小説の杜

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狂二 Ⅲ 断崖編 その25

2010年3月31日 午前10:10分 探偵事務所所長、佐々木淳一大阪府警刑事時代から、 初めて訪れる市や町の場合、時間さえ許せばその町の図書館へまず立ち寄るようにしていた。 退職後、探偵仕事で地方都市に行く機会が増え、その習性はかなり役に立った。

ごく小さな図書館やあるいは公民館内にある図書室には、 全国紙は勿論、地方新聞のバックナンバーを始め、市町村が発行する独自の広報誌などまで、 必ずと言って良いほど取りそろえられてあるからだ。

メジャーな新聞、テレビなど決して報道しないその町のごく小さなイベントや話題、 見過ごしてしまうだろう”何か”のひとつや二つ。 それらを発見し、解決の糸口に繋げてきた自負があった。


浅黒い顔の男を見失ったあと、佐々木は予定通り田辺市立図書館に入った。

平日しかも、雨の朝。ということで館内の閲覧者は誰も居なかった。 大ていは、二、三人は見かけるものだが、強くなった雨足が彼らを遠ざけたのだろうか。

市の公共施設の割に瀟洒な外観、館内もシティーホテルのロビーを連想させる立派な造りだった。 受付の職員に尋ねると、昨年末リニューアルオープンしたばかりだという。

「すみません、バッグはロッカーにお願いします」 うっかり、ショルダーバッグのまま閲覧室に入ろうとした。 「あ、申し訳ない」 ノートとペンケースを取り出し、ショルダーバッグをロッカーに預ける。

先ずは、新聞のコーナーに行く。 地元紙(南紀新報)の過去1ヶ月分を順に読むことにした。

なぜか、新聞綴じの金具は、2010年、2月8日からと言う中途半端な始まりだった。 仕方なく、その束から拾い読みしていく。

1面や、政治面のほとんどは、全国紙やマスメディアの報道で、目にした記憶のあるものがほとんどだった。 時たま、地元選出の国会議員が、衆議院予算会議で質問したときの様子を詳細に報道している記事に出くわす程度だった。

この面は軽く読み飛ばしていくことにする。

地方面や、社会面。さすがに初めて読む事件や出来事、地方特有の話題が満載だった。

だが、今回の事件につながりそうな記事は2月8日から28日までにはなかった。 あったとしても、連続窃盗事件やら不審火事件、いずれも容疑者は逮捕されている。

もう一度、読み飛ばした所も、念入りにめくってみたが、2月の記事には心に引っかかってくるものは無かった。

3月1日発行に移る。 社会面、地域面いずれもめぼしい記事は無い。 何気なく経済面を広げた時だった。

「東南アジア貿易振興会・田辺市に開設」 の見出しが飛び込んだ。

(1日より田辺市に東南アジア各地との貿易を普及させる為、民間有志の協力のもと新たにオープン。東南アジア各地から選りすぐりの担当者が来日、軌道に乗るまで駐在。特産品の輸入は勿論、和歌山地域特産の輸出面に於いて期待が持てる。2月28日には関係者が集って開設祝賀会が行われた)

とある。祝賀会の写真はなかった。 いつもなら見逃してしまう記事だ。 佐々木は”東南アジア”の文字に引っかかりを覚えた。 東京や大阪でなく、なぜ和歌山それも、田辺市という一地方なのか? 国際的貿易の振興を謳うなら大都市の方が効率的だろう。 また何より、ヒロシから聞いた謎の連中、それに何といっても、先ほど見かけた男が頭に浮かんだ。 早速確認すべきと手帳を広げる。 だが肝心の所在地や電話番号の記載がなかった。

南紀新報新聞社の電話番号を控えた。 本当なら直ちに携帯から書いた記者を呼び出し、詳しく訊いてみるところだったが、 閲覧室は携帯電話の使用が禁止されているので、仕方なくあきらめたのだ。

3月分も、29日まで他にはこれと云って気になる事件やニュースはなかった。

次 30日の朝刊を開いた時だった。 白浜とはあまり遠くない、すさみ漁港での 反捕鯨団体”シースピッツ”の妨害騒動を報じた記事を見かける。 大阪に居たときには入らなかった騒動だ。 海上保安部、和歌山管区所属の巡視船の全船の出動がわかった。とある。 わかった。つまりなんらかの方法で知った騒動なのだろう。南紀新報の記者がリアルタイムで取材したのではない。 これについては後ほど尋ねる予定だった田辺海上保安部にあたって見ることにした。

あと、宗教グループの法王が、いよいよ来月4日に和歌山で開かれる宗教サミットに向け、和歌山へやってくる旨を詳細に書かれてあった。大阪でも見かけたニュースだが、大阪ではベタ記事扱いだった。 世界的に著名な法王がいよいよ現地にこられるとあって、地元では歓迎ムード一色とある。だが彼はある国を追放され、亡命中の身であり、熱狂的な支持者が多数を数えると同時に、良くは思わない連中が居るのは確かだった。 浩二君の行方不明と、すさみ漁港、さらに法王の件が繋がりがあるとは思えないが、一応チェックした。

結局、地元新聞で見つけた(心に引っかかる)記事はその三件だけだった。

その後、市の広報誌、各団体発行の宣伝パンフなど一通り確認したものの、 これというめぼしい記事は無かった。

※ 2010年3月31日 午前6時30分 浩二はブルーシートのテントを叩く風雨の音に目覚めた。 ハッとし、 種火を確認する。

男はすでに起きていて、種火を護るように覆いかぶさっていた。 「やばかったぜ、シートの隙間から雨が吹き込んでた」 「それはそれは」 一安心も、つかの間だった。薪にと拾い集めた流木の殆どが雨にやられているのに気づいた。 予想より早く雨がやってきたのだ。

「そこに残っているだけか」 水を溜める為、1メートル四方に切り裂いたシート。そのシートに薪を覆い包んでいた。

「昼すぎまで持つかどうかだな」 元気なく男が返事した。

「いっそうの事。雨中の崖登り、それしかないか」 シートの隙間から空を伺う。

一向に止む気配はなく、夜明けは過ぎた筈なのに雲で覆われた空は闇に閉ざされたままだった。

「足の痛みは?崖、大丈夫なのか」 訊かれるまで、痛みは忘れていた。 全快とまで云わないが、かなり回復してた。 「平気や」 「イタドリのおかげだな」 「あの野草か」 「ああ、痛みを取る。それで、イタドリと日本でも呼ぶ」 「じゃあ中国では」 「中国では。。。。」 男が云いかけ、慌てて口をつぐんだ。

けれど、その慌てぶりが国籍を告白したようなものだった。 だが、そんなことはどうでもよく、 この雨中、そして、崖からの脱出に賭けようと、浩二は思った。

「はい、南紀新報です」 いきなりの無愛想な男の声だった。 電話交換も居ない、新聞社の規模を佐々木は思いやった。 (一体何人の規模なんだぁ)

「すみません、3月1日に掲載の 東南アジア貿易振興会の件で電話したのですが、 書かれた記者さんは居られますか」

「ああ、あれは私が処理したから覚えてますが、何か」 取材ではなく、処理と云う言葉に引っかかったものの、電話をたらい回しにされるよりはマシかと思い直した。

「それはどうも、それで貿易振興会へ訪問したいんですが、住所とか、電話番号を知りたくて」

「はい、ちょっとお待ち下さい・・・」 電話の向こうで パサパサ、書類を開く音が聞こえる。

1分とかからなかった。 「お待たせ、田辺市本町の・・・・この住所から見ると、JR紀伊田辺駅前やね。電話は・・・・」 男の言葉が気になった。

「取材に行かれた時の印象はどうでした」 思わず訊いてみた。 「いや、取材には行ってないんです。あれは先方からのリリースを元に の掲載だったもので」

予想外の答えが返ってきた。 だが、よく考えると全国紙でも、産業面とか、文化面 など 記者の取材なしに 先方からのリリース記事そのまま掲載されることがあり、特別驚くことでは無いのかもしれない。 小規模な地方紙の場合 尚の事だろう。 しかし 如何にも現地取材してきたような記事を思い出し、

「え?じゃあ、何の取材もされずに掲載されたのですか」 つい声を荒げてしまった。 「とんでもない、お客様・・・リリース記事が届けば、一応電話確認ぐらいしてます。 それにこの案件は 地元選出の国会議員からの紹介がらみなので、掲載しないわけも行かず」

国会議員の名前まで出てきたのは意外だった。 そう言えば 何日かの1面。トップ級の扱いだった。 地元選出の国会議員、今は野党となったが、政権与党当時大臣の経験もある彼の、予算委員会での質問に立つ記事が詳細に書かれていた。 (わざわざ割いて、トップに載せることか)と感じた印象を思い出した。

だからと言って鵜呑みには出来ない。 大物議員の名を勝手に借り、紹介とか、議員案件とか称しての詐欺事件もゼロとは言えない。

佐々木は時計を見た。何時までも地方新聞社の記者と喋っている余裕は無い。

紀伊田辺の駅前と言えば まさに目と鼻の先だ。 一応国会議員の名前を手帳に控え、先ほど聞いたそのビルへ行くことにした。

「じゃあ、とりあえず其処へ行ってみます。どうもお騒がせしました」

「いえ、どうも」

外に出る。雨はあいかわらず 降り続いていた。 だが、潮の香りを含んだ風に思わず佐々木は立ち止まった。

どこか懐かしい気持ちが蘇る。 しばらく考え、(あ、そうか家島・・・・) 強烈な体験だったあの日々を思い出し、 (まさかここ、南紀でも繰り広げるんだろうか)

潮風の方向をしばらく見つめていた。

つづく

※ 当記事は フィクションですので 万が一、実在するいかなる個人、団体、地名とも 一切の関係は ございません (-_-;)