小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その26

見事なまでに夕日に染まった富士山。 まるで、見るものに「小さいことでいつまでもクヨクヨするな」 そう語りかけてくれている。そんな気がした。 圧倒的に壮大。しかも美しい。 わずか数分足らず、車窓からの景色ではあったが、満足だった。 目に焼き付け、心に刻み込んだ霊峰富士の姿はいつまでも忘れないことだろう。 ジャンニ・ビアンコとの調印を無事終えたにもかかわらず、自分ひとりだけ、なにひとつ仕事をしていなかった。敗北感にも似た気持ちを引きずっていたが、そんな悩みなど馬鹿げたコトなんだと気付かせてくれた。 前村の言葉にも、心に染みるものがあった。 と云うより、彼女が背負い続けるであろう宿命のことを思い出してしまった。 (俺の悩みなど・・・) 横で夕焼け空を見つめたままピクリとも動かなかった前村の横顔。 なんと愛(いとお)しい・・・心からそう思う。 「愚痴を聞かせてしまって。ごめん」 詫びの言葉は、なんて軽いのだろう。そう思いつつ頭を下げた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ その前村はと、目で追う。 おそらく東京のみやげ話で盛り上がってるのだろう。同僚の女子たちとの笑い声が聞こえ、屈託のない笑顔が弾けている。ひと安心と云ったところか。 琵琶湖行きの時「同期の女子の中で私だけチームに入れられたでしょ(なんかワタシひとり浮いているなー)て感じる時があるの」そう言って一瞬、悲しい目を向けた事があった。 その時、深く考えもせず空(から)返事しただけだった。だが、
今思えば僕に愚痴を聞いて欲しく、出来るならば、気の利いた慰めのひとつでもかけて欲しかったのではなかったか。それなのに。。。 主の居ない川村の席で内線が鳴った。 (誰だろう) 「はい川村の席ですが」 「森野か?ちょうど良かった。昨日はお疲れさん、今からこっち来れるか」 国光だった。 「あ常務、申し訳ありません9時から報告会の予定なんです。プロジェクトの皆に。川村課長に頼まれて」 8時50分になろうとしていた。 「報告会って誰にや?」 「ええ、横山さんとか・・・」 云いながら席を見渡したが、今朝に限って横山のみならず営業連中の出社は遅い。 すると、 「はは、行動予定見てみい、全員直行のハズや、昨日調印決定の知らせを受け、今日から営業に走り始めてるがな」そう云ったあと、がははと豪快な笑い声が響いた。 「え!」 壁に吊された行動予定の黒板に目を凝らす。 出社が遅いはずだ。川村の“東京”は別として、ほかの営業員の欄には“〇〇直行”とお揃いのように書かれてあった。 「確かに・・・」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ すっかり通いなれた7階だった。 ふと時計を見た。(この時間なら彼女も出社の筈。おそらく今朝は逢える) そう思いながらノックすると・・ 「お早うございます」 その田代ひとみが笑顔で出迎えてくれ、特徴あるコロンの香りが漂った。 (やはり、記憶がある。。。) 国光はと見渡せば、電話の真っ最中だった。目が合うや、右手を上げ「こっちこっち」と手招きした。 「先ほどからお待ちかねでしたの」秘書の田代はさわやかな笑みを浮かべ奥のソファーへと案内してくれた。 「どうも恐れ入ります」 うやうやしく一礼をした。 「すまん、電話が長引いて」 五分後ようやく国光もソファーに座った。 「まずは、お疲れさんやった。無事にジャンニと調印に漕ぎつけた」 「はっ、ありがとうございます」 「川村の電話では、(森野君何故か元気ない)って心配しとったが、元気そうやないか。安心したわ」 「え、川村課長が」 「東京で何かあったか」 「いえ、何も。ただ。。。今回の出張で自分だけ何一つ仕事ができず、【一体何の為の東京だったのか】って、会議の途中から引きずっていました」 「しょうむない(つまらない)事で悩んでいたんか」 前村と同じような言葉をかけ、笑った。 「でも」 「デモもメーデーもあらへん、あの場で君に出きる仕事て何かあったのか。まだ入社してたった3ヶ月、出来なくて当然や」 国光も三宅と同じような言葉を口にした。 「はあ、確かに。ですが何の為の出張命令だったのかと」 「勉強や」 国光はたったひとことだけ返した。 「わざわざ出張経費を使ってですか」 「もちろん琵琶湖Tシャツや、プロモーションの褒美旅行のつもりもあったけどな」 プロモーションに触れられると、チクッと刺さるモノがある。 「お聞きになられたでしょうが、前村の機転がなければ危うく契約は白紙。白紙というか破談の一歩手前だったんです。あの計画ていうか、アイデアなど自分の未熟さ、甘さを嫌というほど思い知らされました」 聞き終えると国光は 「ほーう、偉い。さすがに見込んだだけの事あるがな」 (え、どこが。。。) しばらく黙っていると 「その謙虚さは君の財産やな、忘れたらあかん」 「はあ」 「ええか、もし契約が破談。そうなったとしても君ひとりの責任やあらへん。あの計画は伊村社長始め役員全員が許可、すなわち会社として彼らに提示した計画やないか。もし破談に終わったとしても、会社対会社の問題や。ジャンニとは縁が無かった。ちゅうだけのコト。君ひとりが負うべき責任とは違う」 「はい」 どこかに残っていた心の霧が晴れるような気がした。 「じゃが」 「あ、はい」 「とにかく良い経験というか、勉強をしたと思う。相手を怒らせ、交渉の打ち切りを覚悟した焦りとか絶望感。その恐怖を頭にたたき込んだなら、二度目、三度目はより慎重になる。ええ加減な計画案など出せなくなる。 川村や三宅の顔を思い出してみぃ。時おり苦虫を噛み潰したような顔してるやろ」 そう言ってひとしきり豪快な笑い声を響かせた。一呼吸おいて 「だから平凡で、どこにでも転がってる案しか浮かばなくなる。そのあたりのバランスが難しい。エリートは特にな」 あ、と思った。きのう夢でいきなり聴こえた“エリート”の言葉だ。 「今回、ひと悶着あった君の案。本当の結果が出るのはまだ先やが、そこそこ行けると思う。そうなればワシが睨んだ通りの展開になって、嬉しい限りや」 「にらんだ通りと仰いますと」 「はは、雑草魂や。いや、異端児魂とでも云うべきかな。ここ数年、船場商事は東大や京大のエリート校出身者で固めよった。彼らはそれなりに仕事も出来るけど、今一歩ほかより抜きん出るモノがない。金太郎飴と同じや。切り口は同じアイデアばかり出しよる、そこでや、あえて波風をたたせる為に異端児を入れるコトにしたんや」 「まさか異端児と云うのは・・・」 「もちろん君やがな」 「くっ。。。そんな」 三流校出身の自分が、天下の船場商事に入社できた理由が、 今頃になり、ようやく分かったのだった。 「ところで、昨夜どうでした。ピアノ」 「おお、それそれ。それを伝えたくて君を呼んだ」 声も顔つきも、いきなり明るくなった。 「その様子ですと、初日はうまく行ったようですね」 「ああ、君に前もって教えて貰ってたから楽勝やった。しかしまあ君の言うとおりや、鍵盤の旋律はたしかに感動モノや」 よほど感動したのだろう。目を細め、くしゃくしゃに笑顔を向けながら何度も繰り返し国光は語った。 子供のような笑顔だけが印象的だった。従って国光がピアノを習い始めた背景に「重たいもの」が横たわっていたなんて、その時は知る由もなかったのである。 ふわりとした空気が流れた。 振り返ると田代ひとみが横に居た。 「お話中、申し訳ございません。繊維ジャーナルの木内社長がおみえになられました」 僕に会釈のあと国光に告げた。 時計を見た。 「あ、もうこんな時間。では僕もそろそろ」 そう云って立ち上がりかける。 が、 「ジャンニビアンコの取材や、ちょうど良いがな君も同席せい、紹介する」 そう云って国光は押しとどめた。 営業部三課。ひとり留守番役の前村が気になったが、 「じゃあ、お願いします」 そう云いながら再びソファーに腰掛けたのだった。 つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似たいかなる個人、団体、地名 、などが出現しようとも 一切の関係はございません (-_-;)