2010年 4月2日 午後5時10分 プレタジュテ人材サービス本社
「お疲れさまでした。寂しくなるね」
腰を屈め、机、最下段の引き出し内にある私物を片づけていた陳麗花。 頭の上、声の方向を見上げると、河野美佐子が立っていた。
「あ、どうもありがとうございます。河野さんには色々お世話になりました」
「しかし、また急やね。当分の間、という契約やったのと違うん?」 「いえ、元々いつまでとか、特に決めては、いなかったので」
「まさか上の方から辞めてくれって言うコトと違うん?もし、それやったら私、話、付けたっても良いけん」
「あ、それはないです。私の方からの一方的な事情なんです」
「本当?それやったら良いけど・・・」
営業事務に所属する河野美砂子は、陳麗花にとって、唯一の話友達だった。正確に言えば、喫煙ルーム仲間と言ったところだろうか。
年は陳より一回り上、今年36歳になる。JAに勤める亭主と小学校高学年の子供が一人。会社ではベテランの域だ。オーナーとも昔からのつき合いらしい。
「へーあんたも寅年生まれかいな、道理で気が合う、思たわ」 確かそのような会話がきっかけで親しくなった。 臨時社員の陳に対しても、見下すような目線は一切なく、同じ従業員として何かと親切に接してくれていた。 ただ事情を抱えている陳としては、その親切さが辛かった。勤務時間が終わったあとも、幾度か誘いを受けたがずっと断り続けてきた。
「とうとう、飲みにも行かれなかったね。落ち着いた時でええからメールちょうだい。ウチにも遊びにおいでよ、亭主が居ないとき連絡するけん」
「うん、ありがとう・・・必ずする」 口で言ってみたものの、おそらく無理だろな。。。
こみ上げて来るものがあった。
本気で心配してくれている河野の表情を見ていると、涙が出そうになった。 「すみません、片づけ急がないと・・・」 視線を落とした。
「あ、邪魔してゴメン、必ず連絡頂戴ね」
言うと席の方に戻っていった。 背中を見送りながら、(出来っこなんて、ない。携帯の契約はあさって4日には解約する事になっている。何より私自身、この国から消え去らねばならない運命だ。。。) 涙が一筋、頬を伝い、手に持っていた便箋に落ちた。
※ 4月2日 午後9時半 家島諸島、タケ島 田嶋宅 玄関脇、黒電話のベルが鳴った。
(今頃誰だろう、珍しい) 柱の時計を見ながらサヤカは受話器を上げた。
「もしもし、夜分にすまん、サヤカん?」 信じられないぐらい、懐かしい声が響いた。
「うわー、ゴン。。いやコージさん。久しぶりやね、なんしたん(どうしたの)?」
「お、元気そうな声や、安心したわ。秀さんは元気か」 「うん、相変わらず毎朝早くから海へ出とう(出ている)、早くも、寝てるけんど、あ、用事やったら起こしてこうか」
「あ、ごめん、ちゃう、実は。。。」
久しぶりの電話の用件は意外な頼みだった。 「すまない、いや他でもないんやが、確か無線に詳しい彼を持つ同級生が居たやろ、携帯の修理でも世話になったちゅう、ショップ店長の。無線のコトで聞きたいコトがあるんや」
「コンちゃんね、携帯全盛の今に、無線でも始めるんね」
「コン・・・そんな名前だったか」 「あは、今野(イマノ)君や、皆 コンちゃんって呼んでる」
※
4月2日 午後10時 南部町マンション301
ダイニングキッチンで片づけ仕事をしている陳麗花。 エプロンのポケットが震えた。 さっと携帯を取り出した。
(時間通りや)携帯ディスプレイに表示された時刻を見ながらボタンを押した。
「電話。。支障ないか」
この時間帯の連絡。相手は決まってこの一言で始まる。
「はい、大丈夫です。リーダーお疲れさまです」
「PJ警備部門の方。手はず通りだな」
「はい昼間、派遣シフト表の確認入れておきました。全員予定通りです。派遣先も何の疑いも持ってません」
「ご苦労、で、ムロイのコントロール。そっちの方も大丈夫だろうな」
離れたソファーでTVゲームに夢中のムロイを振り返った。 声を少し落とし、 「はい、大丈夫です。全然疑いもせず、私との関係を愉しんでます」
「ご苦労。彼に疑われると何だからそろそろ携帯は切るが、電源だけは常に入れておくように」
「了解です」
「誰?」 ソファーの室井が振り返った。 一瞬ビクッとなったが、会話を聞かれた心配はない。 「あー、もしかして焼き餅?」 陳は室井の横ににじり寄った。 「河野さんよ、プレタジュテお疲れさんって。明日、家においでよって誘われたけど、用事あるちゅうて断った」 「河野さんか、何度か本社行ったとき逢ったけど、ええ人や」
室井は陳の腰に手をまわしてきた。
「まだ早いよ、キッチンの片づけ終わってない。。。」 「はいはい、女王様」
室井は疑いもせず、再びゲームに没頭しだした。
ゲームに夢中になる室井を見て、麗花は初めて声を掛けた時を想いだした。
・・・・・・・・・・ 室井が契約の件で本社に立ち寄った日、陳は帰り道 あとを付けた。 「室井さん、お願い」 声を掛けられ 一瞬ぎょっと振り返ったが、
「あ、君はプレタの・・」
「お願い、マンションまで一緒に帰って欲しいんです。歩いて10分もかからないです」
「え?!」
「いきなりの無理は承知です。今 ストーカーに狙われているみたいなんです」
「え、どこに。。。」
「あ、お願い 振り返らないで」 麗花は、さっと室井の腕を組んだ。 おそらく室井にとって異性と腕を組んだのは、初めての経験だったのか、赤面し震えているのが麗花にも痛いほど伝わった。
(予想通りや・・・)
玄関先まで送り届けると、 「じゃあ」さっさと帰ろうとした。
「お願い もう少し付き合って」
「え、でも女性ひとりの部屋に・・・」 室井は渋っていたが、「一時間、いえ30分だけでいいです」 必死で頼み込んだ。
結局 その夜・・・・
室井は、いとも簡単に麗花に堕ちたのだった。
・・・・・・・
※ 丁度その頃 築港マンション 多美恵は、PCのインターネットで白浜までのアクセスを検索していた。 (高速バスがあるのか。。。) 梅田を午後二時ちょうど発、白浜到着は午後5時半とある。 JRの特 急で行くより1時間ほどかかるが、何より費用が半額なのが魅力だった。
迷わず、3日の予約ボタンをクリックした。
※ 田辺市民病院 浩二の病室
病院の消灯時間はすでに過ぎていたが、浩二は無線機の電源スイッチを押した。 幸いにもイヤホン付きだったので、相部屋の住人に迷惑をかける事はない。
斉藤に頼んで購入してもらったものの、二人ともサッパリ分からなかった。
姫路の携帯ショップ店長を思いだし、サヤカに聞いた携帯を呼び出し、操作方法や留意点を教えてもらっていた。
ベッドは都合良く窓際にあった。
・・・・・・・・・ 「そいつだったら、屋外に出なくても電波拾えるかも知れません」
「え、見ないで何で分かる?」
「トランシーバーの機種ナンバーを教えてくれたじゃないですか、その周波数のレシーバーは、通称2メーターと呼ばれてて、トラックやダンプの運転手世界で重宝されていたんです。今は携帯の方が主流になってますけど。それで、電波の飛びですけど、ロケさえ良かったら、300キロ離れてても交信した実績が。もちろんコンスタントに叩き出すちゅうたら、3~40キロと云うところでしょうか」
「電源入れても、ザー云うだけで、何も聞こえないんやが」
「あ、勿論 誰かが交信していないと何も聞こえないです」
「ダイアルで、表示の数値がクルクル変わるけど、関係ないか」
「ああ、その機種は144から146までの周波数帯で交信可能なんです。 オートスキャンがついてると思うのですが、自動的に交信してるチャンネルを探してくれます。ただ、最近はあんまり交信してる局は少ないかも」
「なるほど、で、この機種については、これと同じ範囲での交信は間違いないちゅうことやな」
「まあ、原則的に。ただ改造して範囲を逸脱し、運用する違法局もありますけど」
「え。そんなの可能なんか」
「ハンダゴテと、ある程度の知識さえあれば可能です。ただ今はガラ空きやからそこまで苦労して改造する局は居ないでしょうけど」
「なるほどな、いろいろ有り難う、夜分に」
「いえ、浩二さんのお役に立てたなら嬉しいです。家島の時の借りはまだ返してなかったですから」
「俺に貸しなどあるかい。礼を言うのはこっちや、携帯を修理してもらったがな」
「いえ、”ダダダ下り祭り”。無断での動画アップです」
「ああ、あの事かい、結局あれがあったおかげで、記憶喪失の俺の所在が明らかになったようなもんや。むしろ感謝せにゃならん」
「そう言ってもらえると嬉しいです。ずっと心の隅で残ってましたから」
「なんとまあ、そりゃ苦しい思いさせたなぁ。すまん」
「すまん、だなんて、こちらこそです」
「じゃあ、そのうち落ち着いたら家島や姫路にも行きたいから」
「あ、是非。待ってますから」
・・・・・・・・・・・・
そう云って携帯を切ったのだった。
さてと、(運が良ければ 交信を傍受できる・・・ 29号 おそらく奴も同じように傍受しているに違いない) オートスキャンボタンを押した。
つづく ※ 当記事は フィクションですので 万が一、実在するいかなる個人、団体、地名、国名とも 一切の関係は ございません
(-_-;)