小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その39

振り返った時、愛くるしい瞳があった。
やがて彼女の唇がすぐ目の前にきて
「今日はありがとう」
素早く言うや、僕の口を塞いだ・・・・

それは思いもよらない甘い出来事だった。
ラ・カンパネラの旋律が大きく鳴り響き、胸を打った。すっかり夜の帳(とばり)が降りていたにもかかわらず、閃光が目の前を走った。
彼女の唇からは少しワインの香りが洩れた。やがてそれはあのシャンパンの吐息だと気づくと、ふと我に帰った。公園の入り口で子供連れの家族が居たのを思い出し、彼らの視線が気になり、うろたえた。美央をおぶったままあたりを見渡したが幸いなことに、木々のおかげで死角になっていた。

(大胆な。。。まだ酔いが残ってるのか)



そろりと彼女を降ろし、向かい合った。思いもよらない急な展開に、どこか醒め、半信半疑な気持ちが芽生え始めていた。

「本当に僕で良いの」
美央は恥ずかしそうに目を伏せ、こくり頷いた。
だが、先ほどまでの、はしゃぎぶりも潜めおとなしくなっている。ようやく上げた顔も、目はあちこち泳ぎ、もじもじと“しな”を作った。その幼げなしかも可憐な姿に心騒ぐものがあり、惹きつけられるものがあった。官能な心とかではなく、純粋に相手をいとおしむ愛情が突き上げた。
気がつけば、彼女の手首をつかみ、引き寄せ抱きしめていた。あっと小さく息を洩らし美央は僕の胸に体を預けた。彼女の髪をそっと撫でてやり、しばらくそのままの姿勢で僕は夜空を見上げていた。まるでいつか見た外国映画のワンシーンのように。。。
梅雨の谷間の、晴れた夜ではあったが、どこか湿った風が吹き始めた。また雨が近いと言うのか。。

美央は胸に顔をうずめながら、なにごとかつぶやいた。
「なに・・・」
彼女の顎をそっと持ち上げると、潤んだ瞳で僕を見つめた。
「私のコト離したりしない?・・・」
「んな、離すわけないだろっ」
思わず彼女の口を塞ぎ、唇を吸った。公園のすぐそば、聞こえていた筈の国道の騒音も消え、彼女と自分の胸の鼓動だけが聞こえていた。
湿った風が、草木の香りを運んだ。
ふと、なぜかしら朝顔が浮かび夏の朝の匂いがよぎった。(小学ん時、通ったラジオ体操。。。あのときの匂いや)
彼女の細い肩を抱きながら、離すもんか。心の中でもう一度繰り返した。

さらさらと、頭上の葉が風で揺れた。よく見ると石坂邸にあった木と同じ葉の形をしている。
「この木、美央さんちにもあったやん、なんて言うん」

「あ、ミモザ。。。春になると庭先が黄色い花で埋め尽くされるの。それはそれは見事に」

ミモザか・・・愉しみや」
初めて聞く名前だった。
「めっちゃ可愛いよ」
美央は遠くを見るようなまなざしで目を細めた。
「八時前か、美佐江さんに叱られるなぁ」
「大丈夫やて。少し遅れるかもて、さっきの喫茶店から電話しておいたから」
「え、そうなんや・・・」
そのあと僕らは公園内を少し散歩し、やがてタクシーで彼女の家まで送り届けたのだった。


「まあまあ森野さん、今日は美央が大変お世話になりました、ありがとうね」
感謝の目で見つめながら美佐江さんは何度も僕に礼を言ってくれた。。。

            
                        ※
その年、大阪の梅雨明け宣言は例年より遅く、20日過ぎにようやく発表された。もちろん宣言がなされるまでずっと雨続きだったかと言えばそんなこともなく、あの忘れられない6日のように快晴の日も何日かはあった。宣言を待ちかねたように街中は蝉の合唱やプールサイドの子供らの歓声が聞こえ始めた。
天神祭の25日には、なんと最高気温が38度にも達する記録的な猛暑でもあった。

ジャンニのプロジェクトの一環、山下ゆり恵さよなら公演告知CMも始まり、新曲"衝撃”に引っかけて言う台詞「このスーツも衝撃だぜ」に話題騒然。ゆり恵が身につけていた紳士モノスーツに対しても問い合わせが殺到し、それが欧米で注目のブランドスーツとわかるや女性週刊誌までもがジャンニビアンコ特集を組むなど、ジャンニ・ビアンコの知名度は日本でも火が点くように一気に広がった。

しばらく後に、繊維ジャーナル木内社長から聞いた話では、広報室長の三宅が社内の反対を押し切り、女性向け雑誌にもジャンニ広告の出稿を決断したことが大きいらしい。。。 

それまで国内での紳士モノブランドに対する経験から、苦戦を予想されたライセンス契約も、正式な申し込みが相次ぎ、それもスーツはもちろん帽子から靴下。。まさに頭の先から足の先まで。

アイテムのうち、「ぜひ我が社に」と重複した場合は、競争入札を敢行することに。一円でも高い入札価格ももちろん重視したが、
「ジャンニのブランドを何としてでも護らなあかん、それには規模より、高品質な技術が大事や」国光常務の意見で、品質の高い生産技術を持つ会社を優先させた。

営業三課を中心とするチームは総出を上げ、その調査や対応に追われたのだった。。。。

それでも僕の場合、週一回、木曜のレッスンを欠かすことなく、さらに祖母の美佐江さん公認の仲となった美央とのデートも時たま愉しむなど、公私ともに充実し、沸騰するような毎日が続いた。

 
 8月に入っての事だった。

その朝、急ぎの用件のため早朝・・と言っても7時過ぎに出勤した。
(久々の早出や)すでに来ているだろう前村の顔が浮かんだ。

「あれ、森野?久しぶり」
エレベーターから降りてきた声の主を見れば同じ入社一年組の斉藤誠(まこと)だった。
彼は国立大学出身のエリートで配属は貿易部。

「おー斉藤、おひさ。今帰り?」
彼の場合、この時間帯が退社時間なのだ。
研修期間中、彼とは何かとウマが合っていた仲だが配属後は勤務時間帯の違いもあり、すっかり疎遠になっていた。

「いや、いつもより1時間ほど残業や、ニューヨークの方でトラブッてもうて。。」

「すぐ駆けつける訳に行かんから大変やな」

「あぁ・・じゃあ、いつになるか分からんけどその内飲みに行こ」

斉藤は歩きかけたが、何事か思い出したのか、あ、そうやと振り返った。

「なあ森野て繊維事業部やん、前村て子、知ってる?」

「前村?もちろん、同じ課やし同じプロジェクトで頑張ってくれてる。。。何か」

「もし・・・もしも、言う機会があったらでええ話やけど、君塚さん・・・あ、職場の上司、君塚って名前。。。その君塚さんに弁当を届けるのはもう止めにした方がええと思う。そう言ってもらえるとありがたいんやけ ど」

「はあ?」思いもよらない言葉だった。
意味が今一つ呑み込めず
「うちの前村が弁当?」

すると斉藤は時計を見、
「今朝も30分ほど前かな。前村て子、君塚さんに弁当を届けてた。けど君塚さんには奥さんが居て、どうもありがた迷惑な様子なんや」

「はぁ。。。」
もうひとつ事情が呑み込めなかった。彼の言葉はわかったが、今一つ意味合いが分からない。さらに訊こうとしたが

「あ、ごめんまたその内じっくり・・」
斉藤は時計を気にした。

「うん、じゃあまたそのうち・・・」

「仕方ない。。本人に確認してみるか、しかしなんでまた」
エレベーターに乗り込み、先ほど斉藤の言葉を頭の中で復唱した。
要するに。。。早朝出勤の前村は、貿易部の君塚って人に毎朝弁当を届け。。。



前村の早朝出勤の理由(わけ)て、これだったのか。
しかし何の義理があって弁当を届けねばならないのか?
え?
前村の好きな人?
だがその人には奥さんが居て。。。喜ばれるどころか、斉藤の話では迷惑そうだという。。。なぜなら奥さんが居て・・・
まさか、前村はそうとも知らず、一方的な片思い?
それとも不倫を承知で覚悟の。。。
んな。。。
ようやく話が呑み込めた時、チンとエレベーターが鳴った。

果てさて困った。彼女から訊き出したり、簡単に伝えられる話なんかじゃない。。。

胸が重くなり、聞かなきゃ良かったと思った。

だが ふいに、前村の顔が浮かび上がり、この僕で何か出来ることはないのだろうか、ふと思った。

                    つづく




※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名

、地名、などが出現しようとも 一切の関係はございません 

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