小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その40

早朝の会社の廊下は薄暗く、どこかひんやりとした空気が流れていた。 だがそれは外の気温の高さによる錯覚なのだろう。その証拠に雨でやや肌寒い朝など、建物に入ったとたんむっとする熱気が襲ったりする。ぎらぎらと太陽の照りつけた今朝の場合、建物の中はひんやりありがたかった。 その廊下を歩きながら、斉藤の言葉を反芻した。そしてあることに気づき、全身から冷や汗が吹き出る思いがした。 (とんちんかんぶりに、一歩間違うと赤っ恥をかくところやった)顔が火照り出したのが自分でもわかる。しかしまあ、とんだお笑い草や・・・ 長沢の手紙にあった前村の熱い視線。てっきり自分への恋心からくるもの。。思い当たるふしがあり自分でもそう信じ込んでいた。だが全くの見当違いで、前村には弁当を届ける意中の人が居る。 僕のコトなど単なる同僚としての意識しか無かったに違いない。いやはや美央との仲が進行中な今、どこかほっとする気持ちもあるけれど、前村加奈子が持っている独特な魅力を考えると、惜しい気持ちもあった。君塚て男に嫉妬すら感じる。 それにしても・・・ 斉藤の言葉をどういう風に伝えれば良いものやら。 事務所フロアーが近づくにつれ、足取りが重くなった。。。 (あ、そうだったの)って案外けろり。なんて結末は到底考えられない。 彼女のコトだ。泣き顔を僕に見せるまいと、必死に耐える姿まで簡単に想像出来る。。。 前村はいつもの如く机の拭き掃除の真っ最中だった。後ろ姿を見ているといつもの健気さに、より心が重くなった。
しかし「おはようさん、おっはー」 わざと、明るくいつもと違う声で、驚かせるように言った。 前村は、ギクっ と振り返り、僕を認めるや満面の笑顔になった。 「もーッビックリしたやん。驚かさないでよ。。。久しぶりの早出(はやで)なんやね」 「ゴメンゴメン、朝イチに仕上げなあかん書類があって。。。ほんでさあ前村」 「うん何?」 僕を見つめる顔をみると、簡単に言い出せる雰囲気ではない。 ふと、以前国光常務に前村のコトで呼び出された時を思い出した。あの常務にして口が重かった理由がすごく分かる。 「でさあ、前村。。。」 「だから、なに」 瞬間、あの居酒屋と女将さんの笑顔を思いだし、ひらめくものがあった。。 あ、そうや朝っぱらから言わなくても、夜にでも場を変えたほうが言いやすいのでは? うん、絶対そうすべきだ。 「今夜空いてる?」 「え、うーん」と一瞬のあいだ、逡巡しながらも、 「ええ、大丈夫よ」とニッコリ返事した。 あーッ、この笑顔・・・前村が僕に向けるこの顔が、誤解のモトやったんや。。 「ありがとう、じゃあこの前の居酒屋。。。前村さんの知り合いの。。。えーとほら、変わった名前の店。。あ、そうや(あんざんこ)?」 すると 「はぁ?。。。あッ、あーははは・・・」 突然腹を抱え苦しそうに笑い転げた。 「え、どうした?」 ようやく笑いが収まると 「もしかして案山子(かかし)のこと?」と、傍らのメモ用紙に漢字を書いて見せた。 「え、カカシって読むんや。案山子って書いて。いやあ変な名前て、ずっと。。。」 「えー、ずっと思ってたのですかぁ。あーははは。。。」と、再び笑い転げたあと、 「了解、了解です、前と同じぐらいの時間でいいですか」 「いや一時間遅らせよ、今日の外出、遅くなるかも」 「その方が私も。じゃああとで予約しておきますね」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それにしても、前村。。。 (何の用でのお誘い?一切聞かずの二つ返事だったなぁ) なにげにふと思い出していた。 ジャンニブランド、カジュアル部門のライセンスを希望する会社に、大阪南部、泉州まで横山先輩と来ていた。 「と、言うことで横山さん、私どもでは基本的に手縫いでの仕上げです。生産量では大手に負けるかもですが、品質の確かさではどこにも負けへん思うてます」 自信にあふれた社長の声が響いた。朴訥と、だがよく通る声だ。 ガラス窓を通して、生産現場をもう一度覗いた。糸くずの一本も見あたらなさそうな清潔な作業場だった。 女性の工員たちがずらりと勢ぞろいし、黙々とミシン掛けや、手による縫製をこなす風景は壮観でもあり、なぜか懐かしい雰囲気が漂っていた。 「けど、手縫いやと一日に上がる枚数、厳しいもんがあるんちゃいます?」 横山が訊いた。 横山先輩は思ったコトをずけずけと言う苦手なタイプだ。だが、 (地方出張の時、廃盤になったプラモデルを探すのが趣味や)あのひと言以来、横山に親しみを感じていた。 彼のように思ったことをずけずけ言える性格がうらやましい。 「ええ、確かに。けど横山さん、わてんとこの方針は、大量に生産するには、どこか"抜け”が発生する。たとえ量は稼がれへんとしても、一着一着確かな品質を追求したい。そないに思うてますねや。先代からの方針で、わてもそない思うてます」 ふと 朝の、あの話は聞かなかったコトにしよう。 斉藤も、(もし、機会があったらのコトやけど)との前置きだったじゃないか。言う機会など当分なかったコトにすればいいじゃないか。。。 すこし胸のつかえが軽くなった気がした。 「ちなみに一日にどれぐらい上がるんですか」 ざっと4、50人ほどの現場を見渡しながら僕は訊いた。 「はぃ森野さんでよかったですか、今縫ってるカーデガンので、三百ちゅうとこですわ」 経験のない自分は、三百と云う数字が少ないか多いものか分からず、黙っていると 「お、10日で三千行けるやん。ほたら御の字やん」横山がすかさず返事してくれた。 「はぁ。。けど横山さん、10日ぶっ通しちゅうのは、ご勘弁を。他のモノも入れなあきまへんよって」 「はは、まあたとえば無理をお願いしたらの話やがな」 その数字が妥当なモノかどうか、経験の少ない僕には、ピンと来なかった。だが、横山の言うように、10日で三千着、一ヶ月でおおよそ一万も上がるなら、ジャンニのカジュアル部門は此処でも充分な気がした。 仕上がりのカーデガンを手にとって見たが、社長が自慢するほど完璧な品質に思えた。 複雑な部分も丁寧に縫いつけられている。 だが、入札価格はカジュアル部門に参加希望5社の中で一番低い金額の提示だった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ あ、いやいや。前村の為を思うなら早めに真実を伝えるべきだ。。。 前村もともに闘う同志のような存在でもあり、信頼のおける仲間として友情のような感情が強くあった。本当の親友ならば、言いにくいコトをあえて言うべきだ。今のまま引きずるのは前村にとっても、君塚という男にとっても良くはないだろう。。。 「でさあ森野・・・あーッ、今ほかのコト考えてたやろ」 向かいに座っていた横山がストローを包んでいた紙袋を丸め、投げつけた。もちろん顔は笑っている。 「あ、すんません。カジュアル部門、さっきの会社が良いかなあ、そう考えていたので」 アイスコーヒを引き寄せ、咄嗟にうそをついた。 横山は疑いもせず、 「お、おう、僕も同じ意見や、今回の案件は品質が命や。なにせ初めて手がけるイタリアのブランド。ジャンニの名前にキズつける様なコトがあったらあかん。たとえ会社の規模は小さくても。。。」 ひと呼吸おいて 「あの誠実な社長。あそこは信頼できる。明日、川村にそう報告しよ。さてと」 ふあーッ。横山は背伸びをし、大きくあくびを発しながら時計を見た。 「お、もう5時やん、そろそろ出よか」 伝票をさっと取った。 「あ、割り勘にしましょうよ」 「アホ、コーヒ代ぐらい先輩として顔たてさしてくれよ、何せ森野は今回の功労者なんやから」 「え、そんなコトないです。ただ先輩らの後ろを付いて歩いて来ただけですので」 横山までそう思っていてくれたコトが嬉しかった。 「はは、謙遜すなや。で、ワシ直帰するけど森野は?」 直帰の言葉に一瞬迷った。だが、やはり前村の顔が浮かんだ。 「残してきた用事がありますので、一旦会社に帰ります」 「えっ、真面目やのう」 「いえ、そんなんとちゃいます。どうせ家へ帰るのも、おんなじ方向ですので」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ほたら、明日会社で」 横山は途中 岸和田で降りていった。 ※ (かかしと読むのか。。。) 【案山子】 と大きく染め抜いた紺色の暖簾を眺めながら時計を見た。7時の5分前だった。 前村はすでに来ているだろう。 意を決し、その暖簾をくぐり、がらりと戸口を開けた。 つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名 、地名、などが出現しようとも 一切の関係はございません (-_-;)