小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その22

船場商事東京支社は、青山通りに面していた。都心にもかかわらず、緑の公園が周囲を埋め尽くし、一瞬、都会に居るのを忘れるほどだった。 ここ8階フロアーにある役員会議室。窓から一望できる緑の風景は実に壮観だった。

昼食のあと、窓際でひと時の休憩タイム。見下ろす青葉が嬉しい。会議前の緊張感を和らげてくれた。 だが、前村は休憩もそこそこに、三宅から教えられたスライド映写機の操作を念入りに繰り返している。彼女なりに緊張し出したのだろうか。 無理もない。たった2年前まで高校生だったのだ。

たまらず彼女に歩み寄った。「何かあったらフォローするから心配すんなって」 すると、前村は僕の目をじっと見つめたあと、「ありがとう」満面の笑顔を返した。

午後一時 急に部屋の外がにぎやかになったかと思うとドアをコン。軽いノックのあと伊村健介社長みずからドアを開けた。 「さあっどうぞ」片言のイタリア語なのだろう、ジャンニ・ビアンコを案内、先に歩かせ入ってきた。あわてて僕らは起立し出迎えた。


目の前を通る伊村社長をと云えば、前村をちらりと見、表情が一瞬固くなった。 当の本人はお辞儀をしたままだったから気づいては居なかった。 間近にみれば、あっと言いたくなるほど横顔が似ている。

(常務の話は本当だったのか)

ジャンニは片言で「コンニチハ」と僕らに愛想を振りまいた。どうやら機嫌は良さそうだ。船場商事が用意した通訳、そしてジャンニ側の若いデザイナーが続き、東京支社長の岡崎、それに川村課長らが続いた。

川村と視線が合った。(ご苦労様です)(君らもお疲れ、ご苦労さん)

ジャンニ・ビアンコ。プロフィールによると1946年生まれの34歳と若いはずだが、思ったより老けて見える。しかし着込んでいるスーツ。当然と云えば当然なのだが、見事にフィットし、格調の中にもしなやかさ、軽やかの中にも重厚感があった。また生地の光沢感も絶妙。光のあたり具合によって微妙に変化する色あいなど、男の僕が見てもうっとりするほどだ。何がなんでもジャンニスーツを着てみたい。そう強く思わせるモノがあった。

日本におけるライセンス契約や、総代理店契約。もし成立すれば我が社だけでなく、国内のファッション業界全体の発展に寄与するコトだろう。そう確信した。 だが、 !?

ジャンニに続いて入ってきた坊主頭の若いデザイナー。彼のジーンズに目が釘付けになってしまった。膝のあたりがボロボロに破れている。 まさかこう云うのが最先端のファッションなのだろうか? いやいや、んな訳ないだろう。頭が混乱した。

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右と左。ジャンニ側と船場商事側。テーブル上に飾られた両国の国旗のミニチュアを挟むように向き合い、着席する。 年輩の女性の通訳はテーブルの中間地点、端っこに椅子を構えた。

契約の交渉がいよいよスタートした。

伊村社長を除いて、東京の岡崎支社長を始め、川村や三宅は緊張感から顔の表情はややこわばっていた。 「ミスター、ジャンニ。今日は貴方達だけでなくイタリア国家にとっても素晴らしい運命の記念日となるコトでしょう」 伊村健介が口火を開いた。

海外経験も豊富で、海外企業との交渉経験も豊富。また日頃からマスメディアへの積極的な出演。仕事以外でも文化人、芸能関係者たちとの幅広い交際。色々なパーティーの経験も豊富で“ハレ”の場に慣れがあった。実に堂々とし、ウイットに富んだ台詞を発した。

伊村の言葉を通訳が伝える。

ジャンニが笑顔で何かを返す。ほとんど解らない言葉だったが、カドベニと言う発音が聞き取れた。

(いきなり角紅商事を出してきたのか) 「伊村社長ありがとうございます。カドベニ商事より遙かに良い条件をご決断されたのですね」 通訳がジャンニの言葉を伝える。

川村はさっそく例の商標登録証の写しをカバンから出し、いつでも提示できる用意をした。

伊村は顔色ひとつ変えずに 「ミスタージャンニ、角紅より条件が良いかどうか、全くわかりません。しかし我が社としての精一杯の誠意です。貴方達にとって十分納得されるはずです。詳しくは東京支社長より説明させます。じゃ岡崎君」

通訳のあと、岡崎支社長が立ち上がり書類をジャンニ側に差し出した。

「サンキュウ」と云いながら受け取ったジャンニの表情がみるみる険しくなった。 何やら通訳に向かってまくし立て始めた。

「ミスターイムラ、ローマのイトウ君から何もお聞きになっていないのですか、前回に提示された条件から何も変わっていないじゃないですか。それともミスターオカザキさんは古い書類を間違って出してこられたのですか」

通訳の女性は年輩の優しそうな方だったが、岡崎は如何にも彼女に強い口調で叱られている気になる。 岡崎支社長は、通訳の女性に向かって 「いえ、間違ってはないです。本日の日付を確認して下さい」自分が持っている手元の書類。右上の方を万年筆の先で示した。

通訳の方は心得たもので、さっとジャンニに向きなおり訳した。

ジャンニは隣の、破れジーンズ男に向かい、 (まるで話にならない)そうとでも云う様な感じで書類を突き返した。

書類はテーブルをスルッと滑り、伊村社長の目の前で止まった。

「おやおや、これのどこが気に入らないのですかな」 伊村は悠然と拾い上げた。

「奴はデザイナーであると同時に商売人だったわ」 以前、そう苦々しく吐いた国光の言葉が思い出された。 国内だけでなく、海外にも進出するほどのデザイナー。卓越した“ファッションセンス”“ピュア”な精神だけでは決して生き残れないと云うのだろうか、ビジネスマンとしての嫌な側面を目の当たりにした思いだった。

その後、何回かの応酬が続いたが、 「仕方ない、川村君例のアレや」 ついに伊村が云った。 川村は「かしこまりました」 国光常務が予測した通りの展開になったからか、案外落ち着き払っている。

「これは私どもが日本国内で取得している商標の登録証。その写しです」

ジャンニと通訳に向かって差し出した。

【ジャーニービワンコ(Journey Biwanko)】 「貴方のブランドを日本で登録する場合、ジャーニービワンコと抵触してしまいます」

しかし想定の範囲だったのかジャンニはニヤリと不敵な笑みを見せ、通訳にまくし立てた。

「私どもジャンニは、カドベニを通じて調査させたところによれば、その商標登録は無効といわざるを得ない。何故ならここ3年以内に商標を使用された形跡がないからです」 通訳が申し訳なさそうな表情で伝える。

(え、やはりそこまで調査していたのか)正直びっくりだった。

川村は僕に視線を送った。 (了解)川村にうなづき返した。

僕は用意していた例のTシャツを店のレシートと共に鞄から取り出した。 取り出すのを見届け、川村が発言した。

「ミスタージャンニ、貴方達のご期待に背くかも知れません。我が国にも素晴らしい湖があります。彼が持っているのは、その琵琶湖への旅情を商標にし、商標を全面にプリントした商品です。パッケージ裏には英語ですが、日本語と共に我々の名前も印刷されていますのでどうぞお手に取りご確認下さい」

「失礼します。どうぞ」 僕は彼らに“ジャーニビワンコTシャツ”を差し出した。

「オー、ノー!」そんな馬鹿な とでも言うようにTシャツを手繰り寄せ、確認を始めた。やがて彼らの顔は落胆の表情へと変わって行ったのだった。

(あの琵琶湖行きは決して無駄じゃなかったな) 前村と顔を見合わせ、微笑んだ。

(あとはいよいよ、プロモーション計画の交渉か、だが一体何時に終わるんだあ、日の高いうちに帰れるのだろうか)

ひかり号の車窓からになるが、帰りこそ霊峰富士山をどうしも拝みたい。ふとそう思ったのだった。

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似たいかなる個人、団体、地名、などが出現しようとも 一切の関係はございません

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