小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その30

梅雨入りが遅かった分、6月末から7月にかけ、連日のように雨が続いていた。じめじめと、湿気が高い割に気温そのものは案外低かったりする。
つい扇風機の風や、エアコンの冷気に頼り過ぎ、風邪など体調を崩しやすいのもこの時期だ。

ジャンニ・ビアンコとの契約が決まって初めて迎えた週。
業界紙の中でもトップクラスの「繊維ジャーナル」がいち早くジャンニ・ビアンコと船場商事との調印を大々的、しかも連日のように詳細に報道したものだから、アパレル繊維メーカーのみならず、専門店、百貨店等のバイヤー達、それになぜか一般消費者からの問い合わせまでもが殺到。欧米で旋風を起こしつつあるジャンニブランドの凄さをあらためて思い知らされる事になった。
営業3課の電話は月曜の朝から途切れる事なく鳴り続けた。



もちろん電話での応対だけでなく、これはと思う客先に対し、課長の川村はジャンニのプロフィールをはじめ今後の各計画書など全てをまとめた一冊のマニュアルを持たせ、直接出向いての営業活動を命じていた。新米の森野も当然のように駆り出され、多忙を極めていたのだった。

                     ※

7月2日、水曜の朝だった。
目覚めるとノドの奥に少し違和感があった。
(風邪かも知れない、今日も遅めの出社でええやろ)

すっかり習慣になりつつあった早朝出勤。週が明けてからは遠ざかっていた。
体がもう30分、1時間の睡眠を要求したのも理由だが、あいかわらず早朝出勤な前村加奈子とどこか距離を置きたい気持ちが働いていた。

長沢の手紙にあった(彼女が向ける視線・・・)云われてみると、確かに”熱いモノ”が感じられた。
それは単なる気のせいで、誤解とするならば全くのお笑い草なのだが、意識し注意して観察してみると他の社員に接する態度と、自分に接する態度は明らかに相違があるように思う。
それは素直な気持ちとして非常に嬉しい事ではある。だが。。。
自分自身の気持ちの整理が必要だった。
国光常務から聞かされた、彼女が知らずに抱えている”宿命”の事も、距離を置きたい要因のひとつではあったかも知れない。
が、それよりも、今の自分の本当の気持ちはどうなのか。
そちらの整理がまずは必要だった。前村は確かに魅力的な容姿と性格を兼ね備え完璧な女性と云える。しかし、一方で若きピアノ教師の石坂美央。。。彼女に虜になりつつある心は隠せない。さらに云えば。。。田代ひとみ。。。彼女の顔も一瞬浮かび上がったが、あわてて打ち消す。彼女には子供さんが居るらしい。つまり家庭を持った方なのだ。。

はっ・・・そういえば国光常務の姿、月曜から見かけてないのでは。。。


・・・・・・・・・・・・・

水曜ともなれば、問い合わせの電話はかなり減っていた。
朝食後の風邪薬が効いたのかノドの違和感は消えていた。
気持ちにゆとりが生まれたのか、明日に控えたピアノのレッスンに思いを巡らせた。
ふと、前村の
(左右同時に別々に弾くことの克服法)を思い出してしまい、仕事中もそれが頭から離れなくなった。

前村は?と、目で追う。

前村も連日、電話の応対や川村たちに依頼された書類作りに忙殺されていたが、今のところ、そうでもなさそうな雰囲気を漂わせていた。
給湯室に入っていくのが見えた。
え、と時計を確認した。あぁ、”お茶”の時間なのか。
当時も船場商事ではお茶くみの習慣など無かったのだが、午後三時前になると彼女は自発的に男性社員の席へ、お茶を入れた湯呑みを配り歩く。

トイレに行く風を装い、席を起った。
給湯室には幸い彼女ひとりだった。
お盆に人数分の湯呑みを並べている。
「もう、お茶の時間か」
意を決し、声をかけた。
前村はぎくッと振り返り
(あ、森野さん)という表情を見せ
「ほんと、今日もあっと言う間に」
「でも昨日までと違って今日の電話は少ないし、楽勝やろ」
「それが、全然。先輩たちに依頼された書類、山のようにまだ残ってる」

「え、じゃあ今夜、付き合ってもらおう思ったけど無理か」彼女の反応を恐る恐る確認するように訊いた。

「打ち上げはあさって金曜日じゃなかったっけ」
宣伝課、三宅室長の誘いで、”ジャンニとの契約調印を祝して”打ち上げを3人でやることが決まっていた。

「あ、いや実はピアノのコトやねん。ほら、先週琵琶湖への電車内で云ってたろ『左右別々に弾く克服法教えようか』って。軽くメシでも食べながら教えて貰おうかなあって」
すると、

「なーるほど、明日のレッスンに備え会得しておきたい。若き教師にエエカッコを見せたい。そう云うコトなんですね。了解、大丈夫。承知しました。定時までになんとか終わらせます」
目を輝かせ、自信満々な笑顔を見せたのだった。

(ん?彼女にも何か見透かされているような。。。。)

                    ※

午後6時、指定された店は駅前を少し歩いた裏通りにある居酒屋だった。

カウンター席に、テーブル席。それぞれ先客たちで埋まっていた。
困った顔をして、突っ立っていると、
「らっしゃい、もしや森野さん?」
店主が声を掛けてきた。しわがれ声だが、よく通る。短髪で色黒、眼光にやや凄みがある。

「え、ええ森野です」
すると、店主は隣のおかみさんらしき方に目配せをした。
おかみさんが、「まあまあ、ようこそおいで下さいました。加奈ちゃんから承っております。どうぞこちらへ」

奥の座敷へと案内してくれた。
広さは四畳半ほどだが、床の間があり、掛け軸と花瓶が飾ってあった。青畳の匂いがし、エアコンも寒いぐらい効いていた。障子を閉めるとまるでちょっとした料亭の雰囲気だ。

「加奈ちゃん、少し遅れるけど、直ぐ駆けつけますよって」
先ほどから、前村のコトを身内のように親しみを込めて言う。

「え、前村さんをご存じなんですか」
「ええ、まあ」
少し照れ笑いをしながら女将は出ていった。

(まさかここの常連客?)
ぐるりと店内を見渡した。若き女性が好む店という雰囲気ではなかった。

テーブルの上にはすでに何品か料理が並んでいる。
(え。。豪華すぎる。。。)慌てて財布の中を確認した。

【高くつくわよ、私の授業料・・・】
幸い、給料日からそう日も経っておらず、なんとか余裕があった。

(そういや先週の毎朝テレビ、そして琵琶湖行きにも彼女に色々助けられた・・・)
あの時の礼も正式には言っていなかった。
(琵琶湖の打ち上げや)そう思うことにした。

そ の時
「今晩は、ご無沙汰」玄関の方で前村の声がした。
「まあまあ、加奈ちゃん。先ほどお見えになられてますよって」
「カズエさんお世話になります」
「なに水臭いコトゆうてんの、それよりお母さんお元気?」
「ええ、いたって。それより、私もようやくお酒を呑める歳になりました。これからよろしくね」
「しかしまぁ、電話いただいた時、そらぁ嬉しかった」

障子向こうでそのような会話が聞こえ、ピンと来るものがあった。

「お待たせ」
前村は、この蒸し暑い雨の中。律儀にも走ってきたのだろう。
顔は上気し、大きく息を弾ませていた。


                     つづく


※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似たいかなる個人、団体、地名

、などが出現しようとも 一切の関係はございません 

 (-_-;)