっと替わってくれないか)

受話器を握りしめ、顔から冷や汗がでる思いだった。

「実は・・・」 栗原は観念した。

(なんだとぅ!)

受話器から耳を遠ざける。鼓膜が破れるかと思うほどの声だった。 「すんません、高城社長。坂本社長は、いや元、社長とはご一緒でしょうか?」

・・・・・・・ ぐったりしながら、ようやく受話器を置いた。 電話によると、高城は急遽東京行きが決まり、田嶋会長と新幹線の中。 坂本は田嶋本社で研修を兼ねた会議中だろうとの事だった。 坂本には会議のタイミングを見計らい秘書に伝えてもらうよう、云っておく。との事だ。 そのうち坂本からも連絡が入るだろう。 河本の奥さんには、当分のあいだ、ハッキリするまで伝えない方が良いとの事だった。

そして1分も経つか経たないかだった。 「栗原さん、2番に大阪のササキて方から電話が入ってます。」 「え?ササキ・・・」 今度こそ初めて聞く名前だった。

「はい栗原ですが・・・」 高城が、常務時代から懇意にしているという調査事務所所長とのことだった。 即、高城から白浜出張の依頼があったそうだ。 自分は直ぐに動けないが、若い社員を白浜に派遣させるとの内容だ。 さらに驚いたのは、今、電話している間に、その社員をこっちへ向かわせたとの事だった。 (佐々木事務所の、ナカムラヒロシ云う者です。駅に着いたら先ず連絡させます。まだ若いですが河本浩二君、いや河本社長とは、面識ある男ですので。あ、勿論私も用事が片づき次第、そっちへ駆けつけますよってに) 早口でまくし立てると、一方的に切れた。 高城との電話から 1分が経過するかしないかの時間だ。

いきなり調査員を白浜に派遣させるとは・・・

「凄腕の情報屋を抱えている。」 坂本から聞いたことがある。 今の男だったのか。高城と余程の信頼関係がなければこんな技(ワザ)は使えない。

手がかりは掴めたとはいえ、何も解決していない栗原にとって、胸のつかえが少し晴れた気分になった。 (さすがのワシでも一人では限界がある)

にしても・・・ それにしても、と思う。 坂本社長が全幅の信頼と尊敬を寄せる高城。 その高城新社長がわずか1分で、二人の男に白浜での調査を決断させた。

やはり、それほどの男だというのか。河本新社長・・・

時計を確認した。午前10過ぎだった。いつもなら朝の出庫のピークを迎えるのだが、今日は源田に任せていたので、手持ち無沙汰だ。 勿論仕事など手に着かなかったが。 バイクショップ松木が探してくれた、紀伊田辺のショップとの約束まで、余裕があった。 調査事務所の男が間に合えば早速、同行を願うか。 ふとそう思った。

※ 砂浜を何度か行ったり来たりしていた男は、 「ここが良い」 云うなり、スコップ代わりの板切れで穴を掘り始めた。 浩二が手伝いかけると、 「ブルーシートを持ってきてくれ、それと重しになる石も探してくれるとありがたい」 何の意味があるのか。疑問に思いながらも従った。

磯付近には石がごろごろ転がっていた。 自分たちを覆っていたあのブルーシートと石を抱え戻ってみると、 直径1メートルほどの穴が出来上がっていた。 深さは膝が隠れるほど。穴の中央、さらに少し掘り下げ、 男は拾ってきたガラス容器を置いた。

「この穴の直径を覆う大きさにシートを切りたい」 男はナイフを求めた。 一瞬、躊躇したが、云われるがまま渡した。 (妙な気など、今更起こしはしないだろう。とりあえずこの男に賭けたのだから) 器用にシートを切り裂いた男は、着いた砂を払いのけた。 「これを上から被せる。そっち側、持ってくれ」 穴をふさぐように、覆う。 シートの周囲を砂や石で押さえるよう指示した。 そして男は何度も位置を確認しながらコブシ大の石をシートの中央に置いた。 石の重みでシートは、垂れ下がる。 「何のマジナイやこれ」 「うまく行けばの話だが、まる1日もあれば下のガラスに水が溜まる。砂漠でも応用できる話だ・・・ 砂の中にもわずかばかりの水分がある。 太陽の熱で水分が蒸発し、水滴となってブルーシートをしたたり落ちる」

「そいつを中央のガラス容器が受ける・・・と云うのだな。だが1日もかかるのか。喉が焼け付いてヒリヒリする」 「まあ待て。とりあえず これでも齧(かじ)っときな」 言って フトコロから先ほどの野草を出し、ポキポキ折り、放り投げ寄越した。 「イタドリや、齧ると すっぱいが汁が出てくる」 言いながら齧り始めた。

浩二も真似て齧ってみた。すると、青臭いだけの香りが拡がり、やがて すっぱさが漂った。だが不快というより、その酸味が疲れた体に心地よい。 汁が滴る。必死で何度も飲み下した。 喉の渇きは 確かに癒えた。

「何でも知っているんだな」 「お前が知らなさ過ぎだ。もっとも贅沢さに囲まれ、慣れきった日本人・・・いや現代っ子の弊害だな」

(確かに・・・) 何の反論すら出来なかった。

次に男は、木を削り始めた。 スコップ代わりの平板に穴を開け始めた。 次に 拾ってきた枝を30センチほどの棒状に削り、 八角形に仕上げた。

「今度は何だ」 「火だ、火を起こす。海水から 水を作る。その為、先ず火起しだ」 「いよいよ火 か。まさか あの原始的な キリモミじゃないだろうな」 「そのまさかだ。手のひらを見せてみろ」 浩二の手の平をシゲシゲと見ていたが、 「嬉しいね。現代っ子のワリに 分厚い手をしている」 「一応 肉体労働者だ。キリモミに関係があるのか」 「ヤワな手の平じゃ、火が起こる前に 手の皮が焼けタダレてしまう」

木を削り終えると、ロープの先、数センチを切り、何本か揉みほぐした。 「これじゃ 種火になりにくいな」

浩二が履いてるジャージをシゲシゲと観察していたが、 「そのジャージのポケットを取り出してみろ」 「ポケットには何も入ってないぜ」 言いながら ポケットの袋を取り出して見せた。 隅には 綿埃がくっついているだけだった。 「まさか コイツ? このワタボコリ」 「ああ、火口(ほくち)に持ってこいだ」

棒の直径ほどの大きさに開けた穴に少し切り込みを入れ、 その付近に ワタボコリを敷いた。 ほぐした綿ロープや、枯れ草なども周辺に盛ったあと、

「最初やってみせる。よく見とけ。あとで替わってもらう」

云うや 棒を両手ではさみ込み、激しくキリモミしはじめる。

数分経ったが 何の変化も見られない。 「久しぶりにやったから 手の皮が焼けそうだ」 珍しく 弱音を吐いた。 「よし、やってみる。替わってくれ」

簡単そうに見えたキリモミだが、実際やってみると 最初のうちは、ぎこちなく、棒が板の上で、ただ空回りするだけで、 まともに回転しなかった。

「板も一緒に動いてしまっている。足や、足で押さえつけろ」 男の指摘は的確だった。 下の板を押さえつけると、スムーズにキリモミし始めた。

手の皮が 熱く、ヒリつき始めた。 が、我慢できないことは無い。 そのまま続けるうち、コツがつかめ、きれいな円が出来た。

「ええぞ、その調子や。手の平は大丈夫か」 「ああ、今の所・・・」

家島で 和船の魯を漕いだのを思い出した。 あの時の痛みに比べりゃ・・・

ツン と焦げ臭い匂いが鼻につく。

「あ、もうすぐや」 云うなり男は 板切れに顔を近づけた。

「そのままや、止めるな」 頬を膨らませ、ワタボコリが飛んでしまわないよう、 慎重に、そろり吹き始めた。

やがて埃から小さな煙が昇り、枯れ草や敷き詰めた枝木にも移った。 そしてついに、白煙から小さな炎が覗き始め、 やがてそれは

ゆらゆら と立派な炎となった。

「はは、やったな」

この一瞬の感動は 経験した者でないと絶対に解らないだろうな。

男と一緒に しばらくは炎を見つめた。。

※ 「佐々木事務所の仲村弘、云います」 隣街 紀伊田辺ファミリーレストランに やって来た若い男が 名刺を差し出した。

坊主頭に少々派手めな ストライプ入りの黒色スーツ。 右の耳には ピアスの跡さえある。

少し肩をイカラせ、蟹股な歩き姿に 栗原は “かつては、同じ人種” の匂いを嗅いだ。

「栗原と云います。先ほどは電話で失礼しました。急遽場所を変更申し訳ない」 「いえいえ、飯喰う場所考えていましたから、丁度良かったっす」

笑いながらも 仲村と云う男は 栗原の目を覗き込んだ。

(こいつも俺に残っているだろうの、空気を嗅ぎ分けたか・・・)

昼過ぎにもかかわらず、平日の為だろう ファミレスの店内は 閑散としていた。

(澄んだ眼のオヤジだな。だが 訳アリの人生を送ってきたに違いない)

仲村弘 通称“ヒロシ”は栗原の顔の アチコチに残った疵跡(きずあと)をいつまでも見ていた。

つづく

※ 当記事は フィクションですので 万が一、実在するいかなる個人、団体とも 一切の関係はございません

(-_-;)